アンナ・カレーニナ<つづき>
<つづき>ふたりの愛憎劇と対照的に進む、リョーヴィンとキチイのおずおずとした静かで満たされた幸福。リョーヴィンは田舎の領地で農地経営をしている貴族で、都会とか社交界とかいったものには相容れず、気詰まりを感じている、とても繊細で神経過敏な若者。子供っぽく不機嫌にもなる。世渡りも下手で、感性は鋭いのに、自分の考えが交錯してまとまらず、ある意味洗練されていない。自分の信念も定まらず、悲観的になったり突然光を見出したように感じたり、一見情緒不安定に聞こえるかもしれないけど、ものすごく突き詰めて考える真面目さが、過剰で一途に見える。彼が初めてキチイにプロポーズして断られるときに受けた、絶望感。キチイは彼のことを(あとから言ったように、このときからすでに)愛していたけれども、恋していなかった。にもかかわらず、プロポーズされたことに恍惚とした喜びを感じていた。やっとのことで、「そういうわけにはまいりませんの」と言う。こういう表現は映画ではごっそりそぎ落とされておりました。小説で受けていたリョーヴィンの人物像が、映画のキャストではあまりに違ってたのが残念。キチイがたとえ療養生活を終えて成長したとはいえ、とてもリョーヴィンに想いを寄せるようになると思えない。神経質なリョーヴィンは、映画のようにスチーヴァ(オブロンスキー)に「キチイはどうしてる?」とひとつ聞くのも気軽にできないような性格。ところが、快活で美しい貴族のスチーヴァが、リョーヴィンの子供のように有頂天な表情に見とれたりするのだから、彼が映画のような髭の濃いおっさんでは、断じてない!!と思うのですが…。小説のリョーヴィンは、絶えず自問自答して、表面的にはまるで卑屈で気難し屋にも見えるけど、神経の細やかさを不器用さのためにスマートに振舞えない、実は人間らしい愛すべき人物なのだと思う。結婚するとき、彼は信仰を持たないのをキチイに重大事項として打ち明ける。彼の疑い深さが、神を完全に信ずるのを拒んでいたようでもあるし、「適当に」信仰することはできなかったのだと思う。キチイはそれを理解し、信仰を持たない彼が、どんなに素晴らしく誇らしい人間であるか、を思っておもわず微笑み、「どうか、彼のような人間になってね。」と小さな息子に口づける。百姓と何気なく交わした言葉に、まるで啓示を受けたように、リョーヴィンは「神や信仰」の意味を悟って、突然何もかもが明るい光で満たされたように感じ、自分自身も変わったように思う。ところが、現実に触れたとたん、もとのように不機嫌な自分に一変してしまい、あの気持ちはどこへ行ったのか、とまた自問自答。これだけ熟考するリョーヴィンは、実は誰より懸命に純粋な魂を求めているのかもしれない。そして自分の感じた「信仰」とは、すでに自分の中にあったと気づく。相変わらず自分は、腹を立てたり冷淡になったり、困惑したりいらだったり、そういうことは変わらないけれど、これまで無意味だと思っていたことが、家族を持って突然意味のあるものになったのだ。人はいずれ死ぬのに何故汗水たらして働くのか、とか、百姓の相談にのってやらなくちゃいけないこととか、労多くして実にならない農地経営とか、そういったこともすべて。リョーヴィンの心の変化は、誰にも語らず、妻にも打ち明けるのをやめてしまったけど、リョーヴィンが人間としてしっかりと生きて、大地に根付いたように感じた。(映画ではヴロンスキーに向かって語ってたけど…)あれほど不協和音でしかなかった、アンナとヴロンスキーの関係は、アンナの死によって、どんな後悔や懺悔をヴロンスキーにもたらしたのか。彼の愛情はほんとうに消えていたのか。彼は多くを語らなかったけど、それは彼を打ちのめし、「生命に嫌気が差した」彼は、連隊を率いて出征する。出会った頃のアンナの印象をもう思い出せないというヴロンスキー。映画ではなぜかヴロンスキーとはほとんど面識のないリョーヴィンが、出征する列車の中で彼に「神の存在に気づいた」くだりを話す。ヴロンスキーの気持ちにしてみれば、他人の信仰心など今語られても「うっとおしい」だけのもの。なぜ、ここでリョーヴィンだったのだろう?小説では、リョーヴィンの異父兄コズヌイシェフ(病死した兄とは別人。映画では一切出てないのがもったいない)が、リョーヴィンに会いに行く道中、同じ列車に乗り合わせ、ヴロンスキーの母に頼まれて彼の話を聞く。ヴロンスキーは一言も彼女を愛していただとか、なんて冷たい仕打ちをしたんだ、とかは言わない。彼の胸は深くえぐられてしまい、死に絶えて空洞になってしまった。口争いしたまま別れた、自分を威嚇するアンナしか思いだせずに苦しみ、顔をゆがめて慟哭する。ただ無意味になってしまった自分をどこかで葬るために、戦地へと赴く生きる屍のようなヴロンスキー。彼は人間として破滅し、アンナの目的は一番不幸な形で成就されてしまった。愛を失って無意味になったヴロンスキーと、愛によって意味を見つけたリョーヴィン。人生を謳歌していたと思われたヴロンスキーと、結婚するまで暗いトンネルにいたようなリョーヴィン。対照的な二人の人生は、どこかで反転したように、くっきりと明暗を分けてしまった。1600ページ以上を、もう一度読み返してみたいと思う。