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薬膳療庵:新山崎物語り

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2024年01月05日
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1927年は昭和2年3月7日18時27分、未曽有の大地震が京都府北部を襲った。飛んで広島ですら、震度5なのでその大きさはどれほどだっただろうか。家屋倒壊率100%のところ地域もあったが何より火災が町を消した。京都府内死者2898人、家屋などはものすごい被害、時期的にの寒さに、覆いかぶさる雨や雪に寒さ。大動脈のその当時の国鉄の鉄橋が崩落、その下の今の国道輸送道路も塞いだ。
結婚間もない夫婦がいた。小さな女の子を授かる乳飲み子委、そこにこの未曽有が、抱えて逃げ出すときに建物の大きな梁が屋根とともに落ち、生き埋めとなった。乳飲み子はそこで息を引き取ったが、この子の命が母親を助けることとなった。この母親のすべての兄弟6名が、米を背負って助けに夜の峠を越えた。むろん徒歩である、約半日で目にした町の光景は、今で言うなら全滅廃墟、やがて何とか持ち直し、4年後、一人の女の子が誕生する、周りはあの命絶えた子の生まれ変わりと言った。月日が流れ、66年前、男の子を産む、今の私である。本当は年末に産まれる予定だったらしいが、雪の降り積もる一月6日の丑三つ時過ぎたあたり。そして、寒い朝、夜明けとともに、この子は眠りについた。
いかに能登の地震の被害と比べるとどうか?詳しくは各々お調べに、
そんな母は、1987年、54年の時を経てこの世を去った。もしあの地震で、あの幼すぎる命が祖母を助けなかったら、今の私はこの世に導かれてはいない。被災者に寄り添わない言葉を言うこともあった、だが、何度もその復興に対し、叩き込まれた血が騒ぐ。実質、支援物資も何もない、それどころか見捨てるようにこの国は第二次世界大戦に突っ走る。
水がない?不自由?先が見えない???如何かと思う、私の中に少し違う魂があるようなないような?ささやかに今夜は、黙とう!





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最終更新日  2024年01月05日 22時43分40秒
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