|
カテゴリ:Oの人生論
振り返ってみて、
ドカーンと人生観が変わるほど感動したことはあっただろうか? あまり思い浮かばないけれども、 大学に合格したとき、 これはうれしかったな。 うれしいと感動は違うのだろうか。 よくわからないが、 あのときのことはよく覚えている。 4校を受験して、 1校目は不合格、2校目もダメ、3校目も番号がなかった。 最後のひとつは第一志望の大学だったが、 ぼくの成績からすると「無理だろう」と思われていたし、 自分でも思っていた。 ところが、 意外にも試験がすらすらとできて、 内心では「いけるかも」と期待できる出来だった。 ただ、 滑り止めのつもりで受けた大学も落ちていたわけで、 「今度は大丈夫」とはなかなか口にできない。 まわりには「ああ、浪人だ」と自信のないことを言っていた。 発表の日、母親と大学まで行った。 母はバッグに入学金を用意していた。 入学金と言っても大学のではない。 結果発表が終わったら予備校の手続きに行こうという算段だったのだ。 正門に合格者の番号が張り出されていた。 あるか、ないか。 ドキドキしながら探したら、 なんとぼくの番号があるではないか。 うれしかったな。 当時、その大学は、第二志望で受ける人が多かった。 だから、ぼくみたいに大はしゃぎする受験生はいなかったようで、 掲示板の前にいた係の人も「良かったですね」と一緒に笑顔で喜んでくれた。 ところが合格すれば幸せかというとそんなことはない。 受験生にとっては合格がゴールだから、 受かれば天国、落ちれば地獄だけど、 天国気分も長くは続かない。 ワクワクして入った大学、 夢にまで見たキャンパスライフだったが、 ぼくには不向きだったことに、 それほど時間はかからなかった。 教養科目はそこそこだったけれども、 専門科目の授業となると、 さっぱりわからない。 統計学やらコンピュータ、 ぼくには何をやっているのか皆目理解ができないのだ。 工業大学なんてぼくの入るところではなかった。 理系人間ではなかったことが判明したのだ。 後悔しても後の祭り。 そのころは、 学校の成績でしか自分の価値が測れないような狭い視野しかもっていなかった。 高校まで成績は上位だった自分が劣等生でいることはつらいものだ。 どんな気持ちで通っていたのか覚えていない。 よく不登校にならなかったものだと思う。 合格したときのうれしさが貯金になっていたのだろうか。 喜びのエネルギーがどんどん減っていった。 だけど、 どんなことでもそうだけれども、 あとになって考えれば、 無駄なことは何もない。 実際、劣等生体験はぼくの今の生き方、考え方に大きな影響を与えているわけで、 人を多面的に見られるようになったのも、 ダメな自分を支えるためには、 小さな長所を見つけて、 自分を慰めるしかなかったことが原点にある。 学力一番と考えていた薄っぺらな人間が、 少しは物事を幅広く見ることができるようになった。 高校生の自分を振り返ると、 いい大学を出て大きな会社に就職して、 出世してたくさんの給料をもらうことが成功であり幸せだと、 本気で思っていたもの。 大学でさっそくのドロップアウト。 会社へ入っても長続きしない。 迷路をさんざん歩き回った。 だからこそ、 迷路から抜けたとき、 視界がぱーっと広がった。 それが28歳のときに東京へ出たときかな。 30代以降、平坦な道ではなかったけれども、 山あり谷ありのエキサイティングに生きる環境が押し寄せてきたのだ。 ぼくの好みの生き方だった。 すてきな人ともたくさん会うことができた。 自分の適性を見て道を決めるとか、 自分らしく生きるというけれども、 不適な道で転んだり、 自分らしさなんてまるでわからない暗闇で右往左往するのも、 ひょっとしたら必要なことかもしれない。 そういう意味では、 いい大学に入ったと言えるのかな。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026年06月11日 12時35分07秒
コメント(0) | コメントを書く
[Oの人生論] カテゴリの最新記事
|
|