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ラメな毎日

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06/10/15【シェヘラザード】Bプロ



2006年10月15日 【ルジマトフ&インペリアン・ロシア・バレエ】
シェヘラザード」Bプロ

(於:新宿文化センター)

第一部
「プレリュード」
音楽:J.S.バッハ
振付:A.ミロシニチェンコ
出演:ユリア・マハリナ

「ダッタン人の踊り」

「アダージェット~ソネット~」
音楽:G.マーラー
振付:N.ドルグーシン
出演:ファルフ・ルジマトフ

「瀕死の白鳥」
音楽:C.サン=サーンス
振付:M.フォーキン
出演:ユリア・マハリナ

「ワルプルギスの夜」

第二部
「シェヘラザード」
音楽:N.リムスキー=コルサコフ
振付:M.フォーキン
出演:ゾベイダ= スヴェトラーナ・ザハロワ
   金の奴隷= ファルフ・ルジマトフ
   シャリアール王: ゲジミナス・タランダ



『プレリュード』

最終日のマハリナのプレリュードには不意打ちをくらいました。
栃木の公演で失礼ながらなんとも思っていなかったので、まったく予定外でした。最終日ということでマハリナ自身にも感ずるところがあったのでしょうか。とにかく泣けて泣けて、目に涙をいっぱい溜めて観ていました。

正直栃木ではこういう役どころがはっきりしないものは向かないのかも、なんて思っていたのですよね。ルジのソネットように、ただ踊る(というかその場に居る)だけでオーラを感じさせるのはマハリナといえど簡単ではないのか、などとちょっぴり淋しくしみじみしてたのに。とてもとてもよかった。感動とも違う胸に迫るものがありました。

なんだかマハリナが見通しているものがこちらにも透けて見えるような、彼女の一本貫いた決意とかプライドとかが感じられて、だからってなんでこんなに泣けてくるのかアタマでよく理解できないままダイレクトに反応したとでもいう感じでした。

次に見ても同じように感じるかはわからない。今回が特別だったのかもしれません。

『ダッタン人の踊り』

正直言って、目をつぶってました。
マハリナのプレリュードで感動してたので、他のものを観るのをしばし拒否したというのが正直なところ。栃木で観たし、まぁいいか、と。(ダンサーの皆様、すいませんー)

『アダージェット~ソネット~』

アダージェット~ソネット~ のソネットとは何だろうと思っていたのですが(実は全然知らなかった)ルネッサンス期のイタリアからドイツ・フランス・イギリスに広まった14行の定型叙情詩だったのですね。

なるほど、どうりで短い型の組み合わせのような構成だと思ったわけです。

そしてシェイクスピアの作品で次のような詩があるそうで、これのことを指してたりするのでしょうか。

◇◇◇

“Like as the waves make towards the pebbled shore”
William Shakespeare

       Like as the waves make towards the pebbled shore
         So do our minutes hasten to their end;
       Each changing place with that which goes before,
         In squent toil all forwards do contend.

         Natirity,once in the main of light,
       Crawis to maturity, where with being crownd,
         Crooked eclipses qainst his glory fight,
       And time that gave,doth now his gift contound.



   (訳 平井正穂)
      波が浜辺のさざれ石めがけて打ちよせるように、
      人間の命も時々刻々その終わりにむかって急いでゆく。
       一瞬一瞬がその前の一瞬と交替し、
       次々に前へ前へと争って進んでゆく。

      人間は、生まれて光の世界にひとたび足を踏み入れると、
      たちまち這い始め、成人となるが、成人となるが否や、
        邪悪な何かがたちまちその栄光に暗影を投げかける、
        賜物を恵んだ「時間」が今やその破壊者となるのだ。


◇◇◇

更にはイタリア語のsonareには「奏でる、弾く、奏する」などの意味があり、要するに「うっとり音を奏でる」という意味なんだとか。

なんだかルジの情景が目に浮かぶようです。

冒頭で横たわるルジが手で形作ったものは、ゆっくりと飛び立つ翼のようでも、繰り返し打ち寄せる波のようでもあり、または生命が次々生まれるようにも感じていたのでなおさらこの詩のように思えるのです。

