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カテゴリ:Oの人生論
バイオリズムというのかどうかはわからないが、
人によって、 人生の流れというのがあるのだろう。 20代がピークという人もいれば、 70歳を過ぎて花が咲く人生もある。 いい悪いはないと思うが、 たまには振り返ってみるのも面白い。 ぼくの場合、 28歳から面白くなった。 東京へ出てからだ。 それまでは、 土の中に眠る幼虫のようなもので、 自分の進むべき道を少しずつ定めていたのかなと思う。 まともに文章を書いた経験もないのにフリーライターになった。 サラリーマンはぼくには向いてなかった。 フリーになって、 すーっと肩の荷が下りた。 土の中から外へ出ることができた開放感があった。 30歳のとき1ヶ月ほどヨーロッパをぶらぶらし、 海外へ行ったからといって生き方、考え方が変わるわけではないと、 白けた気持ちで帰ってきた。 しかし、32歳のときに行った中国で人生が大きく変わった。 師と呼べる2人の先生に上海で出会った。 そこから、 この世の中は、 目に見えたり機械で測定できたり科学で説明がつくものだけではないことを知るようになる。 30代は、 中川雅仁先生という師と世界を回り、 帯津良一先生という師の指導を受けながら、 代替療法(西洋医学以外の治療法)によるがん治療を取材した。 イルカとも出会った。 イルカの縁で30代半ばで結婚。 40代で3人の娘を授かり、 収入もたくさんあって、この世を春を謳歌していた。 ところが、 好事魔多しというやつ。 中川先生の急死で、 収入が激減、 目先のことばかり考えるという時期がしばらく続いた。 しかし、 中川先生、帯津先生に教えられたことは大きな財産で、 彼らの斬新な考え方をベースにした文章が評価されるようになり、 仕事の幅も広がって、徐々に生活も上向きになった。 50代にはイルカと泳ぐツアーを組んだりして、 家族で動くという流れが出てきた。 それが今につながっている。 60代は激動だった。 父が亡くなり、妹、弟までぼくより先に逝ってしまい、 母も旅立った。 これまでの中で最大の試練だった。 コロナ騒ぎがあって山梨へ引っ越し、 ヤギを飼い、 4年後には鈴鹿に帰った。 妹や弟が元気だったら故郷に帰ることもなかっただろうと思うと、 あのつらさや悲しみにも意味があったと、 今だからこそ思えてくる。 いろいろあったが、 無事に70歳を迎えることができた。 今は5人の家族とヤギ6頭、犬7頭、ネコ3匹、ニワトリ3羽がいて、 にぎやかに暮らしている。 さてこれから何年生きるのかはわからないが、 身の丈にあったチャレンジをしていきたい。 自分が本来もっている力の60~70パーセントは使うこと。 それだけのことを80歳までやれば、 もともと自己評価が低い方だから、 面白いことができるはずだ。 このブログのタイトルを「人生の楽しみは後半にあり」としたけれども、 振り返ってみると、 楽しいことはいっぱいあったが、 今が一番楽しいし、 これからもっと楽しくなるかもしれないと、 ワクワクしている。 貝原益軒先生が言われたように、 人生は後半にこそ幸せが詰まっていると思って、 60代70代80代を生きた方がいいな。 人生の後半、晩年は楽しかったなと思えたら、 自分の一生を肯定できるもの。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026年06月09日 11時45分25秒
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