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テーマ:沖縄の暮らしあれこれ(551)
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昨日の日記でそば屋「番所亭」について書いたのですが、
本日はこのお店の名前にもなっている 「番所」について少し書いてみたいと思います。 「番所」とは琉球王府の公事連絡のための中継所や 各間切りの行政の拠点として整備されたものです。 私が行った「番所亭」の付近にはかつて「喜名番所」がありましたが、 戦争により消失、跡地も国道58号線開通に伴い分断されてしまったとの事です。 この喜名番所は一八五三年に来琉したペリー提督の一行が休憩のために立ち寄ったのをはじめ、 本島北部、南部を結ぶ幹線の中継所として多くの人々が立ち寄ったとされています。 村の交通、行政、経済、文化の中心的な場所で、戦前までは読谷山村役場として機能しました。 そして現在、読谷村の世界遺産周辺整備事業の一環として この喜名番所の復元計画が進められています。 建物位置まで完全に踏襲することはできませんが、 外観はペリー提督一行の従軍画家が残したスケッチを中心に、 発掘調査や文献、1935年代の読谷山村役場時代の古い写真などを参考にしながら 可能な限り当時の雰囲気が再現されます。 新しい番所は観光案内所や休憩施設として活用される予定で、 3月末までに事業完了し、4月から供用開始予定です。 楽しみですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年02月04日 18時51分37秒
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