ソクラテスの苦悩無知の知(むちのち)は、日本人に大切!と、いうお話を書きますね。 「私は、知らないと言うことを、知っているのです。」 これは、今から2400年ほど前に生きた(紀元前470-399)ギリシャの哲学者「ソクラテス」の言葉です。神殿が立ち並ぶアテネイの街にいつも独り、悩み苦悩の表情で感慨を馳せる姿は、いつか市民の間で有名になり、彼に伺いを立てる人もいたに違いありません。 しかし、彼は、己が信じることをトツトツと語るだけの存在でした。彼の思想は人間の鎖心により作られる「迷い」に閉鎖されてしまっている、「本来の機能」を取り返すための苦悩により生成されたものだと、私は考えています。 ソクラテスが39才の時に、彼の友達の一人がアポロンの神殿に行って「ソクラテスより賢い男がいるか」とお伺いをたてたところ、これに対して巫女が、「ソクラテスより偉い男は誰もいない」という神託を伝えたのだそうです。 ソクラテスは、神託の意味は一体何だろうか?と有名な政治家や軍人、詩人などを訪ね彼らと問答を繰り返しました。 実際に自分より賢い人を発見して、その神託を覆そうと試みたのですが、それは彼自身の孤独を打ち破ろうとの、悲壮な願いでもあったのかもしれません。 ところが、これらの人びとは、自分では智恵があると思っていながら、 「もっとも大切なことについて何も知らない」ということをソクラテスは発見してしまうのです。 「人は、立場や欲求により、一番大切な人間としての「本源的機能」を忘却してしまっている。」 それは、彼らは自分に属するもの(財産、名誉等)は知っているが、最も大切なこと、すなわち『自分の魂の善さ』については何も知らないということが解ったのです。 彼らは、それを知らないにもかかわらず、自分では知っているつもりになっている。ソクラテスには、まるで道化のように見えたのではないでしょうか?そして、その現実は、彼を益々孤独へといざない、苦悩せしめたことでしょう。 「私は、もっとも大切なことを知らないということを知っている」 無知の知という点で、彼らよりもソクラテスの方がより賢いという神託は正しく、「無知の知」を知ることは、人が幸福に近づくためには、もっとも重要であり、また、それを手にすることは、とても勇気を必要とする。と、ソクラテスは考えたに違いないと、私は 思うのです。 世界も、国も、個人も、いまや対話を忘れ去っています。対話の人、ソクラテスが知ったら、なんと嘆くことでしょう。 特に日本の若者たちは「無関心」を「無責任」だと知らずに、「知らないこと」を自慢したり、自分が「知らない」ことを行っている人がいると馬鹿にまでします。東洋では、これを「憎上慢」といい。国や個人の破滅を導く原因であると指摘する思想がたくさんあります。 劣っていること、愚かなこと。 自分が、ある一定の部分で、そんなところがあるのは、人間であれば当たり前の話ですが、自分が自分と向き合い、正面から認めるのは、想像を絶する勇気と、志を傍らにした勉学が必要です。これを知らなければ、あなたもアテネイの道化であると、ソクラテスに叱られるかもしれません。 -------------------------------------------------- ソクラテス [Sokrates] (前470-前399) ギリシャの哲学者。アテナイで活動。 よく生きることを求め、対話を通して善・徳の探求を しつつ、知らないことを知らないと自覚すべく自己を 吟味することとしての哲学により、自己の魂に配慮す るように勧めた。しかし、この活動は反対者の告発を 受け有罪とされ、獄中に毒杯をあおいで死んだ。著作 はなくプラトン・クセノフォンなどの書物により伝え られている。 三省堂提供「大辞林 第二版」より 山河郷愁(安曇野の空によせて) いつの日か大地より涌きいずることわりありき それ混頓をして清流を描き空をなして風を聞く 終にはその天空に鋭利なる山岳を浮揚いたす 清流源を起こし生命(いのち)をなし 風生業(なりわい)をいつくしむ 天空あくまで透明にして 大地に雨歌を奏でいるなり いま億劫にいそしむ営みよ この優しき故郷たちよ 嗚呼 吾が今上をあわれみ給え 今にしてかくの如くを知りたるを 情けを忘れしおろかなる者を わが道をいざなう山岳のもとにして はかなき者の涙に映して 詩作・松尾多聞 |