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サラサラ日記

すべりこみアウト。その2



<風が>

風がとても強くてベランダの洗濯物がパタパタとなびいてる。
断ち切れるものならばバッサバッサと髪の毛を切るように。
拍手喝采で送り出される新しいかたち。
違うアレンジで試されるのはどんな気持ち?
何も恐れるものなどなかったはずなのに
どうしてこんなに踏み出すのが躊躇われるのだろう。
風が止んで少し凌ぎやすくなる。
誰かのために生きるだなんて僕にはできないと思ってた。
今でも。
誰にも祝福などされなくても構わない。
強い気持ちさえあれば。
風が後押ししてくれたら。
もしかしたら。



<キラキラ光るもの>

キラキラ光るものは手の届かないくらいに遠くにあるからキラキラと光るのだ。
キラキラ光るものに手を伸ばしてはいけない。
キラキラ光るものは手を触れた途端にその輝きを失うものだから。
どんなに切なくなろうとも
悲しみで胸が押しつぶされようとも
熱い涙がハラハラと零れ落ちようとも
キラキラしたそれの、そこのところが大切なのなら。
キラキラ光り続けるその様をずっと見続けていたいのなら。
決して近づいてはいけない。
手の届かないほどに遠いこちら側から。


<恋>
 
聡明なあの人が愚かな恋をして周りのみんなはため息をついた。
聡明なあの人はいつも遠くの高みから静かに眺めていて
必要なときにだけポツリポツリと大切な言葉を僕達に落としてくれる。
僕達はその言葉にハッと心を奪われ
確かにそうだったと目の覚める想いを抱いたものだ。
けれども聡明なあの人が愚かな恋に落ちてしまってから
大切な言葉の雨は降らなくなった。
僕達はいつまでもあの大切な雨が降るのを待つだけで
他にすべきことを未だ知らない。
聡明なあの人にあの恋は必要だったのだろうか。
聡明なあの人はあの愚かさのどこに惹かれていったのだろう。
けれどもあの恋が愚かだなんて誰に言えるだろう。
恋はもともとそういうもの。


<言葉めぐり>

言葉を選び並べながら自分の想いを探る。
自分で自分の心持ちがさっぱりわからず路頭に迷いそう。
じりじりとにじり寄りながら相手の出方を探るみたいに
自分の中の得体の知れない薄暗いところをツンツン、ツンツンと
突付きながら「これか?」それとも「このへんか?」と探る。
たまにかすって「惜しい!」
たまには見当はずれの大はずれ。
けれど万に一つの大当たりでスコ~~~ン!と突き抜ける時もある。
体の真ん中に風穴が開いたみたいで何ともいい気持ち。
その快感が忘れられずにまた今日も言葉めぐり。


<無題>

自分に言い聞かせるために言葉を選ぶ。
人に伝えているように見える、その形を借りて。
自分の気持ちと少しギャップのあるその言葉を
かみ締めるように発する。
自分の心に深く沁み込ませるように書き記す。
繰り返しそうしているとその言葉はいつか本物になるのだろうか。
まるで元からそれが自分そのものだったように感じるくらいに。
それとも少しずつ積み重なった歪みがいつかドンと
地震を引き起こしたり津波が押し寄せることになってしまったり
そんなことにはならないだろうか。


<お仏壇>

気付いたときには我が家に仏壇があった。
いや気付く前に父が死んだんだからさ。当たり前やね。
私が小学校に上がったばかりの5月に父は死んだ。
それ以来家にはお仏壇がある。
そして毎朝お茶とご飯をお供えして拝む。
「おはようございます」とか
「学校の行き帰り事故に遭いませんように」とか。
「テスト簡単な問題が出ますように」とか。
その日に思いついたお願いをする。
おかげで父は毎日忙しかったろう。
怖いテレビを見た夜は「お父ちゃんお願いだから私を守ってね。
出てこなくてもいいから。守るだけでいいから」と我儘なお願いもしょっちゅうだ。
私の中では「お仏壇」=「お父ちゃん」だ。
その日あったことを家族に話すようにお仏壇(=お父ちゃん)に話す。
おいしいものがきたときは一瞬だけお供えしてすぐさま食べる。
お父ちゃんとの思い出は私の中にほとんどないので
お仏壇との付き合いが私とお父ちゃんとの歴史のようなもの。
それでお仏壇に向かうときの構えがあんまりない。
と今日気付いたニブちんのどあめであった。




