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2017年03月27日
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カテゴリ:パワースポット
rblog-20161127225910-00.jpg
「神社」と名がつくところは多数ありますが、平安時代に制定された延喜式神名帳で「神宮」と呼ばれるものは伊勢・香取とここ鹿島神宮の三社だけ。
遥か古代より聖なる地とされた鹿島神宮をご紹介致します!



ここ鹿島神宮の御祭神は国譲りで最高の功績を成した武甕槌神(建御雷神)。
古事記にもあるように、タケミカヅチ神は武勇に秀でていたため、鹿島神宮は武道・戦の神としていにしえより様々な方々が参拝して来ました。
その歴史は古く、創建は神武元年。全く創造のつかない遥か古代からあるのです。
ここで1つポイントです。
古事記を読まれた方なら神武と聞いてピンと来たはず。
神武東征の時、熊野山中で怪しげな霧に包まれたカムヤマトイワレビコを救ったのは、タケミカヅチでしたね。
その時、高天原からタケミカヅチが芦原中津国へ落としたのが、フツノミタマという剣でした。
その剣が、なんと宝物館に展示されているのです。

とにかく凄い、ということは今申し上げた通りですが、その御利益・御力もすごい。
タケミカヅチを祀りしていると言うところで御察しがつくかと思われますが、鹿島神宮は「勝利の神」。
古くは剣術の聖地でもあり、数々の歴史上の要人・武将からの崇拝を受けてきました。
また、ここを訪れると人生が変わる、という言い伝えもあります。
そしてついた名が「はじまりの地」。
「鹿島立ち」という言葉もあるほどです。
大化の改新における中臣鎌足や東征における坂上田村麻呂の勝利は、これぞ鹿島神宮の御利益と言えるものかと思われます。
最近では、Jリーグ・鹿島アントラーズの劇的勝利なんてこともありましたね。

別の角度で見ると「レイライン」というキーワードがありますが、今回はあえて触れずにおきましょう。
ご利益をまとめると、勝負運・決断力・行動力・統率力・厄よけ。
いずれも武甕槌神の御神徳と思うとピンと来る内容ですね。

少し熱が入りすぎてうんちくばかりになってしまったので、そろそろ軌道修正致します。
rblog-20161122225723-00.jpg
駐車場からすぐのところにある大鳥居をくぐり、ちらほらと色づき始めた並木通りの正面に鮮やかな赤い門が現れました。
rblog-20161122225723-01.jpg
なんとなく何か訴えかけて来ている気がしてこの楼門の由来を調べたところ、徳川三代将軍家光の病気平癒を祈願した水戸藩初代藩主徳川頼房公(水戸黄門のお父さんです)が、病気が快方に向かったお礼として寛永11年(1634年)に奉納したものです。
rblog-20161204182747-00.jpg   

さあ、楼門を潜ると
rblog-20170108210531-00.jpg
本殿が現れました。
本殿は一番奥にある、という先入観が強いためか、一番偉い方が突然表れたので恐縮してしまいました。
入り口入ってすぐに本殿があるのにはどういう意味があるのか?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、以前の参道はこちらからではなかったと言うのが答えです。

いきなりの目標達成でしたが、ここからが奥深い。

rblog-20170326134758-00.jpg
本殿の左に広がる大きな参道を奥へと進みます。
あいにくの小雨日和でしたが、時折吹き抜ける風が心地よく感じます。
2千数百年の間、時代は常に移り変わり、ついには近郊もどんどん都会化してしていくなか、古来の姿の、いわば2千年前の森の中を進んでいきます。
ずいぶん広いなーってあとで調べると東京ドーム15個分の広さがあるそうです。
しばらく進んだところに何やら屋根が見えてきました。
rblog-20170326134758-01.jpg
奥宮です。
建立は1605年(慶長10年)。
もともと関ヶ原戦勝のお礼に徳川家康が本宮として奉納したものですが、1619年(元和5年)に2代将軍徳川秀忠が新たに現在の本殿を寄進するにあたりこの位置に移されました。

rblog-20170326134758-02.jpg
さて、ここで道が左右に分かれます。
右は「要石(かなめいし)」、左は「御手洗池(みたらしいけ)」。
迷うところですが、まずは右側の要石から。

要石とは、地震を起こす大鯰(なまず)の頭を押さえこんでいると言われる石で、かの水戸黄門が果たしてどのように埋まっているのか確かめようと思い立ち、七日七晩にわたり石を掘らせたがいつまでたっても石の底はあらわれず、挙句の果てにけが人が続出したため掘るのをあきらめた、と言われるものです。

それにしても、この森の中にいると不思議な感覚にしばしば取り込まれます。

参道とはいい変えると産道。
母なる神の神域に入り再び外界に出たとき、新たな自分に出会えるのかな、などと考えてしまいます。
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うっすらと霧の立ち込める道の奥にひっそりたたずむ鳥居が見えてきました。
要石です。
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この先に大鯰がいるのか?であれば未来永劫しっかりと押さえて欲しいものです。
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さあ、道を戻り御手洗池へ。
実は予習不足でそんなとこがあるなんて初耳かつ初見でした。
小さな手洗い場に何かしらの由緒があるのかなーと、たいして期待していませんでした。
がしかし!そこにあったのは想像を遥かに越える幻想的な光景でした!
rblog-20170326134758-07.jpg

見てください!ゲームや映画でしか見たことが無いような幻想的なこの景色。
この御手洗池は神代の時代、一夜にして湧き出し出来上がったとか。
そして大人が入ってもこどもが入ってもちょうど胸の高さに水面が来るそうです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
鹿島神宮
〒314-0031
茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
TEL 0299-82-1209
FAX 0299-82-1625






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最終更新日  2017年03月27日 00時14分46秒
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