コメントレス&雑記
参照Re:近畿大会(5)(02/11) 浅井智慧ゾ〜 さん>「名は必ず体にいたる徳あり」で、自然と体である御本尊・日蓮大聖人と一体になりあの〜、鎌倉時代に日蓮が生きた時間内を同じ名前の日蓮という人がいたんですけど、法相宗の人らしいんですが、法華経も持っていたので、その人も末法の本仏なんでしょうか?「名は必ず体にいたる徳あり」なんでしょ・・w。あああ!謎が解けました。日蓮正宗系で言う末法の御本仏とは法相宗の日蓮だったけど、同名をいいことにパクッタのが、事実でしょうね。w日蓮正宗の日蓮は、本仏でもないのに、法相宗の日蓮さんが末法の御本仏として悟られたのをいいことに、それを口外してないから、自分達の所で利用した。韓国国民が日本の発祥、発明を韓国が発明した。発祥だとか言ってるようなもの。でも、法相宗の日蓮さんは下痢で苦しんだとかないから、五戒も保てないで、嘘詐りばかり言ってる日蓮正宗の日蓮とは大違いですね。wRe:近畿大会(5)(02/11) 特命キボンヌ さん>ゆえに、現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得るのであります。こちらの管理人さんが紹介されてたブログで成仏のことが綴られています。 ↓http://gachinbow.hatenablog.com (←参照)その内容を記事にしてるH講員ブロガーもいます。 ↓http://saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com/entry/2017/02/12/150527でもご本人は反論しない模様・・?正宗系観察日記の記事ですね。丁度みて、ネタにさせて貰おうと思っていました。記事本文は正宗系観察日記で閲覧してください。こちらでは記事をヒントに少しだけ。◎女人の御罪は漆の如し南無妙法蓮華経の文字は白物(おしろい)の如し人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引(ちびき)の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛(がもう)の如しやわらかなる事兜羅緜(とろめん)の如し(千日尼御前御返事)しかるに今の御消息に云くいきて候し時よりも・なをいろしろくかたちもそむせずと云云、天台の云く白白は天に譬ふ、大論に云く「赤白端正なる者は天上を得る」云云、天台大師御臨終の記に云く色白し、玄奘三蔵御臨終を記して云く色白し、一代聖教を定むる名目に云く「黒業は六道にとどまり白業は四聖となる」此等の文証と現証をもんてかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか、はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云(千日尼御前御返事)上の段は、有名なフレーズですね。顕正会員ならどや顔で言う言葉。wここでは、一言も「成仏」するとは書いてない。ただ、臨終の時はだけ。なんで、成仏する根拠になったのかなと知りたいですね。また下の段では、「臨終の時に色白く」は「天界」に生まれるとなってます。成仏とかは一言もないし、半口半眼もない。もしかして、江戸時代の謗法与同坊主。日寛師が言ってるからという、人師の言葉を根拠に色白くは成仏とか言ってるのか?それに法華経での女人成仏云々とかどや顔でいいますが、法華経を読んでいるが読んでない大石寺系教団の浅はかな部分ですね。法華経の中では、竜女は男子に変身してから成仏した。女人の身のままとは書いてないです。男になる必要がどうしてもある。でも心配しなくていいですよ。創作経典の法華経の話だからね。お釈迦さんは、女人のまま解脱、成仏できないとは言ってない。成仏、解脱した女人が多かった。男子より悟るのが多かったとなってます。これはカースト制度の差別が根底にあったから、インドの歴史とか仏教史を学んでいれば理解できる事です。ちなみに念仏なら極楽浄土に往生してから、必ず成仏できる。男女の差別とかないですから。差別したくてもできないから安心。wということで、色白く半口半眼が成仏の相と言う根拠が無くなりました。いや、成仏の相だというのであれば、根拠になる御書なり出典を提示してください。日寛上人が言ってるとかいうのは却下。文証にならないからね。さて、法華講員のブログでも記事にされていた。けど、死相の変化があるから云々とか言ってます。黄疸だったのが白くなったから。黄疸だからそのままて事は、必ずあるとは言えません。薬の副作用での黄疸とかあって、必ず黄疸のままとは言えません。色白くなったから天界に行くてのも、経文に有ったっけ?偽書にはあったかな?お釈迦さん自体は、そう言うことは言ってません。だって、分からないことは分からないから、一言もこうだよと言うことは、嘘になるから、戒律を破ることになるから、言わないんですね。一つだけ言えるのは、日蓮信仰とか特に大石寺系の日蓮本仏信仰圏は仏教ではなく、仏教破壊の邪宗教です。現役法華講員がいうのだから間違いない。w忘れてしまわないうちに、記事とは関係ない話ですが、特別供養。大石寺が大好きな特別供養。供養に特別も普通も有りません。供養はしがたいから、全て特別な供養です。供養できない人はしない。縁があって志があるから供養が出来るのであり、特別な行いです。大石寺で言う供養とは、坊さんに供養しちゃう行為。仏のために使う供養なのに、大石寺の事業で使う。