ルジの表現していたものは何だったのでしょう。

そこにいたのは むき出しのルジマトフであり、彼が感じるすべてのものが、この空間に今のありのままでそこにあること。そこに命が存在すること。輝きも痛みも苦しみも渇きも、ただそこにあるということ。

流れるように投げキスを送る仕草。それはとても丁寧で、美しいスローモーションを見ているよう。祈りの口づけか、懇願のため息か。前へ前へと進み出る。

大地に片足でつま先立ち暗闇に深く切り込むようにアチチュード(でしたっけ?)。鋼(はがね)のような肉体が徐々に糸をぴんと張るように、ゆっくりとポーズをとる。はぁー。これは美しすぎた。

手品のように両手をぱっと開いてわたしたちに見せてくれたものは、、、。あれは胸の奥の大切なもの -たとえば愛- なのか、空っぽの心だったのか。あのときの泣き笑いのような顔はなんともいえない。
それが愛なら、愛しく思うものを初めて打ち明けた恥じらい。それはかつてそこにあった愛なのかも。今はもうなくて。
孤独をさらけ出したのなら、自己憐憫。「ほんとうに、何もないんだよ」と。
羞恥と孤独と憐れみとが入り混じったその顔に、ただ黙って抱きしめてあげたくなった。
観客の目を順番に見ていく瞳には戸惑いと信頼と愛があって、だからこそ何もかも君に見せたんだ、と目で訴えていた。

そしてやがて消えてゆく。手放したものは二度とは掴めない。先に待つのは絶望?焦燥?
最後に天へと伸ばした手の指先は何も掴もうとしていない。ただ光に打たれ、消滅(あるいは昇華)していく。

そんな感じでした。

最終日は舞台正面ではなかったので、横たわるルジに柔らかく髪がかぶさっているのが斜めの角度でよく見えて、それだけでも素敵でした。すっと上に伸ばした腕と指先が何にも変え難く、「美しいものを見ているなぁ…」なんてしみじみと見入りました。
それにルジが右を向くと右からは表情がよく見えないかわりに、くりくりの髪の毛の隙間から目の端が時々青白く一瞬光るのです。照明の加減でしょうが、わけもなくカッコよかったです。

なんとなくわかったような、まだわからないような。消化しきれてないです。いかようにも解釈してよい作品なんでしょうか。深いなぁ。

◇◇◇


マーラーのアダージェットが何を示しているのかよく考えていませんでした。この曲が使われたことで有名な映画「ヴェニスに死す」もちゃんと見たことがなかったし、ただ老いゆくひとりの老人が初々しい美少年のことを気に入って、まぶしく思う、(といっちゃきれい過ぎ)、いわゆるそういう趣味をお持ちで今でいうストーキングに近いねじれたアブない愛情なのかと思ってたのですが...。

どうやら本当に描きたいことはもっと切ないものでした。

人から見ればただの老人に過ぎない自分にも、かつては輝かしく咲き誇り、人生を謳歌していた時代があったという強い郷愁。今の自分の無力さにひどく落胆する。
そこへ光り輝く命の象徴のように美少年が現われ、老人は懐かしさとともにかつての自分を投影し、まぶしいものを見るように少年を愛する。もうどんなに望んでも手に入れることができない若さという美。若さは虚ろで不確かで生命力に満ち満ちている。少年を追い求めつづけ、ついに息絶える老人。

この映画を監督したルキノ・ヴィスコンティは『滅びゆくものの美学』を追求しつづけた人だそうです。そのイメージをこのバレエに投影したのだったら、ルジマトフが表現したものにすごくつながる気がしました。

この前のシェイクスピアのソネット(定型叙情詩)とも共通する部分があるので、勝手にこのふたつをコラボさせたものだと思っています。ルジを観る前に予備知識があったらもっと違う感じ方ができたかもしれないけど、なにも知らずに観たのにストレートに受け止めたものがこれだけ想像をかきたててくれたことにも驚いています。

