|
カテゴリ:タイランド旅観察記録
ミャンマーとの国境にメーソートという町がある。そこに「かめゲストハウス」という安宿があります。このゲストハウスは、客の大半が日本人と云う所謂“日本人宿”。オーナーのレヌーさんは日本で長年働いていた経験があり、日本語が達者。この「かめゲストハウス」の素晴らしいところは畳の部屋がある事。畳があるのはドミトリー(共同部屋)の一部屋だけだが、そのドミトリーは一人一泊60バーツ(約180円)という実に良心的な料金設定です。 本棚には日本の書籍がたくさん並んでいる。「あしたのジョー」や「北斗の拳」が全巻揃っていたり、他にも色んな漫画が全巻揃っていたり、小説、旅行記など本棚は充実している。日本人の誰彼が置いて行ったり送って呉れたりで、本棚が充実して行ったという訳です。ちょっとした漫画喫茶。もちろん本はただで読めます。 海外に来てまでわざわざ日本の漫画を読まなくても…と思いつつ、でも、日本にいると何かと忙しくて漫画を読む暇も無いし…とやや複雑な心持ちになりつつも「あしたのジョー」を手に取って読み始めると、これがまた懐かしさと相俟って、読み応えがあった。結局、全巻読破。 のんびり出来るタイの田舎。畳の部屋でゴロ~ンとなっての読書は快適だった。「北斗の拳」も読破したかったが、時間の都合で読破出来ず。何故かタイに来て日本の漫画にハマってしまった。中でも、最もハマってしまったのが相原コージの「コージ苑」この4コマギャグ漫画は抱腹絶倒。 旅の醍醐味はなんといっても出会い。各地で色々な出会いがありました。 我が同胞日本人旅行者との出会いも実に興味深いものだった。旅行者は実に個性的な人が多い。特に大きなリュックサックを背負い、旅費を節約しながら長旅をしているバックパッカーの中には日本では中々出会う事が無いようなタイプの物凄い個性派がいる。 概ね善人良人のようだが中には計り知れない不思議な人や非常識なバカタレもいます。 「かめゲストハウス」でも過去二名の理解不能な日本人バックパッカーに遭遇しました。 一人目は、私が初めてこの「かめゲストハウス」を訪れた2003年12月16日に出会った山田金造さん(一部仮名)。自称70歳の老人バックパッカー。このジジイは平然と食い逃げをするロクデナシ。バチが当たったのか腹をこわして病院行きに。下痢だと言う。入院して即退院。保険料目当てがバレバレ。海外旅行保険に入っていれば入院費が全額戻って来る。このジジイは確信犯!入院し、全額保険で戻ってくれば、結果として、食費、宿泊費もタダと云う事になる。 しかし、ジジイの思惑は外れた。退院して、その場で料金支払いが病院側から命じられた。それは当然の事。その領収書を日本の保険会社に提出して初めて入院費が返って来るという仕組みをジジイは知らなかった。ジジイは「金は払わない」の一点張り。「金は保険会社が払うんだ」と強情を張り通した。 「だから、今、お金を払って下さい。払ったら領収書が貰えます。帰国したらその領収書を保険会社に提出して下さい。そうしたら、お金が返って来ますから…」と説明してもジジイは丸で聞く耳を持たなかった。そして、意地でも金を払わない姿勢を貫き通した。挙句、ジジイはキレて、大暴れ。ポリス沙汰となった。警察の調べでジジイは75歳と判明。 その後、ジジイの消息は不明。 宿の共同トイレにはジジイの下痢による飛び散った置き土産が残されていた事から下痢は嘘では無かったようだ。 オーナーのレヌーさんを始め、宿の従業員、病院、警察、日本人旅行者とジジイこと山田金造(一部仮名)から多大な迷惑を被った。 まあ、何はともあれ、山田金造さん、ご冥福をお祈りいたします。 2人目は恐怖の引きこもりバックパッカー。2004年11月23日の事だった。ドミトリー(共同部屋)に泊まっていたのは、見た目25歳くらいの日本人男性。彼は一日中部屋にこもりきり。畳部屋の隅の方に寝転び、終日ウォークマンを聴き、本を読んでいた。誰ともしゃべりたくないオーラを出していた。外に出るのは、1日1回。朝の買出しである。買い物はいつも大量の水とパンと野菜。あとはずーっと部屋にいる。同胞の日本人が話しかけても迷惑そうな顔を見せるので、これは話しかない方が良いという結論になった。完全に心を閉ざした姿勢なのであった。聞いた話によると彼は1ヶ月間ずっとドミトリー(共同部屋)に住みつき、誰とも会話をしない姿勢を貫き通していると言う。誰とも交流を持ちたくないのならドミトリーじゃなくて、せめて、シングルルームに泊まってくれと言いたところだ。どんな事情があるのか知れぬが、海外に来て部屋にとじこもっている。心を閉ざして、誰とも話さない。話しかけると迷惑そうな顔をする…。全くもって理解不能な引きこもりバックパッカーであった。その後、彼は宿を去ったが、彼の旅の目的、タイに何をしに来たのか、謎だけが残った。 私が初めて一人旅に出たのは八年前(1998年)。 自由な旅をするんだ~!と粋がってガイドブックや日本の書籍類は全て家に置いて旅立った。海外へ出たら、日本語を話す事も無い。日本人が溜まるような観光地には一切行かない!日本人が溜まる宿になんか泊まる奴ぁ負け犬だ!と大言壮語していた。 しかし、旅を重ねて現在。ガイドブックは入念にチェック。本は必需品。4,5冊は持って行く。日本人宿にも偶に行く。 だいぶ心構えが変わってしまった。 旅に対する心構えが変化しても一貫した旅のテーマは「出会い」。旅先での数々の出会いは、良き思い出です。旅は出会いと別れの凝集。そんな刺激的なエブリデイだから旅は止められない。 「かめゲストハウス」は私のお気に入りの宿である。日本人でぎっしりという“日本人宿”は苦手だが、「かめゲストハウス」は多くて宿泊客が4、5人。最少は自分一人だけという感じなので居心地が良い。 メーソートはこれといって見所(有名な観光名称)などない庶民的な町。メーソートに来た旅行者はせいぜい国境を越えてミャンマーに入国するくらいである。 国境の町という事でミャンマー人の姿が目立つ。ミャンマー語、カレン語、タイ北部方言等が入り混じるメーソートは何とも不思議な感懐がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[タイランド旅観察記録] カテゴリの最新記事
|