時のそよかぜ。

2011/01/16(日)19:44

韓国ドラマ「明成皇后」(mixiより転載・加筆)

韓国関連(291)

 「明成皇后」ミョンソンワンフと読みます。  全124話の大河ドラマで、1860年頃から1900年過ぎの朝鮮の激動の時代を描いているドラマです。 この頃の朝鮮は、外国からの干渉も多くなり(日本だけではありません、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、清、などなど)外交面で大きな岐路に立たされていました。 内政に関しては相変わらずの権力争いに終始し、国の存亡に関わる問題が目の前に迫っている状態で、大臣達は自己保身のみに走り、国としての機能は喪失している状態でした。 こういう状態の中、王様に直系の跡継ぎが誕生しないまま哲宗が亡くなり、大王大妃の趙氏が自己の権力を維持するため、傍系の王族から新しい王様を立てます。 この王様が、高宗です(後の大韓帝国皇帝) 高宗の治世の初期の頃は、高宗が幼かった事もあり大王大妃の趙氏が垂廉政治(摂政)を行っておりましたが、高宗が結婚したのを契機に摂政が高宗の実父である大院君に変わります。 大院君は政治的には改革派で、さまざまな改革を打ち出しました。 身分制度の見直しや、両班からの税金の取立て、都への通行税など景福宮再建のための施策も次々と打ち出しました。 しかし次第に高宗の妻である、閔氏(明成皇后)との対立が深まってきます。 これには理由があり、明成皇后が妊娠中に高宗の後宮の李氏の息子(完和君)を大院君が世子に指名しようとした事が、二人の間の亀裂を決定的にしました。 大院君は明成皇后の外戚が権力を持つことを警戒したのです。 この時代の直前まで、4代前の王様の皇后一族の、安東金氏(アンドンキムシ)一族が60年にわたって権力をむさぼっていたのです。 この60年間に安東金氏が蓄えた財物は、当時の一年間の国家予算の3倍と言われるほど、民衆から搾取していました。 大院君は親戚のいない李氏の息子を皇太子にする事により、閔氏一族が権力の中心に来る事を押さえようとしたのです。 ドラマは明成皇后と大院君の対立、明成皇后と大王大妃・趙氏との対立、明成皇后と日本との対立を中心に進んでいきます。 最後は明成皇后が日本の右翼勢力に暗殺されてしまい(これにはいろいろな説があり、大院君がかかわっていたという説もある)日本への併合につながっていくのです。 明成皇后はロシアに朝鮮をゆだねようと考えていました。 事実、高宗はロシア領事館に逃げ込んでいた時期があります。 高宗は優柔不断な人だったらしく、ロシアに保護を求めたかと思えば、明成皇后が亡くなった後日本へと急接近をしたり、結局大韓帝国の初代の皇帝になりました。 ドラマでは、明成皇后は日本の圧力に対抗したヒロインとして扱われているようですが(韓国ではこういうドラマの作りしか許されない部分があります)歴史的に見ると、朝鮮自体が清国の隷属から解かれたあと、ロシアや日本と協力してしか欧米の圧力から生き残れない状況だったわけです。 前にも書きましたが、ロシアに併合されていたら今の韓国はありません。 ロシアが独立を許すわけがありません。 韓国ドラマはこういった歴史的背景や、正確な朝鮮王朝の状態を無視して日本が全て悪いと言う描き方をさせています。 こういう作りをしないと世論が反発する、という情勢もあるのでしょうが、日本の植民地時代にこんないいこともあった、日本人と朝鮮人が協力して何かを成し遂げたというドラマが出来て、初めて韓国が反日と言う呪縛から解き放たれる時ではないかと思います。 韓国で田内千鶴子さんのドラマ、作らないのでしょうか? せめて韓国に人道的に大きな貢献をした、田内さんのドラマくらい作っても罰は当たらないと思うのですが・・・

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