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星界の道~航海中!~

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日蓮正宗

2017年09月22日
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カテゴリ:日蓮正宗
大白法

諸宗教破折(80) 守ってはくれない!御守り 俗信・迷信

 障害や苦悩に直面した時、そして、その解決が自分の力ではどうにもならないと感じる時に、人は何かにすがりたい心境に駆られるものだ。
 そんな時、神社仏閣の社寺境内で販売されている「御守り」を自身のために購入したり、親しい人や大事な人にプレゼントするという人も、皆さんの周囲にはいることだろう。

【安価で便利な宗教グッズ?】

 形状は、紐で吊り下げられるようにした平たく小さい袋や巾着、紙片、パワーストーンで作られたブレスレット(腕輪)、ペンダントとして首から提げられるものやキーホルダーに取り付けられた鈴、車に貼れるシール、と様々である。
 広い意味では、国内外の厄除け、招福、加護など、人の願いを象ったすべての縁起物を合む。
 多様な願いに応じて提供されている中から簡単に選べること、手頃な価格であること、常に携帯できる利便性などにより、多くの人に受けのいい宗教グッズで、宗教の正邪を問わない人ならば、ほぼ抵抗感はないのだろう。

【神々もびっくり】

 無病息災、商売繁盛、受験の合格、安産、交通安全などのメジャーな物から、一風変わった物もある。
 東西の叶神社それぞれにある、袋と勾玉を組み合わせて一つにする御守り(東・西叶神社)。何事も大丈夫だという気持ちにさせてくれる浅草神社の「大丈夫守」。ランドセルを形取った御守り(湯島天満宮、石清水八幡宮、西新井大師等々全国各地)。
あらゆることの融通を利かせてくれる万能な「融通御守り」(花園神社)。インターネット普及に伴ってか、パソコン全体の情報を守ってくれる、ウィルス対策ソフトいらずの「IT情報安全守護」(神田明神)などがその例。

IT情報安全守護ですがウイルス対策ソフトいらずとは記載がない。
(参照)
大白法も嘘を平気で書くようになったんだね。
さすが嘘つき日蓮の信徒だ。!



さらには境内の梅の種で作った御守り(亀戸天神)まである。ここまでくると、何を守ってもらうのか理解不能になりはするが……。
 世情や流行に合わせて新作が続出するのは、守られたいという人々の願望を逆手に取った金儲けの手段に過ぎないからだ。
 緑もゆかりもない人の守護を願われる八百万の神だって、さぞかし困惑することだろう。そもそも八百万の神は、私たちを直接守る神ではないのだから。

「緑もゆかりもない人の守護を」というが、御守りを贈られた方はたしかに可能性はある。
しかし、授与しにいってきた方は、お参りしているのだから縁を結んできた事になるだろう。
自分達(法華講員)が路上で縁もゆかりもない人間を勧誘しても、勧誘して縁が出来たからというではないか。
縁故者を勧誘ではなく、勧誘して縁故者に仕立て上げる。
自己中な日蓮信仰者だけどね。


【期限付き?】

 また、御守りによっては有効期限があるのはご存知だろうか。基本的には一年間とし、一年が過ぎたら納めることを推奨している社寺がとても多い。
 理由も諸説ある。「古い御守りは災いを受け切れなくなって、逆に持ち主に災いが降りかかる可能性がある」とか「神様は清く整った所を好むが、時間が経つと穢れや悪い気に触れて効果を発揮しにくくなる」とのこと。そんな理由か、という印象ではある。

【正体は悪鬼魔神の札】

 神聖なものと思い込んでいるため、御守りの中身を確かめる人は少ないだろう。多くは、中に「神璽(しんじ)」とか「内府(ないふ)」と呼ばれる小さな「おしるし」が入っている。これにはその宗派の象徴ともなる本尊や題目、経典などの文言・図画が書かれていることが多い。
 びっくりするのは、何も入っていない、もぬけの殼の御守りもあれば、形を整えるための厚紙入りもあったことである。そんなものを後生大事に持ち歩いている人も多いということだ。
 これら御守りが問題なのは、大半は神社仏閣で祈祷されていて、そのために悪鬼魔神が取り憑いているということである。

祈祷されないと御守りにならない。
そして、御守りに仏神は取り憑かない。
で、御守りを誤解してるよね。
御守りが守ってくれるわけではない。
自分達の御守り本尊て、御守りが守ってくれるわけではなく、本尊が守ってくれるわけでしょ。
それと同じだけど、やはり信心が必要なのは、どこの御守りも同じ。



日蓮大聖人の、「世皆正に背き人悉く 悪に帰す。故に善神国を捨てヽ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書 二三四ページ)との御金言からも明らかなように、正法に背いて銘々が勝手な教義を立てている社寺から販売されているのだ。そんな物には当然、神の力が宿るはずはなく、悪鬼魔神が棲みついて、たちまち災いを呼び寄せる結果となってしまう。
 自分で努力もせず、その因果を知ろうともしない人に「わずかな値段の御守りさえあれば不幸がなくなる」と教えることこそ、外道たる証である。

勝手な教義て何を基準にしているのだ。
日蓮の教えを基準にしたら、それすら勝手な教義ではないか。

お釈迦さんが言ってないことをいってると嘘八百を垂れ流す。
大嘘つきの権化だね。
そして善神国を捨ててというわりには、八幡菩薩はまことの神かと八幡神社の前で大声で叫んだのは誰だ?
八幡神社には善神はいない。居ないどころか悪鬼が住みついて居るんでしょ。
そんな神社に向かって、八幡神はとかいってるんだから、自己矛盾も甚だしいといおうか自己中だよね。

「自分で努力もせず」て法主とか布教部長にいってやれよ。
折伏・折伏とハッパだけ掛けて、自分では何もしない。

で因果を無視しているのも日蓮正宗の教えだ。
祈りで願いが叶うてそこに、自分の努力が必要てなるのなら、そのことを明確にいわないとダメだよね。
だけど、いわない。
祈れば、罪障消滅、宿命転換とかもぉ~都合の良いことばかりいう。


一つ前の日蓮正宗系の問いで抜けていた部分がある。

>何処の経典を読んだのでしょうか?

法華経以外は方便だったり間違いだったりとかいっているのだから、読んでも意味がないのに何処の経典をとかいう。
網羅して読んでも、有効期限が切れたものだから役に立たない。
まぁ~こんな感じだろう。
でも、法華経ぐらいは読んだ方が良いよね。
どうせ、法華経の現代文も読んだことないのに経典とか言ってそうだな。


>日蓮正宗歴代上人の御指南全て読み勉強したのでしょうか?

一般信徒は勉強が出来ない。
歴代法主全集にしても非売品。
坊さんと連合会役員とか一部の人にしか配布されていない。
そして一般信徒用に歴代の御指南集なと発刊してない。

日達上人の御指南集にしても、中古価格で50万だ。
もちろん非売品。
どうやって、「日蓮正宗歴代上人の御指南全て」を読むことが可能なのかだ。
不可能なことをいって、まったく法華講員と来たら。
て、こういのって元顕の法華講員ぽいよね。
代々系ではあり得ない。また、学会系にしても違うと思う。
残るは元顕の法華講員の可能性が高い。



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最終更新日  2017年09月22日 22時24分11秒
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2017年05月22日
カテゴリ:日蓮正宗
大白法4月1日(954)号より。

異流儀破折(172) 本尊軽視の大謗法―顕正会

 インターネットで「顕正会」を検索したら、顕正会の公式ホームページがトップに、関連キトワードには「顕正会 危険」「顕正会やめた」「顕正会 被害者の会」「顕正会 勧誘やばい」などが並んでいた。
 これだけでも胡散臭い団体らしいと思わせるが、さらに見ていくと「カルト教団『顕正会』の実態」とか「公安にマークされているカルト宗教・顕正会」など、顕正会をカルト教団だと認識する人がいることを示すようなタイトルが、いくつかあった。

顕正会生みの親は日蓮の教え。
それも日蓮正宗の教えなのだから、まずは、そこを問題にしよう。


【顕正会の本尊への疑惑】

 そんな顕正会の会員を破折したとき、彼らの最も返答に窮するのが、顕正会の会館や拠点に安置する本尊への疑惑であろう。
 これまでもたびたび指摘しているが、再度、浅井の本尊に関する発言の変遷を列挙する。

 まず、浅井は昭和六十年に、「妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった」(顕正新聞 昭和六十年三月十五日号)と述べている。

 浅井が顕正会に存在する本尊のルーツを明らかにしたのは、「これらの御本尊は日蓮正宗から正式に下付されたものである」ということをアピールしたいがために他ならない。「総本山の認可なく、勝手に本尊を作ることは大謗法である」との認識があったからだ。