流用しているのだから供養とは呼べないでしょ。布施とか特別布施なら、事業で流用してもいいですよ。でも、金を集めるときは供養だけど、御本尊に対して「供養」なのに、現法主に会うときには「奉供養」てします。本仏より偉い供養を受け取るんですね。w普通なら「奉供養」は本仏にして法主には「御供養」とかで十分でしょ。もちろん、淺井昭衛見たく広布供養などもあり得ません。いくら御本尊のためにとかいっても、供養を受け取る。取り次ぎする資格があるのは僧侶だけですから。在家が受け取り取り次ぐことはありません。こういう面では創価学会の「広布基金」てのは、正直でいいでしょう。ただ、功徳になるとか言ってるのかな?供養は功徳になるからとか言ってるところなど、言ってる時点で、供養の功徳が0,0001ぐらいに減ってしまう。0ではないけど、限りなく0に近い。しないよりはした方がまし程度になるかなてぐらい。それなら、貴方にあげます。ありがとう。て布施の方が何倍も功徳になりますよ。丁度、フェイクで正宗信徒が謗法の寺社仏閣に行って賽銭をとか書いてましたが、そっちの方が功徳になるかも(笑)Re:近畿大会(5)(02/11) 匿名希望 さん>ゆえに「日蓮が魂を墨にそめ流して書きて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(経王殿御返事)と。世間的に言えば「日蓮が本尊を魂を心を込めて、心血を注いで書きました、信じて下さい」の見解でしょうか?それ以上でも、別に大しておお!と言う事がらでもないような?そのとおりな会見ですね。「心血を注いで書きました、信じて下さい」のなにものでもないでしょ。でも、本尊の相貌がその後も変化しているから、結局は主題が大事で回りなどどうでもいい。六道もいるし、まして第六天の魔王がいて、拝んで居るんですから、アホじゃないのと言えます。>「御本尊はまさしく日蓮大聖人の御魂、(みたま)御当体であられる。」て板きれの木だよ。それも、魂を墨に染め流してだから墨の中に魂があるでいいのかな?誰かが「ダイナマイト一発で吹っ飛ぶ教学」と言っていましたね。(確か立正教団の里見岸雄?)動画であの樋田氏は「強固に持つコーティング加工、耐震強化の宝蔵」など言っていましたが、それでも未来永遠は無理でしょうね。物は何れ滅びますから。コーティングて建物にですか?それとも、本尊にでしょうか?そもそも、仏教とは物体信仰ではない。物体信仰をしてる時点で、異教・邪教ですからね。戒壇本尊にしても永遠不滅の変化しない物体ではない。変化している物体。変化しなければ物体でもないし、認識ができない。認識ができないのであれば、存在しない。本当の仏教は科学ですから、根拠のないオカルトとは大違い。>でも、その肝心な魂が入ってる部分を削り棄てている。だから魂が無い板きれでしかないでしょ。それ言うと正宗信者は、墨ではなく文字の姿が大事だなんのと反論するらしいですね。しかも正宗信者は「日法門流は、削り取った文字の部分はこちらに有ると邪義を唱えてるではないか」とまで言っていますが肝心の日法門流寺院ではそんな事言っていないそうです。でたぁ~!大石寺信徒お得意の嘘ですか。と言うより、日蓮が得意な嘘、詐りだけは、血脈相伝で受け継がれて居るんですね。w文字の姿て相貌でしょ。でも、相貌は戒壇本尊の後も変化している。だから、文字の姿がとは、意味を成さない。悟りの生命を現せたとか言う場合もありますよね。でも、第六天の魔王も悟りの中に入ってるのとなる。Re:近畿大会(5)(02/11) 匿名希望 さん>自分の下痢で苦しんでいる人が、人を救うのは無理があるでしょ。さきに自分の下痢を諸天に申しつけて治させればいい。でも出来なかった。祈りが叶わなかった。だから常陸の国に湯治に行こうとした。しかし、池上で虚しく没した。守られていないでしょ。日蓮の下痢は医学的には大腸癌では?とも言われています。しかし、全ては現象につきず、謗法者や虚妄の仏法を説いた者は横死横難など言ってる日蓮自体が、念願の目標にしていた常陸の湯や房州の父母の墓参りも出来なかったのですから、どこぞの法華講員の様に「空海や親鸞の臨終の有様を見よ」など言ってるどころでないと思いますが。日蓮の下痢は大腸癌が原因でしょ。普通の下痢なら回復するでしょうがそれがなかった。痩せ病とか言ってるのも、当てはまりますね。常陸の湯を目指したのに到着できなかった。無念の死でしょ。横死と変わらないでしょ。それを言うと日目師も京都に行くつもりが途中で死んだ。死因は老衰なら、そんなよぼよぼで無謀なことをする人となるでしょ。病気なら、無念の死だから横死か。天寿を全うして、普通になくなってない。日興師は普通になくなっているのかな?空海師は、即身成仏して、今でも高野山で生きていますよ。ミイラだけどね。板きれよりは、信じられるな。wこんなことを書くと、仏を御本仏を誹謗する輩とか、レッテルを貼って貰えるんでしょうね。wでも、日蓮が仏と証明できないのだから仏ではない。まして、あんな嘘つきが仏なはずないです。菩薩でもないですね。菩薩なら、嘘、詐りも言わない。それ以下でしかない。ただの凡夫、自称僧侶。僧侶にもなれなかった。堕ちこぼれ? だから、他宗僧侶を敵視している部分もある。嫉妬のかたまりだから、普通に凡夫ですよ。でも法華経の行者で嘘・詐りを言っていてもいいみたいだから、自称行者でもいいですけどね。にほんブログ村「自灯明・法灯明」「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」