カテゴリ:誘水日記
感情とひと口に言っても、さまざまなレベルのものがありそうだ。
瞬間、瞬間、常にぼくたちは何かしらの感情をもって生きている。 ただ、いつも「ああ、自分は喜んでいるな」と自覚できるような強い感情をもっているわけではない。微弱な感情が出ては消えを繰り返している。何種類もの感情が同時に現れることがあって、今の感情を適格に表現しろと言われても難しいものがある。 こういう自分の中から出てくるものを本来の感情とすると、 頭で作った感情というものもある。 こういうときには悲しまないといけないといった学習した感情や、 今は泣いた方が得かなといった打算的な感情などだ。 ぼくたちが感情だと思っているのは、学習や打算によるところが多いのではないだろうか。 情報が多くなればなるほど、 本来の感情というのは隠されてしまいがち。 感情は親から学習することが多い。 親が怒った場面を見て、 こういうときに怒るんだと、状況と感情を結び付けてしまう。 親がこういうことは許せないと思っていることは子どももそう思うようになる。 また、テレビでドラマを見ていると、 こういうときにはこういう感情表現をしましょうというシーンが、これでもか、これでもかと流れてくる。 親しい人が亡くなって悲しむ。 失恋して落ち込む。 裏切られて怒る。 その影響を受けてしまうと、 どんどんと本来の自分の感情を見失ってしまう。 別に悲しくないのだけれども、 これは悲しむ場面だから悲しんでおこうという調子で涙を流す。 本当に自分が悲しんでいると勘違いしてしまう。 もちろん、そんなことを考えて感情を表現しているわけではない。 条件反射的に、こういうときにはこういう感情だと思い込んで、それを自分の感情だと思い込んでしまうのだ。 これは危険なことだと思う。 本来の自分の感情がかき消されてしまう。 本来の感情か、作られた感情かわからなくなってしまって、結局は、感情を押し殺してしまいことと同じになってしまう。 同じ状況に置かれても、 人によって感情は違うはず。 人が泣いていても、自分は悲しくないということはいくらでもあるはずだ。 感情にも個性がある。 人と違っていいわけで、 そこをしっかりと踏まえていないと、体や心にアンバランスをきたしてしまう。 自分の感情を大切にしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年08月18日 03時52分23秒
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