 ところが、平成十一年になると、「松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して、私に託して下さったのであります」(同紙 平成十一年四月二十五日号)と、新たに「日布上人の御形木御本尊」が登場し、さらに平成十五年には、「顕正会で格護する日布上人・日昇上人の四幅の導師曼荼羅」(同紙 平成十五年二月十五日号)同十九年には、「地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊(中略)日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さった」(同紙 平成十九年十月五日号)と、「死人に口なし」とばかりに故人の名を利用して、当初はなかった本尊の存在を明かしている。

 果たしてこれらの本尊は、誰が作ったのか。特に、「大幅の日布上人の御形木御本尊」や「導師曼荼羅の御形木御本尊」は、日蓮正宗には本来存在しないものなのに……。

【会員を騙し続ける顕正会】

 これらの発言から、浅井ら顕正会では、本尊偽造に手を染めている可能性が高い。次々に建てられる会館への本尊安置や、昨年、個人への本尊下付を進める方針を打ち出した事実からも推測は容易である。
 「本尊偽造は大謗法との認識を持ちながら、裏では本尊偽造に手を染める浅井ら顕正会の姿は、まさに本尊軽視の大謗法である。
 このことも何度も指摘してきた。
 今までのように「松本日仁」の名を使ってごまかしながら数を増やそうとし続けるか、開き直って「顕正会には御本尊作製の権限がある」などと主張するか。
いずれにせよ、多くの会員を騙し続けることになるのは必至である。

「大幅の日布上人の御形木御本尊」と「導師曼荼羅の御形木御本尊」は、日蓮正宗には存在しない。だから偽本尊と断言しないのか?
可能性が高いて、それなら過去にあったのかと言いたい。
存在しないものが存在している。
誰が作ったのか。それは、可能性として松本さんか淺井親子か昭衛くんの単独だろうと思われる。でいいんじゃないの。

でも本尊偽造て日蓮正宗の内部規定だけのことだよね。
その日蓮正宗の本尊を使っているのだから、そこが問題。
いっそ、真筆本尊を原本にすれば一番いいのにね。
だって、偽坊主が書いたものだよ。
一般人が書いたものと変わらない。
まして書道家の先生が書いた本尊の方が見栄えが良いんじゃないかな?

そう言えば、最近正宗の本尊がオークションででているが、結構いい値段が付いている。
コレクション程度で5000円までならわかるが、それ以上の金額て考えられない。
たかが印刷物。
なんの価値もない紙切れなんだからね。


【経の心にそむく間、悪道を免れ難し】

日蓮大聖人が、「人皆口には此の経を信じ、手には経巻をにぎるといへども、経の心にそむく間、悪道を免れ難し」(御書 一四五六ページ)と御教示のように、顕正会員が一生懸命に大聖人を信じ、本尊に手を合わせたとしても、ニセ本尊であるが故に堕地獄を免れることはできないのである。
 我々本宗僧俗は、一人でも多くの会員に顕正会の実態を伝えて脱会させ、真正な御本尊のもとにお連れできるように、折伏しようではないか。

日蓮さん自身、釈尊の教えを歪めているからね。
教主釈尊の本意は、南妙法蓮華経の題目て一ミクロンもそんなことは言ってない。
日蓮さんの脳内妄想ね。
なんの根拠もないのだから。

で、偽本尊と言うことで大石寺におわします、板きれは偽物なのだから偽本尊を拝んでいるてのは一緒。
その偽本尊の偽物を拝んでいるのだから、顕正会はもっとアホ集団。

法華講員が偽本尊を拝む害毒とかあげているが、全て日蓮正宗信徒にも当てはまっている。
直に見聞きしているから偽本尊確定で間違いない。

こうかくと、信心が不純だからとか言うんだよね。
だけど、強信とか言われる部類の人ね。

そうなると、過去世の罪障、宿業がて言い出すんだよね。
でも、御開扉の時に「無始以来の謗法罪種消滅」て法主自ら戒壇本尊に直接祈念してくれているのに消えないわけがないでしょ。
たしか、みんな大好きな謗法与同の日寛さんも言ってるよね。

だから過去世の罪障とか宿業とか言うのは、法主及戒壇本尊を信じていないて成るわけだ。

でもその点、顕正会員は凄い。
入会して題目唱えれば即成仏できるわけだ。
最短で数日顕正会員をしただけで、他宗教をしていた罪障もなく、成仏しちゃうんだから凄いよね。w
自分で積んだ罪障は自分で受けるのが因果なのにね。
それを無視してるんが日蓮の教えなのだから、釈尊の教えを否定する邪教集団だ。
釈尊とか法華経とかいいながら、「余経も法華経も詮無し、ただ南妙法蓮華経」とか言うんだからね。



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最終更新日  2017年05月22日 22時38分02秒
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2017年05月01日
カテゴリ:日蓮正宗
大白法 平成29年5月1日号より。

夏期講習会に参加しよう【折伏と育成の実践誓い】
テーマ「折伏育成のために」

1時限目「法華講員80万人体勢構築への折伏戦と組織作り」
2時限目「法華講員の心得」
3時限目「広布の人材育成の推進」

金と時間を浪費して、つまらない講習会に参加するなんて、無駄な行為でしかない。

そもそもテーマ自体で、今さら掲げる内容ではない。
バカかよと言いたいね。

「法華講員80万人体勢構築への折伏戦と組織作り」は、80万体勢を打ち出した時点で、どのように構築するか、指針を決めて計画を練って居なければいけない。
組織作りにしても、今さらでは遅い。
80万体勢を打ち出した時点で、組織の足下、土台を固めて、柔軟に動ける体勢を構築して居なければならない。
だから無能坊主はやることがお粗末。

これでは、体勢が整ってません。
組織もまた、集団としては烏合の集団ですと言ってるようなもの。
それにこんなテーマは、夏期講習会でするものではない。

「法華講員の心得」はギリギリ、有りかなと言う程度。
これも普段から末寺で教えていくべき内容。

「広布の人材育成の推進」にしても、普段から育成をしていなければいけないこと。
なぜ、推進しなければいけないのかだ。
こんなの基本中の基本でしょ。
普段、育成もしてません。て事を告白してるようなもの。

夏期講習会と言う一泊で時間があるのだから、内容の濃いことを学ぶ機会にするべき。
でも法主の講演がね。w
だから参加者が定員割れ。(笑)


https://vimeo.com/212427613
(パスワードが必要、去年と同じかな)
今年も、中等部・後頭部合宿への推進ビデオなどを布教部が作った。
業者に恃んで金を掛けて製作してるんだろうな。

でも、推進ビデオを作るようなものではないでしょ。
こういう事をしました。て実績作り。
無能布教部長の考えるような内容だね。
アップしてから3週間が経過していて300ヒットしか閲覧がない。
これでは、費用対価効果がない。

普通に文書配布で十分な内容だね。
でも、推進ビデオを考えて作る暇があるのなら、正信会寺院に行って破折するとか、他宗寺院に法論を申し込むぐらいの活動をしよう。
名前だけの布教部なのか?
それとも、内部に向かって布教するのが、仏道修行、僧侶の役目なのか。(笑)
これでは、日蓮さんも地獄の釜の中で嘆いているよ。

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最終更新日  2017年05月01日 23時19分42秒
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カテゴリ:日蓮正宗
大白法 平成29年5月1日(956)

異流儀破折(173)似非出家者率いる在家教団――創価学会

 過日、新興宗教である幸福の科学に出家すると言った女優が世間を賑わせた。
 その動機が日本最大の新興宗教、幸福の科学の信仰に専念するためということ、また売り出し中で、告白本まで出して所属事務所と対立するなど話題を振りまき、早速、広告塔の役目を果たしていた。

 その幸福の科学の公式サイトでは出家を、「完全に俗世を遮断して、人里離れた所で生活や修行をしているわけではありません。
 『外見』や『形式』ではなく、『精神的な出家』を意味しているからであり、この世的な価値観に迎合することなく、神仏の心に基づいて一日二十四時間三百六十五日、自らを律し、仏法流布のために生きることを使命としています」と言う。

 在俗のまま教団に就職し、教えに基づいた生活を送り教団から給料(主に信者からの布施)を得て布教活動に専念する、これが彼ら言うところの出家だ。
 本来の出家とは、世俗を捨て仏門に入ること、僧となって仏道修行をすることを言う。重き恩愛(肉親の情)の家を出て仏道に入る真の出家者と、都合よくいいとこ取りの名ばかり出家とが同じはずがない。

