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カテゴリ:Oの人生論
何となく虚無感。
毎日やることがあって忙しく過ごしている。 昨日も、 雨の合間を見て庭の雑草取りをした。 もともとヤギのいた場所。 一ヶ月ほど前に、 ヤギは裏の畑に引っ越した。 柵を壊して、 使ってない畑に運んで、 早く捨てないといけない。 ヤギがいると雑草はあまり生えない。 ヤギがいなくなった一ヶ月の間に草だらけになった庭を見て、 あいつらの働きがよくわかった。 そろそろ草を抜かないと、 玄関の横に草原が広がる状態だから、 訪ねてきた人は、 気の毒そうな顔をしてちらっと見ては視線をそらす。 「ちょうど雨の後だから地面も柔らかいし、がんばって草を抜こう」 妻と次女と三人でがんばった。 抜いた草はたい肥にしようと、 三女がやっている畑にリヤカーで運ぶ。 軽トラで行けば楽なのだが、 畑の脇の道路が長雨でドロドロになっている。 へたなところに突っ込んだら動けなくなってしまう。 それで山梨のときに買ったリヤカーを使うことにしたのだ。 リヤカーというのはなかなか役に立つ。 山梨では坂道が多かったので活躍の場所がなかったが、 鈴鹿に越してからけっこう働いてくれている。 畑まで歩いて5分ほど。 リヤカーに抜いた雑草を乗せて運び、 畑では両手で抱えてワイヤーメッシュで囲ったたい肥場へ。 足もとが緩いので足腰がきつい。 これを4往復。 「これ以上やると腰にくる」 右の臀部に痛みが出てきた。 腰を痛めたことはないが、 坐骨神経痛では何度か苦しんだことがある。 無理は禁物だ。 そうやって日々、よく働いている。 我ながら大したものだとは思う。 しかし、 虚無の虚。 虚しいのは、 いわゆる生産性、お金にならないこと。 もともとのぼくの仕事は原稿を書くこと。 400字あたり数千円とか、 一冊でいくらとか、 やっぱりお金になるというのは励みになる。 まして本だと、 売れれば収入は増えるわけで、 ぼくの場合は、 欲が刺激されることでやる気も出てきたものだ。 70歳になったから、 そういう欲の世界からは脱したいと思っていた。 ヤギや犬、ネコの世話をして、 たまに畑に行って、 それでどうにか暮らしていけるのだから、 傍から見れば、 何ともうらやましい生活かもしれない。 しかし、 お金に毒された世代の一人として、 なかなか経済優先の思考からなかなか抜け出せないでいるのだ。 虚無の虚というのは空っぽという意味らしい。 空っぽというのは、 何もないということでもあるが、 哲学的に言うと、 すべてがそろっている状態でもある。 色即是空、空即是色ってやつかな。 虚無の無は、 無限ということらしい。 つまり、 すべてがそろっている無限の世界。 可能性に満ち満ちているわけだ。 ぼくは今、 現実のドロドロした世界からちょっと足を踏み出して、 ときに「お花畑」と揶揄される虚無の社会を垣間見ている状態かな。 ほんのちょっとだからびくびくどきどき中途半端。 だから、 落ち着かない。 そんな結論に達した。 もう一歩、 覚悟をもって、 お花畑に足を踏み入れられれば、 頭に上っているエネルギーが下肚に落ちてきて、 足もとがしっかりとするはずだ。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026年09月15日 15時07分56秒
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