次女4才。育児に思うこと。
きのうは、次女の4才誕生日でした~♪ 今年も、実家からいちごが届き、相方両親と呑むという楽しい日。 欲がない次女、お誕生日に食べたいものは?って聞いたら「いちごののったしろいけーき」と「しらすかっか!(しらすと魚が混ざって幼児語化w)」。 ほしいものある?って聞いたら「う~ん、わかんない。」 どっか行きたいとこある?って聞いたら「しらすかいにいく。」ってw なんて質素な子なんでしょう。。。(涙) いちおう、釜揚げしらすを次女専用にこんもり盛ってあげて。 いちごはあるからスポンジ焼いて中沢生クリーム塗ってケーキ作って。 普通にうれしそうに食べてました(笑)。 大人は記念の日だからとかって盛り上がるけど、本人にとっては日々淡々とこなしていく同じ毎日、ってかんじなのかもなあ。 大人が、お祝いしたい気持ち大きすぎてドラマを作っちゃうだけなのかもしれないね~。 4才になった気持ちは?って聞いたら「うれしい。」とは言ってたけど(笑) そういえば先日、誕生日前にあたっていろいろ聞いていたんだけど。 2才のときはどんな気持ちだった?って聞いたら「うれしかった。」で、1才のときは「たのしかった。」0才のときは「わくわくしてた。」んだって~。 面白いなあ、我が家の癒しちゃん(*^o^*) この子が生まれて、もう4年かあ。 いまおいらがここにこうしていられるのも次女のおかげだなー。 妊娠中からまーいろんなことを引き起こしてくれて。 いや、いま思えば引き寄せたのは次女じゃなくて自分なんだけど。 それにしても、次女が来てくれたおかげで、いろんなものから自由になれた。 かつて、自分には育児ができないと思っていたのが嘘のようだよね~。 長女が4才のときなんて、いちばん鬱どっぷりだったし。 自分もそうだったけど、周りを見てても、たいがいの人は育児に何かしら不満だったり不安だったりを持っている。そういう人がすごく多い。 子どもがこうだったらいいのにとか、自分の育児は正しいのか、とか内容は大なり小なりあるけど、たぶん多くの人が育児中に抱く感覚。 いまおいら、それがない。 怒ることはあるけど、悲しくなることがない。 んもー!って思っても、そのあと自分がダメだからとか思わないで、まーしょーがないか、と思えるようになった。 これって、外に求めなくなったからなんだ。 足りないもの探しをやめて、自分と子どもの中にあるものを認めるようになったら、とたんに解放された。 うちの子はこうしてくれない私にはこれができない、って、思いがちなパターンだけど、それってきりがない。苦しくなっていくだけ。 なぜなら、そこにあるのは恐怖だから。 いつでもいたずらとかしないでおとなしくしててくれたらいいのに、ってそれって愛? どんな子でも、おとなしくしてる時間もいたずらしてる時間もどっちもある。 なのに、自分にとって不都合なほうが目についちゃうってどうしてなんだろう? 無意識のうちに刷り込まれている思考~こうしないといい親じゃない、とか、こうじゃないといい子じゃない、とか、それってどこから来た評価なんだろう? 誰に責められるのを怖れているの? 子どものことも自分のことも、信頼できない? いやまあ、自分がされてきたことしてきたことを振り返っての感想込みですけども。 みんなさ~、そんなに育児を苦行にしなくていいのにね~。 愚痴は言ってもいいんだよ。でも、ずっとそこにフォーカスしてると嵌っちゃうだけだから。 いま目の前でコドモがしてるヘンな言動、怒ることもできるけど笑うこともできる。 育児に限った話じゃなくて、なんにでも言えることだけど。 もっと楽しもう~♪