≧(´▽`)≦アハハハ
マジ受けます。

見せかけだけは出家したようになってるが、その後、家庭を持って入家するのが出家者と言うのか?
どこが出家と言える。
また、「教えに基づいた生活を送り教団から給料(主に信者からの布施)を得て布教活動に専念する、これが彼ら言うところの出家だ。」にしても、そのままブーメランでしょ。
教団から給料を貰ってる。
僧侶は給料など貰わないで無給だよ。

衣食住は保証されているのだから。
教団から貰ってる給料は、信徒からの供養でしょ。
そして布教活動に専念しない。て部分は、在家なんちゃって出家より劣る。

大白法の編集者。
これ本気で書いているのなら、ブラックジョークのギャグだよ。
嫌みで書いているのなら、面白いけど、まず、あり得ない。
妄信者だからね。


【創価学会本部職員とは】

 日本第二位の規模を誇る新興宗教にして在家教団の創価学会こそが、むしろ幸福の科学のお手本ともなったであろう、今日の在家宗団の本家本元と言える。

集団ではなく「宗団」て書く時点で、大白法も顕正新聞や創価新報と変わらないね。
それなら、外人(ヨーロッパ人、西洋人など)と書いて、害人(韓国・中国・北朝鮮人)と表記して欲しいな。


 公称八百二十七万世帯と言われる創価学会には「創価学会本部職員」がいて、彼らは宗教法人創価学会の法人職員であり、一般会員の財務によって生計を立て、創価学会の組織を運営し、会員に奉仕することが使命とされる。

 名誉会長の池田大作、会長の原田稔をトップに理事長、主任副会長、二百五十名とも三百名とも言われる副会長以下総勢二千五百人を数え、副会長以上の最高幹部らによって師範会議、最高指導会議、総務会などが開かれ、創価学会の意思決定がなされる。

 近年の例を挙げると、平成二十七年に『勤行要典』を改変した。その際も、「池田先生のご了承をいただいた上で、会則に則り、師範会議と最高指導会議の賛同を得て、制定するに至った」(聖教新聞 平成二十七年十一月十七日付)と。また、平成二十八年に「創価学会会則」に「創価学会仏」と定義付けた際も、原田が諮問・提案した会則の改正について参議会や総務会が開かれ、賛成を答申したり可決したことが報じられている(聖教新聞平成二十八年十一月五日付を参照)。

 このように創価学会では、一部の最高幹部が、教義・化儀・運営方針のすべてを決定するという重要な役回りを担う。
 この、いかようにも自分たちの都合によって、つまり都合よく運営できるように、教義を曲げに曲げるのが在家宝団の真骨頂と言えよう。

組織、集団が大きくなれば運営する人間が必要なのは常識。
それを一々、文句を言うほどでもないだろう。
法華講連合会にしても、坊主の太鼓持ちで、給料が出ている。
無給で勤めているわけではないではないか。

また宗門にしても、意志決定は高僧と議員だけて形だけで、実際は法主の独占事項でしょ。
信徒の意見など聞かない。
形だけは、連合会役員がとかになるのだろうが、坊主にシッポを振る犬ばかりだから無意味だ。

そもそも、事業とか雑務は在家の仕事。
坊主、出家者は、修業に専念する。また、弘通、布教に専念するのが勤めだが、布教も弘通もしないで、嫁を貰ってるような体たらく。
自分達の行為を棚上げして他を指摘する資格すらない。


 【゛民衆仏法゛!?の代償】

 かつて創価学会は、宗門からの破門を機に、「大聖人は、死身弘法の大闘争によって、『権威の宗教』から『人間の宗教教』へと、万人成仏の大道を開かれた。その大聖人の御精神のままに、学会は、権威の邪宗門の鉄鎖を断ち切り、世界百九十二力国・地域へと、民衆仏法の大連帯を構築した」(民衆勝利の凱歌2 三ページ)などと言った。

大聖人は権威主義だよ。
何をとち狂ったことを学会は言っていたんだか。
何かにつけて、伝教大師が天台大師がと権威を出して、だから私(日蓮)の主張が正しいと言う論調ばかり。
で、その中には、勝手に妄想して無いことを有ると断言したり、誇張、拡張、嘘、偽りを盛りに持って特大大盛りにして居たりする。
あ!釈尊から付嘱を受けたとかにしても、権威主義でしょ。
そんなの受けてもいないのに、口先だけの嘘つき。

また万人成仏とかも微塵も思ってない。
思っているのなら、謗法者を由比ヶ浜で頸を切って、寺社を焼き払いとか言わない。


 日蓮正宗伝統の僧俗の在り方に対し、「御法主上人への信伏随従は権威の宗教だ」とレッテルを貼り、創価学会こそが「民衆による民衆に開かれた民衆のための真の仏教教団である」と主張するために、である。
 当初は宗門を攻撃しているだけでよかった。が、やはり宗門の教義・化儀がどうにも足かせとなる。
 そこで、平成十四年に会則を変更して、会長にその裁定権を付与し、現在の執行部の在り方が形作られた。「権威からの脱却」との大義名分を掲げ、わがままを通して組織を存続させる道を模索したが、現実は迷走を重ねるばかり。
 彼らの頭にあるのは組織の存続のみ。このような出家とも在家とも区別のつかない本部職員の生活を支えなくてはならない、末端の学会員こそが、最大の被害者である。

権威主義て創価学会戸田城聖さんが、法主絶対の権威主義を構築した張本人だよ。
それまで、在家信者など法主が何かいっても、だから何て程度。
坊主にしても大檀那に対しては何もいわない。

その証拠に近年でも大檀那であった大石寺総代の謗法行為を黙認して居るではないか。
代々大石寺の大檀那だから、何も言えない。

また坊主の頭にあるのは信者を増やして、供養を如何に増やすかしか頭にない。


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最終更新日  2017年05月01日 22時55分27秒
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2017年04月30日
カテゴリ:日蓮正宗
大白法3月1日(952)号より。

異流儀破折

謗法同士がどんぐりの背比べ ―正信会―

 異流儀・正信会の位付けは、宗門において未来永劫変わらない。何をどう言い繕おうと、御本仏日蓮大聖人の御聖意に反する大謗法団体である。

御本仏日蓮大聖人と仰ぐ集団は、教主釈尊を蔑ろにする大謗法仏敵集団である。
だから日蓮正宗、正信会、創価学会、顕正会は全て、どんぐりの背比べの究極絶後の大謗法集団である。
でも、一番の元凶は日蓮正宗だからね。
僧侶の資格もない偽坊主日蓮を本仏と仰ぎ、これまた、僧侶の資格もない私度僧、日興さんを僧宝と仰ぐ、正法誹謗の大謗法集団、日蓮正宗。(楽しいでしょ。法華講員が日頃言ってる内容を正宗手しただけだからね。)


 その正信会が、独自に包括宗教法人を設立し、一宗一派を旗揚げした。
 いかに団体組織を整備しても、正信会の信仰は風前の灯火である。なぜなら、正信会には、信仰の中心にして信心修行の根源となるべき主体が存在しないこと。そして、これは永久に確立し得ないからである。
 だから本紙は、宗教法人云々といった世俗のことの前に、信仰の正邪を峻別せよと指摘し、速やかに大謗法を懺悔することが先決であると何度も警告した。
 案の定、今度は、新たな包括宗教法人と従前の正信会組織との間で分裂騒動、果ては批判合戦である。
 この一事を見ても、正信会の未来に希望はない。

正信会という前に批判合戦の元祖は、日蓮正宗VS創価学会と言いたいが、その前に正信会VS日蓮正宗&創価学会だったね。
ししてその前が妙信講(顕正会)VS日蓮正宗&創価学会。
なら批判合戦で未来がないてまさに、日蓮正宗そのものではないか。
信徒が増えても御講参詣者が減り、登山者も減る。
無能法主の愚策の影響でしょ。


【「田分け」た所業】

 「たわけ」という言葉の語源に「田分け」説がある。
 これは、田畑を子供の人数で分割して相続していくと、代を重ねるごとに田畑の面積がどんどん狭くなり、収穫高も減って、やがては家系が衰退することから、未来に疎い愚か者を「田分け(たわけ)」と呼ぶとの俗説である。
 まさに、正信会の現状さながらではないか。
 信心修行の主体がない正信会であるからして、念頭にあるのは組織の維持のみ。「折伏」の単語はあっても、他人を救うとか世の中にどのように寄与するとか、およそ志など気にもしなければ修行もないであろう。余計なお世話ではあるが、少人数の会を二分し、未来はいよいよ先細りではないか。
 「田分け」は「戯け」を洒落た俗言というのが真相らしいが、どちらにせよ、現在の姿は「たわけ」た所業以外の何ものでもない。

