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カテゴリ:日蓮正宗
新年あけまして~て、まだ早いw
正月は風習だからと言うけど、宗教行事ですからね。 新年の年神様を迎える行事。 謗法行為になるから大石寺三兄弟ではやりませんよね。 門松なんか以ての外。仏教では門松なんか邪教しか飾らないのに、正当な仏法を実践していると事は飾らないでしょ。w 筆者は仏教徒だから年末年始は関係ないですけど。 インチキ法華講員の為めに、猊下様の有り難いお話しを先行で公開です。 大白法 平成29年1月1日号(948) 【立宗七百六十五年の新春を寿ぎ奉る】 立宗七百六十五年の新春を迎え、御隠尊日頭上人猊下には御機嫌麗しく新年をお迎えの事と慶賀に堪えません。 また、法華講大講頭・法華講連合会委員長星野浩一郎氏ほか全国の法華講員御一同には、清々しく新春をお迎えの事と存じます。 隠居に猊下の呼称は要らないでしょ。 猊下は一人なのだから、なんで、院損に猊下を付ける? こういうところは日蓮正宗はとてもおかしい集団。 さて、本年は「折伏育成の年」であります。 大聖人は、折伏について『聖愚問答抄』に、「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権経謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。 此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらは威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(御書 四〇三ページ)と仰せられ、 『如説修行抄』には、「今の時は権経即実教の敵と或る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良に故あるかな」(同六七二ページ)と仰せであります。 「法門を以て邪義を責めよ」てギャグなんでしょうか? 法義体系すら上代には纏められてない。 宗祖自身が、法門を明確にしてないから、上代で纏めることが出来なかった。 他の祖師だと、何かしらの書き物を残しているが、日蓮上人は残していない。 御書と言われているのは、遺文であり、法門を書き残したものではない。 今ある法門と言われているのは、日興の法門であり、中古天台の亜流。 そして日寛の己義も混じって、ザル法門が大石寺法門。 だから坊さんは、法門を以て邪義を責めないでしょ。 折伏と言うのは、信徒がさせられているでしょ。 もし通用すると思っているのなら法主が率先して、他宗と法論をしますよ。 正しく、此等の御金言の如く、五濁乱漫として人心が極度に撹乱し、邪義謗法が充満している末法今日においては、摂折二門のうちには像法過時の摂受ではなく、折伏を以って邪義邪宗の謗法を破折していく時であることを一人ひとりが銘記し、講中一緒して、折伏を実践していくことが今最も肝要であります。と同時に、折伏したあとの育成が極めて大事であることを知らなければなりません。 抑も、折伏と育成は一体であり、折伏した人を正しく育成していく責任は、折伏した人は勿論のこと講中全体の責任であります。講中が折伏と同様、組織を挙けて育成に取り組むことによって、はじめて激烈なる広布の戦いに耐え得る強靭な組織が構築され、更に教戦を拡大して一天広布へ向かって大きく前進することが出来るのであります。 それらしい事を言ってるけど、よくよく見ると超~無責任な発言だよね。 折伏を以て邪義邪宗の謗法を破折てこれは坊さんの役目でしょ。 宗祖が信徒に折伏て言っていたかな? 弟子が率先してすることを、遺弟は率先してしないばかりか、信徒に丸投げだからね。 先師の如くなら、町中に出て辻説法でもしないとダメでしょ。 宗祖がしてるのに後の弟子はしないのだから、折伏と言っても説得力がない。 また他宗に対して法論を申し込んでいないのだから、坊主が如何に口先だけかと良くわかる。 育成に関しても折伏した人に投げて、次に講中に投げている。 でも組織というのは、宗門全体だよね。 指導する教師(先生)が坊さんなのだから、坊さんが育てるのは本来の師弟の道でしょ。 だから指導教師ているんだからね。 信徒が育成までするのなら、指導教師は要らない。 無駄飯ぐらいのお荷物でしかない。 そして育成と謳わなくても、持続的に行うのが育成。 疎かにしていたから育成を打ち出していると言える。 坊主の怠慢だね。 今宗門は、各講中共に、僧俗一致・異体同心し総力を結集して、来たるべき平成三十三年宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年法華講員八十万人体勢構築へ向けて力強く前進しています。 この時に当たり、一人ひとりが折伏と育成の両義を確りと確認して、講中一緒・異体同心して誓願達成へ向けて進むべきであります。 就中、本年は「折伏育成の年」であります。講中全員が折伏に立ち上がり、講中が責任を持って折伏された人が折伏する人になるように育成していくことが本年最も肝要とするところである事を銘記され、愈々自行化他の信心に励まれますよう心から願い、新年の挨拶といたします。 新年の辞 総本山六十八世日如 僧俗一致といいながら坊主は何をしている。 育成はしない。折伏はしない。 責任は信徒に押しつける。 「講中が責任を持って折伏された人が折伏する人になるように育成していくことが」て、坊さんはどこにいるの? 坊さんの法話で信徒を育成するんでしょ。 だから御講参加で育成て言ってるんだから。 もう、無責任も極まってるね。 除籍してもいいぐらい、無能な法主だよ。 と言うことで、年末のご挨拶とさせていただきます。w みなさん、良いお年をお迎え下さい。 でも、顕正会も少しw 「聖滅736年の新春を迎えて」て、亡くなってから数えてるんだよね。 生誕の方でお祝いを言わないのが顕正会の面白いところ。 ふつうなら、仏が生まれてから何年の目出度い新春とかなるんじゃないの? でも、御大会とか聖滅とか亡くなった方を歓んでお祝いするのだから、魔の眷属集団だろうね。 そして、「国難4年を迎えて」とか大見出しが出そう。 そして国難9年目ぐらいに、仏法の第一人者、淺井昭衛先生入滅。 そのごは、聖滅と淺井先生入滅1年とかカウントしていくのかなw では、本当に良いお年をお迎え下さい。 (年内最後の更新予定w) にほんブログ村 「自灯明・法灯明」 「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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