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カテゴリ:海外体験記
今から25年前の1983年4月頃だったと思います、小生は超音波地層探査機を担いで中国に飛び立った。当時の中国は今と違ってまだまだ発展途上の国であり、町をいく人はみんな人民服を着ていた。そんな中国は小生にとってどこか自分のふるさとに帰ったようで、とても懐かしい想いをしたことを今でも覚えています。
当時、超音波機器の開発をしていた小生らのチームは、海底地層探査装置の試作機を完成していた。水中は電波が通らない、正確にいうと電波は水中では減衰が激しくて使い物にならない。水中で使い物になるのは超音波(音波も含む)だけである。第2次世界大戦中は、潜水艦を探知することに超音波は用いられ、大戦後は魚群を探知することに利用されるようになったことは先日の日記でも述べた。 魚群を探知するための魚群探知機やソナーは超音波といわれる人間の耳には聴こえない音を水中に発信して魚群からの反射を受信処理して表示する。超音波は海中を伝搬し、最終的には海底から反射して返ってる。しかし、海底の下をも探索したいニーズがある。例えば海底油田みたいなものを探知したい。そのためには超音波ではダメで、超音波より周波数の低い音波が利用される。低い周波数の音波は、例えば船の汽笛「ボー」というのが遠くまで聞こえるように、水中でも遠くまで届くし、また海底の土や砂の中にも潜っていくことができる。この性質を利用して低い周波数の音波を送信すれば、その音波は海底で大部分は反射するが、残りのエネルギーが海底の下の層まで伝搬していき、海底の下の層で反射して返ってくる。これを地層探査ソナーという。すいません堅い話で。 ということで、団塊オヤジは25年前に中国長江(楊子江)の川底地層探査を頼まれて、南京まで出かけて行きました。なにしろ初めての中国、なにがなにやらわからないまま現地につき探査用の船を準備してもらい、船に日本から持ち込んだ新兵器を装備し実験を行った。今思えば向こう見ずなことやったなと思います。船の装備に2日ほどかかり、その後長江の流れの中を調査したことが昨日のように想い出されます。長江は泥水で、とても目視で川底など見えませんが、超音波の機器は見事に川底とその下の地層までとらえます。このような機器を初めてみる中国の人たちは食い入るようにその映像を眺めていました。 余談かもしれませんが、何のために川底を探査するかといえば、浚渫ですね。川底に土砂が溜まれば水深が浅くなり行きかう船が座礁するかもしれない、川や港湾は常に浚渫をして船の航行の安全を心掛けなければいけません。それが港湾局というような部署の仕事です。日本でいえば国土交通省の港湾技術建設局みたいな部門がこういう仕事にあたります。広大な大河長江はまた莫大な土砂を上流から運んでくるのです。 結局、商談は成立せず、日本から持っていった高価な機器は持ち帰りましたが、小生にとってはかけがいのない経験でした。発展途上にあった中国の人たちはすごい潜在的エネルギーを持っているとその時感じ、後にそれが実証され今日の中国があるのです。 船の舷側に地層探査機の送受波器を取り付ける 船内で準備をする団塊オヤジ 打ち合わせをする団塊オヤジ 機器を覗き込む聴講生 小生の話を熱心に聴く 南京大橋 南京大橋からの眺め 悠久の長江の流れ 南京大橋付近をいく客船 南京付近の農家 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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