おいおい、ブーメランではないか(笑)
組織の意地、他組織に対しての見栄で折伏の名の勧誘を進めている。
顕正会の無差別勧誘に感化されたのか、無差別勧誘して講員すうを増やしたが、そのおかけで、活動家が激減。
学会問題で学ぶてことをしなかった。
無能坊主の集まり。
学会という働き蟻に胡座をかいていて、それを法華講でもやっているから内情が伴わないのである。


【一蓮托生の大謗法】

 直近号の『正信会報』に、古川興道(従前派)が巻頭言を寄せ、「現在に於いて『本門戒 壇の大御本尊』を信仰の根本としているのは正信会(該誌 一五九号一ページ)と言い張っている。そして、「法人派も数年前から大石寺奉安富に安置されている大御本尊に疑義をとなえ、日蓮正宗には戻らない」(同)と、宗教法人正信会側が創価学会と同様に戒壇の大御本尊への信仰を否定していることを取り上げて、自分たちは彼らとは違うと言っているのだが、これは問題のすり替えに過ぎない。

 総本山第二十六世日寛上人は、「富士山は是れ広宣流布の根源(中略)根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(六巻抄六八ページ)と御教示である。
 本門戒壇の大御本尊こそ、日蓮大聖人の仏法の根源にして広宣流布の中心であるから、ここを踏み外せば、大聖人の信仰はない。
 故に、古川は、自分たちは「本門戒壇の大御本尊』を信仰の根本」としているから正信、宗教法人側は謗法だと主張したいのだろうが……。
 おいおい、それは違いますぞ。共に一蓮托生の大謗法、せいぜいドングリの背比べです。

大白法の編集者も日寛ばかり出してくるな。
謗法与同の無慈悲坊主を持ち上げてどうする。
本門戒壇の本尊が根源という証明もできないで、ただ、根源という。
ただの自己中な我が儘でしかないだろう。て宗祖日蓮大聖人が超我が儘な自己中心者だからその遺伝子を受け継いでいるだけか。
だから大石寺三兄弟は、どこも我が儘で自己中な集団だよね。

対話を重視とか言ってる創価の人々。
仲良しの韓国と対話をして竹島変換。慰安像撤去を進めて下さいな。
対話しても話が通じない人が居るんだから。
もちろん、日蓮正宗と創価学会でも対話でどうにもなってないでしょ。
双方偽本尊を拝んでいるから対話で解決できる功徳(利益)が表れない。
もう、この現証だけで十分だよね。



【何を信仰してきたの?】

 ならば問おう。
 正信会問題が起きた以後に正信会へ入った者も、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本としているのか?
 この問に得度したという「私度僧」も、戒壇の大御本尊を信仰しているのか?
 正信会の古参はともかく、これら本門戒壇の大御本尊を拝したこともない新参者の信仰心も、本門戒壇の大御本尊にあると、本当に思っているのか?
 そんなことは、あり得ないではないか。
 大御本尊から離れて、かれこれ四十年。その間、一度も総本山に参詣していない以上、信仰の中心かぶれるのは当然であり、そんな邪信へ誘ったのは、他ならぬ古川らなのである。彼らの言は宗門に何の痛痒(つうよう)もないが、未だに、過去に正真の御本尊に手を合わせていた人々が会の中にいることを忘れてはならない。
 正信会の現在の混乱は、邪信故の現証である。そんな大謗法に翻弄される悲しき人たちを、一日も早く正信へ導こうではないか。

おいおい!私度僧て日蓮を筆頭に、日興、日目と歴代法主も私度僧だぞ。
それが、正信会坊主が私度僧て言えないではないか。(笑)

で、本山に参詣してないとは、正信会は、奉安堂が見えるところまで行って遙拝している。
山内に入ってるのかは不明だが、直配しなければ参詣したとならないとは、なってないよね。
登山した時点で参詣した。山内に入った時点で参詣扱いと聞いてるよ。
なら、参詣の定義を明確にしよう。

あと、カルト宗教団体が謗法と言っても説得力がない。
創価学会、顕正会をカルトと呼ぶが、それを発生させたのは日蓮正宗である。
カルトを内在する思想がある。
外から見れば大石寺三兄弟は、カルト集団三兄弟でもある。


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最終更新日  2017年04月30日 22時48分51秒
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カテゴリ:日蓮正宗
大白法2月16日(951)号より。

【「正しい宗教と信仰」に学ぶ】
【なぜ日蓮正宗と他の宗教を一緒に信仰してはいけないのか】


 信仰は、もっとも勝れた宗教を選び、誠実で清らかな信心を貫くことが大切です。
 たとえば一本の牛乳に、一滴の毒を混ぜたならば、いかに養分があるからといっても、あなたはその牛乳を飲むことはできないでしょう。

誠実で清らかな信心て、どこの集団がいってるのやら?

【誠実】
偽りがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま。

【清らか】
けがれのないさま。よごれやにごりがなく澄んでいるさま。

日蓮正宗は、偽りだらけ。不真面目で真心は感じられない。

穢れきってるし、汚れて濁っている。
だから、冗談でも「誠実で清らか」と似合わない集団だよ。

で、牛乳嫌いだから最初から飲まない。
まして、カルトと言う牛乳など飲みたくもない。

あと毒とか言うけど、毒も薬になる。
そもそも薬とは、服用を間違えれば毒になる。
また、「変毒為薬」て好きで使ってるでしょ。
日蓮という毒も仏教という薬に巡り会う切っ掛けになれば変毒為薬だよ。
もちろん、日蓮信仰という偽坊主の仏教を離れた場合ね。
染まったら、惨めな末路が待っている。



 これと同じように、正しい宗教と邪まな宗教を混同して修行することは、せっかくの正しい信仰の功徳を消し、かえって苦しみを受ける結果になるのです。
 釈尊は「四十今年末顕真実」と説いて、最後の八ヵ年に説かれた法華経以前の経々はすべて複数(仮りの教え)であるから用いてはならないことを明かされています。

正宗の坊主でさえ、本気で云わないぞ。
立て前としては言うけど、法華経がと詰め寄ると「思う」「信じている」て言うだけで、学説的事実を無視してる。
それを釈尊がて釈尊はしならい法華経。
こんな邪義を広めている大白法って大丈夫か?
もう、この時点で誠実ではないではないか。


 ところが真言宗、念仏宗をはじめ、他のほとんどの宗派はこの四十余年間の経に依っているのですから、これらの教えを法華経の真実の教えに混じえてはならないのです。
 それは良薬に毒を入れ、すべてを毒薬にしてしまうようなものだからです。
 日連大聖人はこのことを、「法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し」 (秋元御言・御書一四四七ページ)と戒められています。

日蓮が尊敬している天台大師が朝題目、夜念仏を唱えていたでしょ。
亡くなるときも念仏だ。
て、日蓮自身、念仏を唱えていたではないか。
起請文でも明らかだけど、日蓮本仏だと「南妙法蓮華経」は、仏の名前て言ってるではないか。
それなら、仏の名前を念じているのだから念仏とも言えるぞ。
大白法の編集者も顕正会と変わらないな。



 大聖人の教えは、末法のすべての人々を成仏に導く唯一の大法です。
 この大法を信じながら他の宗教を混じえることは、同じように成仏の道を閉さすことになります。

あのさ! 下痢で亡くなった人が他人を救えるのか?
まして、幽霊になって弟子の前に現れて助けを求めて居るではないか。
え!異流儀他門流の伝説だからと言わないでね。
大石寺でも伝説・伝承を根拠にしながら他はダメとかいうのは、誠実ではないからね。

そして、日蓮の教えは、成仏に導くと言うより、執着という物を塗り固めるから、地獄とか三悪道に落ちる因になります。



 また大聖人が、「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地役にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」 (曽谷殿御返事・御書一〇回○ページ)と説かれているように、いかに正法を持っても、ほんの少しでも法に背くことがあれば、あたかも千杯の漆に一本の蟹の足を入れて、漆の効用をなくしてしまうようなものであり、堕地獄のもとになるのです。

 正しい仏法は、余事を混じえずに信仰しなければ、なんの功徳もありません。
 大聖人が、「此の南無妙法藻草経に余事をまじへば、ゆヽしきひが事なり」(上野殿御返事・御書一二一九ページ)と仰せのように、成仏の大利益は、日蓮正宗の仏法に余事を混じえず、清浄な心をもって信じ行ずるとき、初めてもたらされるのです。
(正しい宗教と信仰 三二三ページ)

女犯を犯してる坊主もどきがいってもね。
日蓮正宗の自称僧侶。
宗祖日蓮を筆頭に全員が、私度僧の集団。
コスプレして頭を丸めているだけの在家ではないか。
こんなのに布施しても功徳にすらならないどころか、謗施になるだけ。
仏法誹謗の集団に布施など悪因を積むだけだよ。


