カテゴリ:甲州ライフ
ぼくは三重県鈴鹿市で生まれ育った。
大学時代は名古屋で下宿生活。 卒業後は、富山県→実家→名古屋→東京→埼玉県→東京と移り住んで、 今は山梨県にいる。 実家に帰る道を避けてきた。 東京から山梨へ移住したとき、 田舎で生活したいなら鈴鹿へ帰ればいいじゃないかと、 まわりから言われた。 実家では老いた母が一人で暮らしていた。 人情的には、 母のそばにいてあげたいと思った。 でも、 その選択をせずに山梨に来た。 どうしてだろう? 自分でもよくわからない。 でも、最近わかった。 ぼくは、 実家では思い切った生き方ができない。 母が元気なうちは特にそうだ。 人と違うことをやるのが大嫌いな母。 「無農薬で畑をやろうかな」 「そんなことやったら何言われるかわからんよ。 だれもそんなことやっとらへんがな。絶対に反対!」 友だちを集めてイベントでもやろうものなら、 「そんな大騒ぎして、近所の人が何と思うか」 とにかく、 波風立てずに静かに生きることを大切にしていた。 母が倒れて山梨の施設に入ったが、 実家へ帰ると、 母の呪縛を感じてしまう。 「やっちゃんはええ子やな」 そう言われることが、 父にも母にも誇りだった。 ぼくも、基本的にはいい子だったが、 「いい子でいないといけない」という窮屈さが小さいころからあった。 実家へ帰ると、 「いい子」に戻らないといけないという、 強烈な縛りがあるのだ。 本当は、そこを突破する必要があるのだが、 すぐには難しい。 そこで、 思いっきり生きるトレーニングを山梨の地でやっているのだ。 ヤギを飼い、 無農薬ですももや野菜を育てているが、 山梨だからこそ思い切ってできたことだ。 このまま山梨で過ごすのか、 鈴鹿へ帰るのか、 よくわからないが、 山梨である程度の結果を出せば、 同じようなことを鈴鹿でもやるかもしれない。 70過ぎてから、 故郷へ帰って、 ヤギを飼って、 無農薬栽培をやってもいいかもな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年05月19日 19時38分14秒
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