<セレモニー>

娘の歯が抜ける。(というか抜く)
抜いた歯を娘は取っててね。と持ってくる。
私は一本目からずっとそうしているように透明なプラケースに入れる。
ちょっと面倒な気持ちと、
これ全部集めて将来どうすんだ?という素朴な疑問を胸に。
世のお母様お父様方の中にはメモリアルグッズをちゃんと赤ちゃんの頃から
大事に取ってらっしゃる方も沢山いらっしゃると思う。
そういうものを収める収納箱みたいなのも沢山見かける。
私は出産日記も育児日記も1ヶ月で挫折した。
へその緒さえともすると捨てかねない。(捨ててないけど)
子供達の描いた絵なんてじっくり見て褒めちぎってあげるが
その端から捨てていってる。(もちろん子供の見てないところでね)
でもなんだか薄情な母親だ。

昔は誕生日や何かの記念日やら諸々のイベントが大好きだった。
プレゼントを贈ったり贈られたり。
喜ぶ顔が見たくて。びっくりさせて欲しくて。
そして頂いたものは宝物で大事に大事に取っておく性質だった。
たぶんそのままの私でまっすぐと進めば娘に言われるまでもなく
この歯も一つ残らず取っておいただろう。
娘が初めて描いた絵や、初めて言った言葉、初めてのものあれこれあれこれ。
娘の成長の証として。少しの疑念もなく。

どこから私はこういう風に変わっていったのかな?
自分でもわからない。
きっかけは沢山あると思うけどどれも決定打に欠ける。
車のCMで「モノより思い出」と言ってるがそういう気持ちなのか。
自分でもよくわからん。
ただ、これは何???というわけわからんシロモノたち(これが実に多い)で
部屋が占領されるのが掃除・片付け苦手人間の私には嫌でたまらん。
それも原因の一つかな?
わからん。わからん。わからんことをウダウダと何書いているんだ!おわり。




<野生の勘>
サファリからの帰り、赤ちゃんライオンと写真を撮るという
コーナーがあった。そうそう。そういえば可愛いのよねぇ。
と子供達も大人も全員で記念写真を撮ってもらうことに。
一人だけ、ライオンの赤ちゃんを抱ける。「抱きたい人!」
はい!と手を上げる子供二人。年上の娘の方がいいだろうと
娘に、と頼む。ライオンの赤ちゃんを連れて飼育係の人が
娘の前にやってきて赤ちゃんを抱かせようとしたその瞬間。
ものすごくきっぱりと「あ。だめですね。抱けません」と言われた。
手が伸びない、と。確かに少し慎重派で怖がりの娘の腕は出てはいるが
肘を引いていて手のひらに小動物を乗せるくらいなら出来そうだが
動き回るライオンの動きをガシッと封じ込めることは出来まい。
そして却ってライオンにも私たち人間にも危険なのだろう。
一か八かで息子に抱かせることに。
飼育係の人がライオンを差し出すと息子は躊躇なく両手を大きく広げ
大きなぬいぐるみでも抱くような気軽さでライオンを腕に収めた。
なるほどなぁ。まだまだそのままを受け止められるんだなぁ。コヤツは。
ヘンに考えてしまうということがなく、怖いと怖気づくでもなく。
まだまだ野生に近い者同士、距離がないのかもしれない。
ちょっとうらやましい気がした。





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