映画【ピアノ・レッスン】
映画【ピアノ・レッスン】(原題:The Piano) 1993年に公開されたとき、見たいな~と思っていたのに見逃していた映画。主人公の奏でるピアノの音は移ろう心を描き出し、言葉より雄弁でとても繊細。マイケル・ナイマンの音楽と美しい映像が独特の雰囲気を映画全編に漂わせている。主人公は6歳のときから口のきけないエイダ。彼女が紡ぐピアノの音色は、すんなりと耳に流れ込む。流麗で甘美な旋律はぽろぽろと零れる雨だれのよう。エイダはピアノを心のままに弾く。彼女が言葉を語れなくても何の違和感も感じなかった。手話で伝える身振りはバレエのマイムに通ずるものがある。短い場面だけど、フロラ(娘)にせがまれてフロラの亡き父親のことを語るときの仕草はうっとりするほど。一方で言葉を話す者はあるときは野蛮で口汚い。いっそ言葉を持たないほうが人は下劣でなくなるかもしれないと思う。黒い上着を脱ぐと、背中のくびれた白いブラウスに思わず手を触れたくなるような華奢な背中。動くたびに薄い肩甲骨が美しく波打つ。青白い顔にいつも喪服のような黒い服しか着ないエイダは、髪もひっつめて前髪なんか額にぴったり貼りついている。美とは無縁のようなのに、ピアノを弾く背中はぞっとするほど美しかった。はじめはピアノを取り返したくて男の取引きを受ける。ピアノの黒鍵(黒い鍵盤)の数だけレッスンをしたらピアノを取り返せる。それはレッスンの数だけ男の求めに応じること。黒鍵の数に絞ったのも、要求に応じてキーの数を決めるのも、エイダ自身。エイダは男に屈しているようですべて自分の意思を通している。思いがけず早くにピアノが戻ったのに嬉しそうでもなく、すぐに弾こうとはしない。2~3小節さらっと弾いて振り返っても、背中に感じていた男の視線がないのだ。夜中に夢遊病者のごとく音をかき鳴らすのは、苛立ちの表れ。といってもエイダはピアノと娘とともにこの地へ嫁いで来た、れっきとした人妻&子持ち。止める娘を振り切ってためらいもなく男のもとへ走る。素直というか情熱的というか。不貞をはたらいたエイダは、夫の逆鱗に触れてきっとこのまま不幸になっていくだろうと思っていたら、なんと意外な結末。熱にうかされたエイダの訴えを「言葉」として理解したことは、夫には大きな意味があった。彼はエイダと心を通わせたいと願っていたので、エイダの願いを聞き届け開放することで終止符が打てたのだろう。自分にとっても、この悲劇を終わらせたほうがいいと思ったのかもしれない。まだ呆然とするエイダが、ピアノと運命を共にしようと思ったのは多分発作的。急に生きることを選び直したのは極限で目覚めた強い意志が働いたのだろう。危険と苦悩と絶望の果てに手にしたのは、嘘のような幸福。この映画でエイダには「沈黙」を感じることはなかった。完全な沈黙は海深く沈んでいってしまった。あれほど分身のようだったピアノに決別したのは、悲劇とともに葬り去りたかったから?エイダ自身も?ひとつわからないのは、エイダが危険を冒して娘に託した男への言葉。ピアノのキーに焼き付けて書いた文字を彼が理解するはずはないのに。彼が文字を読めないことを知っていて何故?彼の手に渡らなかったので、もう知る術もないけど。ホリー・ハンターがアカデミー賞主演女優賞を獲ったのも納得の映画でした。カンヌ映画祭でも拍手と喝采が鳴りやまぬ大絶賛だっという映画。(カンヌではパルムドール大賞と主演女優賞を獲得)そのほかにも受賞多々。最後に特典映像を見てびっくりした。ホリー・ハンターの素顔ってチャーミングな女性だったのね。この映画のためにピアノを特訓して彼女自身が弾いており、その音色が素晴らしい。役作りといい、女優魂を感じたわ。←余韻に浸るなら、CD【ピアノ・レッスン】こちらのピアノはマイケル・ナイマン演奏【ピアノ・レッスン】(原題:The Piano/1993年制作)監督/脚本: ジェーン・カンピオン音楽: マイケル・ナイマン製作: ジェーン・チャップマン<Cast> エイダ: ホリー・ハンターベインズ(レッスンを受ける男): ハーヴェイ・カイテルスチュアート(夫): サム・ニールフロラ(娘): アンナ・パキン