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カテゴリ:Oの人生論
ぼくの20歳くらいの人生設計。
大学は国立大学に入ったわけだから上出来。 劣等生でいじけた日々を送っていたが、 大学を出たら、 名の通った大企業に入ろうと目標を立てた。 どんな仕事がしたいかなんて考えてもいない。 強いて言えば、 世界中を股にかけた仕事をしたかった。 なぜなら、 かっこいいから。 英会話の学校へも通ったことがある。 だけど、続かなかった。 就活は必死にしたわけではなかったが、 クラスで一番に決まったんじゃなかったかな。 教授とは距離を置いていたので、 自分で動いて就職を決めた。 名前を言えばだれでも知っているような大企業だった。 そこで世界を回って、 出世して、 給料をたくさんもらって、 いい生活をしよう。 そのつもりだった。 しかし、 そうは問屋が卸さない。 海外勤務の可能性はほぼない部署に配属された。 1年もすると、 自分はサラリーマンに合ってないのではと思うようになった。 「もう辞めたい」と両親にこぼすと、 「石の上にも三年やぞ」と諭された。 ぼくは反論した。 「固い石の上に座って足が痛くて逃げ出したくても、 三年もいればあきらめるんや。 おれはあきらめたくない」 何をあきらめたくないのかわからなかったが、 とにかく、 このまま30歳になり40歳になっていくというシナリオは、 本能が拒否した。 今振り返ると、 サラリーマンが嫌というのはきれいごとで、 結局、仕事ができなかった。 ミスというか、 やることがいい加減なのだ。 きちんと答えを出さずに、 「これでいいや」とごまかしてしまう。 手抜き仕事。 結局、上司や先輩に迷惑をかけることになる。 自己嫌悪にもなる。 「もいういいや」と投げやりになる。 大企業は2年で辞めて、 アルバイト生活を1年やって、 次に小さな会社に3年いた。 小さな会社でも、 やっぱりやることがいい加減で、 「もう辞めだ」と飛び出してしまった。 もし再々就職をしても、 同じことだったと思う。 ぼくがラッキーだったのは、 そのあと、 フリーランスになれたことだった。 自由業。 組織に属さない。 個人事業主。 それも文章を書くというあこがれの仕事につけたのだ。 ぼくががんばったわけではない。 ある人との出会いから、 東京へ出ることになった。 東京の生活も、ぼくにとってはあこがれだった。 ぼくを東京へ導いてくれた人は、 文章など書いたことのないぼくに、 定期的に仕事をくれた。 それでぎりぎり安定した生活ができた。 最初のころに書いた文章など支離滅裂で、 何度も何度も書き直した。 すぐにクビになっても仕方ないレベルだったのに、 編集担当の先輩は根気よく、 ぼくにアドバイスしてくれた。 フリーの良さは、 頼まれた仕事をそれなりにこなすことで、 仕事量に合ったギャランティがもらえること。 人と深くかかわるのが好きではない性格なので、 よほど気の合う人ならいいが、 夜遅くまでお酒を飲むとか、 麻雀をするとか(ぼくはできない)、 会議で長時間意見を交わすとか、 そんな場からすぐに逃げ出したくなる。 「これ、いついつまでにやってくれる」 「はいわかりました」 それくらいの会話で仕事をもらって、 及第点の原稿を書いて渡す。 「ちょっとこの部分直してよ」 「はいわかりました」 手直しして「はい、オッケー」となる。 翌々月くらいに原稿料が振り込まれる。 そんな仕事のやり方が、 ぼくには快適だった。 「いつか、自分の名前で本が出したい」 そんなことも思ったこともある。 しかし、 実現するなんて考えるのもおこがましい。 漠然としたあこがれであって、 夢のひとかけらにもなっていない。 「そんな生き方で人生うまくいくはずがないよ」 だれもがそう言うと思う。 うまくいった人生かどうかは答えを出せないが、 ぼく自身は、 これまでの70年、けっこう面白かったと満足している。 でも、 大した努力もせずに、 ジグソーパズルのピースが、 パチパチとはまっていくのは、 なかなか自信につながらない。 自信がなくて、 いつもびくびくおどおどしているのに、 いつも結果オーライになるという、 おめでたい運をもっている。 ありがたい話だ。 自信はもてなくていいから、 感謝は忘れないようにしないと。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026年06月12日 12時18分37秒
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