【折伏実践のために】

【正しい信仰を見極めるには】

 人は、信念を基として生活を営みます。そしてこの信念こそ、信仰によって確立されるのです。
 ですから、一人ひとりの信じる教えの善悪・勝劣が、私たちの幸不幸として厳然として現われます。


【信念】
1 正しいと信じる自分の考え。「信念を貫き通す」「固い信念」
2 宗教を信じる気持ち。信仰心。
正しいと信じているからて根拠も何もないのは、妄信といいます。
カルト特有の信念を持って信仰をとかいうんだよね。

善悪、勝劣とかいうのなら、論証が出来る。
しかし、論証もまともにできないのが日蓮正宗の信仰。


 故に、本文冒頭の通り「もっとも勝れた宗教を選び、誠実で清らかな信心を貫くことが大切」なのです。
 宗教を選ぶには、判断基準が必要になります。
仏教ではその判断基準を「教相判釈(教判)」と呼んでいます。
 日蓮大聖人様は、五重相対と五重三段という教判によって、一切の教えについて浅深と勝劣を比較判定されています。それによって導き出された法華経本門寿量品の文底に秘沈された仏法こそ、唯一の真実の教えなのです。

教判とかいうけどさ、日蓮の視点の教判でしょ。
他の宗派は他の宗派の視点の教判がある。
ぜんぜん、説得力がない証明でしかない。

まして「法華経本門寿量品の文底に秘沈」てなんの根拠も論証も、文証もない。
日蓮が勝手に脳内妄想で言ってるだけのこと。
違うというのなら証明して下さいね。
論証で証明すればいいだけ。
でもできないで、正しいとか言うのだから自己中な我が儘というのです。



 この真実の大法に毒を加えたり、真正の宗教を見えないように覆ってしまう宗教を信じることは、あたかも五里霧中の迷妄の中へ自ら進んでいくことと同じです。
 大聖人様は、『上野殿御返事』に、「末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」(御書 一二一一九ページ)と仰せあそばされています。
 唯一の正法たる日蓮正宗の信仰に不幸の根源たる邪な宗教を雑えて信仰することが、いかに間違いであるかを知っていただきたいと思います。

正しい釈尊の教えを歪めているのが日蓮の教え。
釈尊は一言も「南妙法蓮華経」がとか言ってない。
不幸の原因は日蓮の教えになる。
諸天に申しつけて、蒙古を焚きつけて日本を攻めさせたんでしょ。
国賊ではないか。


【功徳ある信仰を】

 「初詣は神社、結婚式は教会、葬式はお寺」と揶揄されるように、日本人の多くは、宗教への認識は曖昧です。
 私たちは、日々様々な事象に縁する中で、喜怒哀楽などの感情や思いが起こり生活をしています。
 折々に「学業成就」「良縁成就」「商売繁盛」など、祈願・祈祷を謳っている神社仏閣に足を運ぶのは、願いを叶えて幸せになりたいからではないでしょうか。

 信仰は、対象となる本尊に手を合わせることにより、感応道交の理の上から、その人の生命が強く感化されるものです。
 「お守りを買ったから大丈夫」とか、「占いが当たって幸せです」等、何らの根拠もない話に翻弄されている人をよく見かけます。しかし実際、人生に災い・不幸が起こったときには、「どうして、こんな目に遭わなければならないのだろう……」などと思い悩みます。誤った宗教の影響が生命に染まり悪果をもたらす、という因果の道理が判らないのです。

初詣に寺に行くとかは仏教の教えにはない。
初詣は神道から始まって無節操に取り入れただけでしょ。

祈願、祈祷にしても仏教ではそんな思想はない。
中国を経由して中国思想が混じり、日本仏教と確立して、祈願、祈祷と言う仏教にない思想が混じってしまった。
それを仏教だとか言って、寺で「学業成就」「商売繁盛」などの、祈願、祈祷をして居るではないか。
他宗となんら変わらないぞ。

「信仰は、対象となる本尊に手を合わせることにより」てこれは、仏教だけでしょ。
神道では手を合わせるて、してないぞ。

「感応道交の理の上から」て言うのも、日蓮の魂が入ってるのか知らんが、板きれを拝んでいるから、日蓮正宗、顕正会、創価学会てみんな、気性が荒いんでしょ。


 狐を拝めば狐の性分が現われるように、低劣な本尊や誤った宗教を信仰すると、必ず悪影響が生じ、それが堕獄の因となるのです。
 大聖人様は『曽谷入道殿許御書言』に、「専ら一閲提の輩を仰いで棟梁と恃のみ、謗法の者を尊重して国師と為す。(中略)釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す。不孝の国は此の国なり」(同 七八一ページ)と仰せあそばされています。
 法華講の信心活動は、すべて宗祖日蓮大聖人の御心を心とし、本門戒壇の大御本尊様に対し奉る御報恩の行です。私たちは、仏道修行の目的である「成仏」のため、正しい御本尊様への確信を持って、妙法を実践していくことが大切です。

狐を拝んでいる人は居ない。
宗教とか語りながら無知をさらけでしている。
稲荷のことを言っているのだろうが、狐を拝んでいるわけではない。
狐は神氏(しんし)であり眷属である。
それを拝むことはないのである。
誠実なら嘘を振りまいてはいけないな。

でも、日蓮の板きれを拝んでいるから感応道交、嘘も平気でつけるんだろうね。
違うとか否定しても大石寺三兄弟を見ていれば明らかでしょ。

「釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す」て言いながら、日蓮本仏で、釈尊より偉くして居るではないか。
教主に違背しているのは、日蓮正宗である。
そして日蓮自身が教主と仰いでいるのだから、日蓮本仏論は邪義。
でもね、仏に上下はないのだよ。
みんな同列。序列を付けている所は、邪義を唱えているところばかりでしょ。
「阿羅漢」と「如来」は悟った人では同じだけど、悟りの深さが違うから、上下はあるよ。
ただそれぐらいだね。



【三業相応した信仰】

 仏教では、「身・口・意の三業」が、相応することの大事を教えています。
 身口意の三業とは、身に行うこと、口に言うこと、心に思うことで、これら身口意の働きは、私たちの生活のすべてを尽くしています。身口意の三業にわたって、正しい日蓮正宗の信心修行に励み、悪業を戒めて、善業を積ませていただくことが大切です。

 江戸時代、民間で日本六十六国の観音菩薩に法華経を一部ずつ納めて回ることが広く行われていました。その行者に対して十九歳の市之進という青年が、「口に南無阿弥陀仏を唱え、心に観音菩薩を念じ、諸国に法華経を納めるあなたの身・口・意は相応しておらず、その行いは支離滅裂ではないか」と、筋道の通らないデタラメな信仰姿勢を問い質されたという逸話が残っています。この青年こそ、後の総本山第二十六世日寛上人です。

 日寛上人は『妙法曼陀羅供養抄記』に、「心に本尊を信ずるは意業の供養なり。口に妙法を唱うるは口業の供養なり。身に曼陀羅を礼するは身業の供養なり」(御書文段 六九三ページ)と、身口意の三業にわたった至誠な信心を持つとき、必ず御本尊様の大功徳が得られることを示されています。正しい御本尊様への供養によって、幸せな生活の確立はもとより、成仏という幸福な境界に至ることができるのです。

 せっかく幸せになろうと信仰しているのに、その拠り所がいくつもあっては、自ずと行動(身)や発言(口)も一貫性がなくなってきます。このような信仰姿勢では、たとえ正しい御本尊様を信受していても、邪な道理を説く宗教の毒を雑えてしまうのですから、本来得られるはずの功徳も戴けません。

謗法与同の法主、日寛さんの逸話?
どうせ、盛り込んでいるだけでしょ。
幕府の責めが恐いから他宗と同座して、折伏も破折もしてない。
仙台で揉め事があったら、慈悲深く知りません。と見捨ててしまった。
法難に合うのが恐いから、幕府の言うことを聞いておとなしくしていた。


【余事を雑えず正直な信心で】

 御法主日如上人猊下は、「人は、とかく理屈では解っていても、わずかな欲望や魔緑にたぶらかされて、刹那的な快楽や名聞名利を追い求め、大事な時間を無駄にして、挙げ何の果てに、一生をむなしく過ごしてしまうことが多々あります。
  こうした惰弱(だじゃく)なる命を強靭な命に改変していくことができる唯一の道こそ、大聖人の仏法であります」(大白法 七〇五号)と御指南されています。
 私たちは、他の宗教という余事を雑えず、正直な一念で、勤行・順順、折伏・育成に励んでまいりましょう。

