『癌とたわむれて』(アナトール・ブロイヤード著 晶文社)という本がある。
現代は、INTOXICATED BY MY ILLNESS。
直訳すれば、わが病に酔いしれる。
尊敬する帯津良一先生が絶賛する名著だ。
(帯津先生の一泊二日養生セミナー・山梨増富ラジウム温泉)
著者である著名や書評家であるブロイヤードさんは、
69歳のときに前立腺がんと診断された。
それも全身の骨転移。
普通は慌てふためく。
落ち込んでしまう。
でも、ブロイヤードさんは「ときめいた」というのだ。
「わが人生に締め切りがもうけられた」
そんな心境になったというのだから恐れ入る。
ぼくも文筆業のはしくれにいる身として、
「締め切り」の偉大さはよくわかる。
「締め切りなしでいい原稿を書いてくれ」
と頼まれた仕事はいつまでも終わらない。
尻を叩かれないとパソコンに向かえないものだ。
だれの人生にも締め切りがある。
でも、
そんなこと意識もせずに、
ダラダラと毎日を生きてしまう。
突然締め切りを突きつけられて、
「そんなの聞いてないよ」と大慌てするのだろう。
ブロイヤードさんは、
一年後には亡くなるのだが、
その一年を、締め切りに向けて有意義に生きるのだ。
がんの本と言うと、
末期がんから生還したみたいな内容のものが話題になるが、
治るか治らないかはとても重要とは言え、
人生のひとつのステージとしてがんがあって、
がんとどう向き合ったかという話に、
ぼくは魅力を感じる。
大事な友だちのおーちゃんが亡くなって一年が過ぎたが、
彼は末期のがんから生還して、
そこからの10年の人生が面白かった。
がんになる前の60年近くと、
がんになってからの10年。
まったく違う人生を生きた。
生きながらにして輪廻転生したようなものだ。
人生に締め切りができると、
そこから本当にときめく人生を歩むことができることを、
おーちゃんは教えてくれた。
もっとも、
がんにならないと締め切りが意識できないわけではない。
がんにならずに生き方を変えることはいくらでもできるはずだ。
お釈迦様は、
「生老病死」の避けられない四苦を説いた。
しかし、
お釈迦様は、
四苦を嘆いているのではないと思う。
嘆いているようなら、大した人ではない。
四苦はだれにも避けられない。
人が四苦を背負わされていることには重大な意味があって、
たくさんのことを学ぶチャンスなんだ。
四苦と正面から向き合って、
苦しいと思われることの中にときめきを見つけ出す。
そんな生き方してみないかい?
生きる苦しみの裏に隠された楽しみ、喜び。
老いる寂しさの奥にしまわれている楽しみ、喜び。
病むつらさの向こうにある楽しみ、喜び。
死は本当の悲劇なのか。
だれも知らないけれども、ひょっとしたら楽しくて喜びに満ちたものかもしれないじゃないか。
そんな深い人生を生きてみたいと思う。
ぼくも、
人生の締め切りはそんなに遠くでもないのだから。