この解釈でいいかどうかは別として、「ちゃんと伝わってるよ」とルジに言いたい。

『瀕死の白鳥』

マハリナの白鳥姿は映像で見て以来一目見たかったので、見られたことにまず感動。変わらず美しく、バリバリのつけ睫。そして死にそうもない艶やかな白鳥。わたしは白鳥のマハリナのこの姿かたちと、意志の強い顔立ちが好きなんだなぁ。白鳥で「か弱さ」を売りにしない、哀れさで媚びない潔さが大好きなんです。訴えかける大きな瞳も。
それが「瀕死」でも白鳥姿のマハリナというだけでなんだか嬉しくて。これがわたしにとって初めての生の彼女の白鳥だったので余計に。

見慣れていたプリセツカヤの瀕死とは違う振付なのも、マハリナにはとても合っていたと思います。気高い白鳥の女王がその高貴な血に相応しく立派に死にゆく感じがして。

瀕死も最終日にはウルッときました。また来てきてほしいな~。ルジと一緒に。

『ワルプルギスの夜』

ダッタン人同様...。ダンサーの皆様には伏してお詫びを。m(_ _)m
それにちょっと寝てた...。重ねてお詫びを。m(_ _)m

『シェヘラザード』

興奮冷めやらぬ本日の公演。いろいろと胸を占めていて、まだ咀嚼中なり。

しあわせを噛みしめて、本日のこの良き日の記念にと、帰りに金の鎖を購入してしまいました。これをつけるたびに思い出すのね。あぁ...。

もー、頭の中がラメを塗ったくったルジ様でぐるぐるぐるぐる...。

やられました。凄い勢いで引きずり込まれました。興奮の坩堝とやらに巻き込まれました。一瞬もまばたきで見逃さないように全身毛穴も目でした。皮膚呼吸してたかもしれん。

ルジは豹のようにしなやかで強く鋭く、体中に熱気を帯びて危険なほど官能的でした。勢いよく飛び出してきた瞬間に、つややかな肉体から放たれるむせ返るようなエロチックな香り。くらくら~。無意識に後ろにのけぞってた。

登場シーンは徐々に鮮烈さをもって、今日がそのクライマックスだったように思う。初日は辺りをうかがうようだったし、栃木公演よりも精悍さを増した今日は、 「情熱の塊、またの名を愛の化身、今、ここに解き放たれる!」 そして疾風のように登場!!! ...鼻血、出てませんね?

エンジン全開のルジ。
ゾベイダに向ける情熱がどんどん膨れ上がり、もう我慢できない、と躊躇を捨てて荒々しくなってゆく。命を投げ出すほどゾベイダに身を捧げ陶酔する。抑圧された欲望を解き放ち、本能のままに、ゾベイダを力強くその手に抱く。もう奴隷としてではない彼がそこにいる。

水を与えられる時なんて、ゾベイダと距離が近い!(右端にいたからそう見えたのかな?)
これまでは、ゾベイダに与えられるものなら、それが水でもりんごジュースでも官能をくすぐる道具だったからゴクゴクと飲み干したのに、今日はそれすらももどかしく、水壺を押しのけるようにゾベイダを求める。その視線、熱すぎます。

今日の奴隷は、いくら望んでも超えられない二人の壁を壊そうと、むき出しの感情をゾベイダに押し付けているような感じがした。飼われた獣に野生が戻ったときのように。

どの場面だったか、最後のほうでゾベイダに口の端でニヤッと笑ったのだけど、奴隷としての笑みじゃないよな。王の持ち物である自分が、王の愛妾を自分のものにした、男性としての勝利宣言みたいなものとも思えた。

ゾベイダがその虜になったように、その性急な獰猛さに参りました。これを最後に見せるために、奴隷を変化させていったのでしょうか?そう思うと、どの奴隷も甲乙つけがたいルジのストーリー性が溢れている。でも最後は獰猛バージョンで芸術を爆発させてしまいましたね。どうして美しさを保ったまま獰猛でいられるの...。

死体として転がってるルジも美しく、なんという腰のくびれ。なんという筋肉。なんという...(誰か止めて)

それより、ルジマートフ様。あなた一体いくつよ!? その身体の奇跡のような美しさはいったいどういうこと?

罪深いルジ。このまま1月まで待つのは拷問に等しいわ。
もうルジの金の奴隷の奴隷よ~~。あぁ、支離滅裂。


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