日如さんの言葉は、説得力0だよ。
名聞名利を求めた、建物行政を強行して実績作りに躍起になっている。

折伏折伏と言うけど、言ってる本人は、折伏に役に立つことをしたか?
しているか? 率先してお手本を見せる立場が何もしてない。
布教部長も口先だけで、何もしてないではないか。
無能な人間で権力を握ると、口先ばかりなんだよね。

自分の弟子が不祥事を起こしても知らぬ存ぜぬ。
女性に暴行を加えた時点では、弟子だよね。
なら、師匠として申し訳ないと謝るぐらいはするべきでしょ。

また、弟子が自殺しても葬儀にしら参加しない。
弟子の成仏を願って師匠自ら引導を渡してあげるべき事ではないか。
それすらできないで、法主と偉ぶっていてもむなしいだけの畜生ではないか。
池田さん、淺井さんとか言ってもそれ以下だぞ。
この行動だけは、人として最低限以下、クズだね。



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最終更新日  2017年04月30日 21時05分14秒
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2017年04月23日
カテゴリ:日蓮正宗
フェイク 第1577号 (発行=17.04.13)

日成寺の住職が首吊り自殺!
無謀なノルマと人間関係に悩んだ安孫子信洋 冷酷で無慈悲な邪宗門の悲しい犠牲者


日蓮正宗・日成寺(埼玉県朝霞市)住職で権大僧都の安孫子信洋(写真)が三月二十四日朝、寺の敷地内で首を吊って死んでいるのが発見された。四十六歳だった。

身内の嘆き悲しみは察するに余りあるが、知らせを受けた早瀬日如は顔色を変えて「えっ」と言った後、暫くの間、言葉を失っていたということである。

 自殺の原因は、残された遺書によると、日如が打ち出した過酷な折伏ノルマの進捗状況を苦にしており、そのうえ、寺の法華講員との人間関係にも悩んでいたことがうかがえた。

 日如が絶句したのも無理は無い。安孫子は昨年十一月二十四日、佐々木正演の後任として同寺の第二代住職に就任したばかりだった。 安孫子は就任の挨拶で「宗開両祖の御聖訓を心肝に染め、大法広布、寺運興隆、寺檀和合に精進し、以て仏祖三宝の御恩徳を報じ奉り、御法主日如上人猊下、御師範日顕上人猊下の御慈悲にお応え申し上げる覚悟でございます」と述べていた。

それから僅か四ケ月後に、このような悲劇が起こるとは誰も予想できなかった。

 故人を良く知る人達は異口同音に「真面目な人でした」と言う。日蓮正宗の僧の中では珍しく正直で誠実な人柄だった。

それだけに宗務院布教部の度を過ぎた厳しい締め付けに耐えられず、自ら命を絶ったと思われる。実に痛ましいことである。

 日蓮正宗の僧の中には、詐欺まがいの折伏を成果として数え、或いは帳尻合わせの成果で誤魔化すような狡猾な住職もいる。

そんな悪辣な坊主と違って、正直な安孫子を日如や布教部長の阿部信彰らは自殺するまで追い込んだ結果の悲劇であり、冷酷で無慈悲な邪宗門の悲しい犠牲者といえる。

葬儀の導師を断った日如に「冷酷だ」の声

 本来なら住職の死は速やかに「宗務広報」などで宗内に知らされ、日如が大導師を勤めるのだが、安孫子の場合、直ぐには徹底されなかった。

しかも、日如は通夜にも告別式にも姿を見せず、埼玉布教区が主体になって二十七日に通夜、二十八日に葬儀が佐藤日栄の導師で行なわれた。その日如の仕打ちに「余りにも冷酷すぎる」と関係者は嘆いていた。

 安孫子は昭和四十六年二月生まれ、同五十八年に得度。信善寺やブラジルの正法寺住職を経て昨年十一月に日成寺の住職になった。

 毎年、信徒の一割増という乱暴なノルマに苦しみ、悩んだ末に還俗し、或いは隠居した者もいる。ストレスが溜まって性犯罪に走った住職もいたし、法敬院(対馬市)の長野良宏のように親元に逃げ帰った者もいる。そして遂に、住職の自殺という最悪の事態を招いた。

過去には火災で焼死した法主(日恭)、地震で倒れた石塔の下敷きになって死んだ学頭(久遠院日謄)、自業自得の罪で自ら命を絶った住職などはいた。だが、無謀なノルマを苦に前途ある住職が自殺するとは、日蓮正宗の末期的症状を象徴する出来事といえよう。

創価新報でも記事が出ていたが、死因は書かれてなかった。
正しい本尊を守っている坊さんがこれだ。
同じことを書くが、他の組織なら、偽本尊を拝んでいる害毒という法華講員。
いい訳を言ってご覧。

他宗派にはボロクソで、自宗の場合は、反省も弁明もないで、スルー無視。
本当に卑怯な事をするのが日蓮本仏信仰圏の特徴だ。

こういう、卑怯卑劣なことは、宗祖日蓮もしているから祖師の悪い部分を受け継いで居るんだろう。

それにしても、法主の無慈悲ぶりも凄いね。
自殺なら成仏はできない。
追善回向でも無理だけど、少しでも回向して再度人間界に生まれて、仏道修行をして成仏できるように祈るのが法主の役目ではないかと思うが、名聞名利に走ってる日如さんでは無理か。
でも大石寺での良いところは、無能でも法主が出来る。成れる。
家柄で法主になれる。
もう、私物化された宗派だよ。

こんな阿部日顕、早瀬日如系統しか出世できない私物化された宗門など魅力もなにもない。
こんな宗門なのに、顕正会、創価学会が云々とか言う資格すらないだろう。
でも自分達のところを棚上げにして自己中心的な我が儘な事をいうのは、どこも日蓮信仰者と言える。
日蓮の自己中心的な我が儘な論は、昔からである。
でも、こんな子供騙しのいい加減な論、教学を信じていた自分も情けない。
デタラメばかりの御書。
大嘘つきじゃん。
だから、末法無戒とか言うんだろう。
持戒すら保てない大嘘つきなんだからね。
戒があったら困る。
でも、律がセットでない戒律なのだから、戒ぐらいは保ってもいいのだが、これが、自称坊主だから戒すら保てない。

現代風に言えば、コスプレをしている自称僧侶。坊主でしかない。
そして少し頭が病んでいる我が儘なおっさんでしかない。
それが日蓮である。

苦情クレームがあるのなら堂々とどうぞ。
罰が出るとか現証が出るとかオカルトな事を吠えてないで、言いたいことが有れば言おう。
もちろん、書き逃げとか卑怯なことはしないでね。
自分達が正しい信仰をしているというのであれば、正々堂々と出来るでしょ。




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最終更新日  2017年04月23日 23時59分57秒
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カテゴリ:日蓮正宗
フェイク 第1572号 (発行=17.03.13)

元日蓮正宗僧・西村正雅に有罪判決
懲役三年、保護観察付きの執行猶予五年
強制わいせつ致傷、強盗傷害、下着泥棒


日蓮正宗(総本山は静岡県富士宮市内)の゛破廉恥坊主゛として、国内はもとより、広く海外にも知れ渡っていた西村正雅(四五歳)に十日、有罪判決が下りた。

強制わいせつ致傷、強盗傷害、下着泥棒の罪に問われていた西村被告の裁判員裁判の判決公判で静岡地裁沼津支部は同被告に懲役三年、保護観察付きの執行猶予五年(求刑は懲役五年)を言い渡した。

 判決によると、西村は平成二十八年八月二十三日、静岡県三島市内で県東部の四十代の女性に背後から抱きついて転倒させ、わいせつな行為をして約一カ月の怪我を負わせ、更に、清水町内では県東部の五十代の女性に暴行を加えて転倒させて下着を奪い、約二週間の怪我をさせた。

 また同日、三島市内のアパートや一般住宅の軒先で下着を十三枚も盗んだ窃盗罪という悪質な犯罪を重ねたとしている。

 斎藤千恵裁判長は量刑理由で「わずか半日の間に犯意や態様をエスカレートさせた」とする一方で「性犯罪者処遇のプログラムなどを通じて再犯防止に向けて改善更生を図る」と説明した。

この判決に先立つ八日の論告求刑公判て、検察側は「ゆがんだ性的欲望を満たすための犯行で、被害者に肉体的、精神的に苦痛を与えた結果は重大である」と指摘していた。

 西村は犯行時の二十八年八月二十三日は開道寺(北海道留萌市内)の住職で日蓮正宗の総本山・大石寺での全国教師講習会に参加するために静岡県に来ていた。逮捕された時、西村は「いたずら目的だった」と容疑を認めていた。「教師講習会に来て婦人に暴行し、わいせつ行為を働き、女性の下着を十三枚も盗むとは、大石寺はどんな講習をしているのか? 甚だ疑問だ」との声も聞かれ
た。

西村は昭和四十六年四月十九日、本山・久成坊の西村荘道(故人)の次男として生まれ、同五十九年に得度。平成八年四月に教師補任、平成十三年には青森の法典院主管になり、平成二十六年にはシカゴの妙行寺住職になったが、法典院時代の金銭不祥事が発覚して住職を解任された。

だが、約半年間の謹慎を経て平成二十七年七月、開道寺の住職になっていた。

西村一族は父親の荘道の頃から極悪坊主の日顕に近いと言われている。正雅の兄で日顕の元奥番・道超も平成十二年には交通死亡事故を起こし、業務上過失致死罪で実刑判決を受けて僧籍を剥奪され、服役していたが、その後、宗門に密かに復帰している。

西村は拘置所で還俗届を書いて現在、僧籍はないが、やがて「保護観察付き僧」として日蓮正宗に復帰するのだろうか?

日蓮本仏信仰をしていると、最後はこのような末路になるて見本ですね。
ましては、日蓮の遺弟の弟子なのだから信徒の見本、指導する立場でこれだ。
六根清浄と無縁なのが大石寺系の信仰。

あsて、この問題に関しては、法華講員はダンマリ。
他の教団なら、間違った信仰をしているからとボロクソ状態でしょう。

大石寺三兄弟の次男(学会)三男(顕正会)なら、間違った本尊、偽本尊を拝んでいる害毒と言うでしょう。
端から見れば、本門戒壇の大御本尊という偽物を間近で拝んでいる害毒と言いたい。
ま、害毒ですけどね。
現宗門の体勢を見ても如実に物語ってる。

今の法主がもうダメダメの無能に輪を掛けて最悪だからね。
日如てのがなに、中興の祖とかいわれている日寛さんが最初は、「覚真日如」て名前だったんだね。
謗法与同の法主日寛さん。
謗法与同の容認法主日如サン。
同じ日如だから、最悪てことだね。w


で結局、この西村さんのことは、本山ではなにも言わない。
被害者に謝罪もしてない。
こんな状態で、広宣流布、衆生救済など無理でしょ。
身内の坊主すら救えないで、他人様を救えるはずがない。

本当に成仏を願うなら、日蓮本仏信仰以外の方が可能性は高い。
間違いなく言えるのは、仏を誹謗する日蓮本仏信仰では、良くて天界。
せいぜい三悪道のどこかに行くのが落ち。
後生を考えるのなら、日蓮本仏信仰だけは辞めた方がいい。


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最終更新日  2017年04月23日 23時42分28秒
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2016年12月30日
カテゴリ:日蓮正宗
新年あけまして~て、まだ早いw
正月は風習だからと言うけど、宗教行事ですからね。
新年の年神様を迎える行事。
謗法行為になるから大石寺三兄弟ではやりませんよね。
門松なんか以ての外。仏教では門松なんか邪教しか飾らないのに、正当な仏法を実践していると事は飾らないでしょ。w

筆者は仏教徒だから年末年始は関係ないですけど。
インチキ法華講員の為めに、猊下様の有り難いお話しを先行で公開です。



大白法 平成29年1月1日号(948)

【立宗七百六十五年の新春を寿ぎ奉る】

 立宗七百六十五年の新春を迎え、御隠尊日頭上人猊下には御機嫌麗しく新年をお迎えの事と慶賀に堪えません。
 また、法華講大講頭・法華講連合会委員長星野浩一郎氏ほか全国の法華講員御一同には、清々しく新春をお迎えの事と存じます。

隠居に猊下の呼称は要らないでしょ。
猊下は一人なのだから、なんで、院損に猊下を付ける?
こういうところは日蓮正宗はとてもおかしい集団。


 さて、本年は「折伏育成の年」であります。
 大聖人は、折伏について『聖愚問答抄』に、「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権経謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。 此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらは威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(御書 四〇三ページ)と仰せられ、
『如説修行抄』には、「今の時は権経即実教の敵と或る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良に故あるかな」(同六七二ページ)と仰せであります。

「法門を以て邪義を責めよ」てギャグなんでしょうか?
法義体系すら上代には纏められてない。
宗祖自身が、法門を明確にしてないから、上代で纏めることが出来なかった。
他の祖師だと、何かしらの書き物を残しているが、日蓮上人は残していない。

御書と言われているのは、遺文であり、法門を書き残したものではない。
今ある法門と言われているのは、日興の法門であり、中古天台の亜流。
そして日寛の己義も混じって、ザル法門が大石寺法門。

だから坊さんは、法門を以て邪義を責めないでしょ。
折伏と言うのは、信徒がさせられているでしょ。
もし通用すると思っているのなら法主が率先して、他宗と法論をしますよ。



正しく、此等の御金言の如く、五濁乱漫として人心が極度に撹乱し、邪義謗法が充満している末法今日においては、摂折二門のうちには像法過時の摂受ではなく、折伏を以って邪義邪宗の謗法を破折していく時であることを一人ひとりが銘記し、講中一緒して、折伏を実践していくことが今最も肝要であります。と同時に、折伏したあとの育成が極めて大事であることを知らなければなりません。

 抑も、折伏と育成は一体であり、折伏した人を正しく育成していく責任は、折伏した人は勿論のこと講中全体の責任であります。講中が折伏と同様、組織を挙けて育成に取り組むことによって、はじめて激烈なる広布の戦いに耐え得る強靭な組織が構築され、更に教戦を拡大して一天広布へ向かって大きく前進することが出来るのであります。

それらしい事を言ってるけど、よくよく見ると超~無責任な発言だよね。

折伏を以て邪義邪宗の謗法を破折てこれは坊さんの役目でしょ。
宗祖が信徒に折伏て言っていたかな?
弟子が率先してすることを、遺弟は率先してしないばかりか、信徒に丸投げだからね。
先師の如くなら、町中に出て辻説法でもしないとダメでしょ。
宗祖がしてるのに後の弟子はしないのだから、折伏と言っても説得力がない。
また他宗に対して法論を申し込んでいないのだから、坊主が如何に口先だけかと良くわかる。

育成に関しても折伏した人に投げて、次に講中に投げている。
でも組織というのは、宗門全体だよね。
指導する教師(先生)が坊さんなのだから、坊さんが育てるのは本来の師弟の道でしょ。
だから指導教師ているんだからね。
信徒が育成までするのなら、指導教師は要らない。
無駄飯ぐらいのお荷物でしかない。

そして育成と謳わなくても、持続的に行うのが育成。
疎かにしていたから育成を打ち出していると言える。
坊主の怠慢だね。


 今宗門は、各講中共に、僧俗一致・異体同心し総力を結集して、来たるべき平成三十三年宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年法華講員八十万人体勢構築へ向けて力強く前進しています。
この時に当たり、一人ひとりが折伏と育成の両義を確りと確認して、講中一緒・異体同心して誓願達成へ向けて進むべきであります。

 就中、本年は「折伏育成の年」であります。講中全員が折伏に立ち上がり、講中が責任を持って折伏された人が折伏する人になるように育成していくことが本年最も肝要とするところである事を銘記され、愈々自行化他の信心に励まれますよう心から願い、新年の挨拶といたします。

新年の辞 総本山六十八世日如

僧俗一致といいながら坊主は何をしている。
育成はしない。折伏はしない。
責任は信徒に押しつける。

「講中が責任を持って折伏された人が折伏する人になるように育成していくことが」て、坊さんはどこにいるの?

坊さんの法話で信徒を育成するんでしょ。
だから御講参加で育成て言ってるんだから。
もう、無責任も極まってるね。
除籍してもいいぐらい、無能な法主だよ。

と言うことで、年末のご挨拶とさせていただきます。w
みなさん、良いお年をお迎え下さい。


でも、顕正会も少しw

「聖滅736年の新春を迎えて」て、亡くなってから数えてるんだよね。
生誕の方でお祝いを言わないのが顕正会の面白いところ。
ふつうなら、仏が生まれてから何年の目出度い新春とかなるんじゃないの?

でも、御大会とか聖滅とか亡くなった方を歓んでお祝いするのだから、魔の眷属集団だろうね。

そして、「国難4年を迎えて」とか大見出しが出そう。
そして国難9年目ぐらいに、仏法の第一人者、淺井昭衛先生入滅。
そのごは、聖滅と淺井先生入滅1年とかカウントしていくのかなw

では、本当に良いお年をお迎え下さい。
(年内最後の更新予定w)

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最終更新日  2016年12月30日 23時04分53秒
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2016年12月17日
カテゴリ:日蓮正宗
【折伏と育成は御命題達成の要】

 先般宗務院より、明年平成二十九年の年間方針が「折伏育成の年」と発せられました。
 折伏と育成はあたかも車の両輪のようなものでございます。両輪のどちらが欠けても、車は前進できず、目的地へ着くことができません。同様に、折伏と育成もどちらが欠けても、広宣流布は前進せず、御命題は達成できないのでございます。
宗務院の通達に、「果敢な折伏と不断の育成を徹底し、短期・中期・長期それぞれに活動計画を立て、全講員が参加して組織戦を展開し、御命題達成に向かって油断なく前進いたしましょう」(院第三二〇一号)とありますように、ご参会各位全支部が、この通達を着実に実践して、御命題達成に向かって大前進していただきたいと存じます。

普段から育成をしないで、折伏と言う名の勧誘にばかり走らせるから、今頃になって育成とか言い出す愚かさ。
学会問題が勃発する以前から育成をしていれば、育成、育成と言う言葉は必要ない。
育成は広宣流布になるまで続けなければいけないこと。
当たり前のことを、一々言うようではダメな組織なのである。

また、自分自身の信心が定まってないのに折伏勧誘に走らせるのは、愚の骨頂である。
だから信徒数は増えても、御講参加、登山参加者が減る。激減してるではないか。
そんな状態でも参加者が増えないのはどうしてかて、末寺にアンケートを取るなんて、バカ丸出しだろう。



 次に実践三項目の、
 (1)勤行・唱題で折伏完遂
 (2)御講参詣で人材育成
 (3)講中みんなで支部総登山につきましても、同時に宗内一般に通達が発せられました。
 
(1)「勤行・唱題で折伏完遂」につきましては、朝夕の勤行と唱題は、仏道修行の基本であります。
 勤行・唱題をしない日蓮正宗の信心はありません。時間を決め、お水を上げて、真剣に勤行・唱題をいたすべきであります。その御本尊様を根本とした信仰の生活を、謗法の人に教えて差し上げるのが折伏であります。
 故に折伏した方には、着実に御本尊下付へと進め、その方が勤行・唱題し、さらには自ら折伏が実践できるように折伏の仕方をお教えして、育成に努めていただきたいと存じます。

折伏(勧誘)の仕方を教えるて・・・
教えるのではなくて、見本を見せるのが大事ではないか?
折伏の仕方を教えたのに折伏が出来ない末寺が多いのでしょ。
それって教えてる(指導してる)布教師に問題があるって事でしょ。
教え方が悪い。
現場を知らない教えだから通用しない。
ならどうするかと考えれば、布教師が実践してお手本を見せる。
上手くいけば、教えに問題がないから、教えられた方。末寺信徒の折伏の仕方が悪いとなる。
上手くいかなければ、布教師の教えが間違っている。てことでしょ。


 次に、
 (2)「御講参詣で人材育成」につきましては、折伏した人を連れて、一緒に所属寺院の御報恩御講へお詣りすることが大切であります。
 御講で指導教師の法話を聞き、座談会や会合へ参加することにより所属寺院への菩提寺意識を高め、支部での異体同心の信心を培うことができます。
このように御講参詣は、広布の人材を育成するための重要な行事でありますから、その啓蒙を強力に進めていただきたいと存じます。

指導教師の法話が法話になってないからな。
ありがたい内用でもないし、聞いて良かった話でもないからね。
もう少し切磋琢磨して法話の内容が良ければやぶさかではないけどね。

他宗派の法話が載ってる本とか読むと、いい話が多いよ。
それと比べたら、正宗坊さんの話はつまらない。
面白くないてことで、大石寺三兄弟の中で一番、無駄時間になってしまう。
顕正会も酷いけど、会員に笑いがあるていどには面白いわけ。
でも内容が正しいとか言う部分は除外。嘘・詐りばかりだからね。

そして学会員の話は面白う人が多い。それに嫉妬した坊さんも多々居るでしょ。
話し方が上手いのを求めてないから。
淺井昭衛みたい口先の詐欺師ではなくて、話の中身が重要なの。

「御講参詣は、広布の人材を育成するための重要な行事でありますから」て言うのであれば、信徒からの質問を受けようよ。
答えられる坊さんがどれぐらいいるかだよね。
いい加減な回答をしたら、気がつく人は気がつくだろうし、やはり出来ないか。
人材を育成すると言うのであれば、御講での法話の内容についての質問ぐらい受けよう。
受けるように通達しよう。
僧侶指導で折伏・育成でしょ。実践しようよね。


 次に、
 (3)「講中みんなで支部総登山」につきましては、大御本尊と血脈の御法主上人猊下在す総本山は信仰の根本道場であります。故に入信された方を早期に総本山へお連れして御戒壇様にお目通りをさせてあげることが大切であります。
 特に支部総登山はその好機と捉え、講中一丸で支部総登山に参加されることが大事であります。

なんで、支部の都合に合わせなければいけないのかな?
仕事の都合で平日しか休めないとか居るわけでしょ。
そう言う人に配慮が微塵もない。
まして添書登山でもいい訳でしょ。

でも一番の問題が、大石寺は見る物が無いw
日蓮上人ゆかりの物がない。
ゆかりの物と言われてる「物」はあるけど、山内の建物とかはゆかりがない物ばかり。
そして布教講演の中身がない。
この布教講演でも判るように中身がないw



【努力に努力を重ね誓願達成を】

 さて、御法主日如上人猊下は去る十一月度広布唱題会の砺、「私どもは、この日目上人の広布のためにその尊い御一生を捧げられた崇高なるお振る舞いを拝するとき、万人ひとりがその志を継承して、たとえいかなる困難や障害が起きようとも、万難を排し、一天広布を目指して、破邪顕正の折伏に励んでいかなければならないと強く感ずるのであります。
 特に今、宗門は、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築を目指して、各支部ともに力強く前進しております。(中略)

 いよいよ本年も残りあと二月、もし、いまだ誓願を達成されていない支部があれば、講中一結・異体同心して題目を唱え、弛まず努力に努力を重ね、なんとしても本年度の折伏誓願を達成して、もって大御本尊様の御照覧を見事、仰がれますよう心から願い、本日の挨拶といたします」(大白法 九四五号)と御指南をあそばされました。

 ご参会皆様の中で、この御指南の「いまだ誓願を達成されていない支部」の方は、いらっしやいますでしょうか。
 その方は、お帰りになりましたならば、本年残りのひと月余、本日の御大会参詣の功徳をもって勇猛果敢に折伏を実践され、必ず本年度の折伏誓願を達成いたされますようお願いを申し上げます。

 そして、大御本尊様の御照覧を仰がれますと共に、御法主上人猊下の御慈悲にお応え申し上げていただきたいと存じます。
 平成三十三年の大聖人様御聖誕八百年の前年、平成三十二年には日本でオリンピックが開催いたされます。
 「礼楽前(れいがくさき)に駆せて真道後に啓く」(御書五二四ページ)との言葉もございますが、まさにオリンピックが御聖誕八百年に先駆ける、プレ大会のような運びでございます。
おそらく世界の国々から大勢の方が、この日本を訪れると予想されます。

 どうか御大会ご参詣の各位、皆様におかれましては、一切衆生を我が子とされる主師親三徳の大聖人様が、末法に御出現あそばされた目的であります一天四海皆帰妙法、一閻浮提広宣流布の時節いよいよ到来と確信いたされまして、八十万人体勢構築の御命題達成へ向け、地涌の菩薩のご自覚も深く、ますますお元気でご精進いたされ、もって全支部が御命題を必ず達成いたされますことを、衷心よりお祈りを申し上げまして、これにて失礼をいたします。
          (文責在編集部)

顕正会員が登壇で、正宗の坊さんの話が難しい。判らないてあるけど、確かに内容は難しいよ。
話してる本人も理解してないから話をかみ砕いて話せない。
難しい言葉をたくさん出せばいいってものではない。
一般人向けに話すような内容なら、判りやすさを考えて話すから判りやすくなる。
でも、あまりに優しい内容だと、本来伝えたい事柄を伝えられないこともあるから、その辺は、能力の問題だろうね。

「一切衆生を我が子とされる主師親三徳の大聖人様が、末法に御出現あそばされた目的であります」て、我が子だったの?
それなのに、謗法者を由比ヶ浜で頸を切り、寺社を焼き払いて我が子に言う言葉か?
で、主師親の三徳て中国佛教思想だよね。
それでも、日本仏教というインド仏教でも中国仏教でもない、仏教だからね。
先祖供養は本来の仏教にはないからね。
と言うことで、布教会会長の有り難い内部向けの布教講演でした。
いつ、外部向けの布教講演してくれるかな?
拝聴しに行くよ。w(一応信徒だけどw)


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最終更新日  2016年12月17日 20時55分36秒
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