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佐竹台8丁目25番地―12

サインボール('02/07/07)

サインボール

このサインボールを手に入れたのが、
ちょうど5年前の今日のことになる。

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この間の日記に、この季節は、BWを思い出すと書いたが、

その理由は、
この時期に、毎年決まってBWを観戦していたことがあったから。

そして、集客が見込めるから、というのもあったのだろう、
不思議とホームの神戸で試合が開催されることが多くて。

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私の憧れの、藤井康雄選手は1962年の7月7日生まれ。

詳細は、
コチラ

小学校高学年くらいになると、野球観戦好き少年やっていると、
ひいきチームの、スターだけじゃなくて、
どういう選手が在籍して…っていう名鑑とかにも興味を持つようになるじゃないですか。

私が9歳だった時、86年秋ドラフトで、24歳で入団の康雄さんを、
ひいきチーム所属の選手として知ったのが、88年。

「良く打つ左打者なんだ」ということを知ったが、顔などはまだ知らず。

だって、当時はネットも無かったし、
交流戦も無いからパリーグ選手がTVに出るのって、
たまーにNHKのデイゲーム中継で、くらいしかなかったから。

新聞に載る記録欄、「○打数○安打○打点」の数字から
選手の活躍を想像するしかありませんでしたから。

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それ以降、康雄さんは膝の故障で約1年を棒に振った92年シーズン以外は、
ほぼずっと一軍で試合に出場する選手で。

仰木監督の日替わりオーダーになっても、予告先発で相手が左腕とわかっても、
代打とかでの出場も多て。

だから、新聞の記録欄にも、名前が合って当然、という感覚で。

いつの間にか、私の中で藤井康雄選手は、

チームにいない、ということが全く想像できない、
極端に書けば、水とか空気とかのような存在になっていた。

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私と同じような想いを持っている人も多かったのだろう。

だからこそ、チームの人気選手だったわけで。

そして、その康雄さんの誕生日の7月7日、神戸でのBW主催ゲームが多く、

結局私は'99年から4年連続して通った。

…残念ながら'01年には出番が無かったのだけれど…。

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'02年、私が社会人生活を始めた時、
希望、予測していたのは、千葉での生活だった。

が、実際は岡山で始まった。

本当は千葉での生活のはずだったのに…。

その気持ちを、ずっと持っていたので、
最初の新人研修1ヶ月と、6月頭からの二回目の新人研修が千葉であることを知ったとき、
正直、ラッキー!!と思った。

でも、7月7日は、わざわざ西に帰ることに決めていた。

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前日の6日土曜日の夜に、生まれて初めて三ツ沢球技場での横浜FCの試合を観戦して。
(三ツ沢陸上の方はこの年4月にあったのだが)

そこから、地下鉄で新横のラー博経由で、東京に出て、夜行バスで大阪に向かい。

…当時はそんなことをまだ出来ました、若かったので。
今はもう、ようしませんが… 笑

大阪で、弟と合流して、神戸のスタジアムへ向かう。

当然、行ったのはライトスタンド。

バースデーアーチを、一番近くで見たかったので。

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中に入るとき、先着何名かに、
とあるスクラッチカードを配布しており、それを入手。

なんでも、数字が隠れているらしく。

5回表?の攻撃が、スクラッチに書かれた打順の選手からであれば、
何かの商品が当たる、とのこと。

早速削ってみたら、9の文字が。

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で、試合。

詳細は全く覚えていない。

Fの先発が外国人右腕で、なんかこの年限り在籍した投手だった気が。

でも、F戦に相性の良い康雄さんは、この年は完全に調子を落としており、
ベンチスタート。

この年に、この年だけなぜか、
ストライクゾーンが高めに広がる、という話になって、

ローボールヒッターの康雄さんは、打撃を崩してしまって。

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5回表。BWの攻撃が9番の葛城(現T)からだった。

あ、ラッキー、当たってるやん!!

ということで、イニングの合間にライトスタンドの後ろの引き換えブースに行く。

すると…

なんでも、数字が当たっただけの人への商品と、
丸に囲まれた数字で当たった人への商品が別で。

囲まれた方の数字の方が、レアで商品もグレードが良く。

で、自分のスクラッチを見てみると…

丸がついた9!?

ということで。

交換所のお姉さん3名が、ビックリしながら揃って拍手してくれ、
照れながら貰った、その時の商品が、この写真の康雄さんのサインボール。

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しかし、この日も、康雄さんの出番は9回終わっても、無かった。

が、運良く試合は確か3-3のままで延長戦に。

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11回裏。

BWが1死満塁の、サヨナラのチャンスを迎える。

打者は、2番の竜太郎(現E)、3番のセギノール(現F)と続く場面。
Fの投手も、左腕が残ってなかった気が…?

だから、満塁HR日本タイ記録にリーチがかかっていた康雄さん。

ここでの代打起用!!を期待して、

ライトスタンド~一塁側から沸く
「ふ・じ・い!!」のコール。

だって、ここでHRが出れば…!!っていうのもあるけど、

でも、それをFバッテリーが警戒して、制球乱して、四球でも、
押し出しで勝利のケース。

そして、その前年まで指揮を取った仰木監督は、
そういう使い方が出来る方だった、

その前年に3本の代打満塁HRを打った康雄さん(←シーズン最多タイ記録、もう1人は元C町田)、

そのうち1本は、勝負が決まってからの札幌でのF戦で、
ファンサービスと、個人記録へのチャンスを与える、の両方の意味のある起用をしたりしていたし。

でも、02年当時の、勝利に縁遠い某熱血系監督は、
そういう粋な采配、勝負の機微を知った采配が出来る人ではなく…。

結局2者ともに凡退…。

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でも、待った甲斐があったのが、12回裏。

12回表を凌ぎ、BWの負けが無くなった、この試合。
しかし、4番5番が凡退し、2死で打者が6番塩崎(現Bs)。

ここで、ようやく熱血が動く。

塩崎に一声かけてから、
ようやく、代打・藤井選手を告げた。

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2年ぶりの、誕生日試合への出場に沸くライトスタンド、
その中に当然含まれる私。

応援団が奏でる、ハッピーバースデーの歌、

続けて、康雄さんのテーマ、

「♪そ~れ、それそれ、ふ・じ・い!!」

期待したのは、打球がここに届くこと、ただ一つ。

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恐らく、

いや、間違いなく康雄さんもそれを狙っていたのだろう。

確か1-1からの3球目だったと思うのだが、
康雄さんは思いっきり引っ張ったスイング。

しかし。

放たれた打球は、スタンドに届く飛球ではなく。

高く上がるフライでもなく。


セカンドゴロだった、


しかも、鋭い当たりではなく、

ひょっとしたら
バッティングセンターで自損事故起こすくらいどんくさい私が、
仮に二塁手として守備に就いていたとしても、

処理が出来たのでは…、と思えるほど。


そんな、力の無い、どん詰まりだった。

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その瞬間は、やっぱり期待していたのはアーチだったので、
多少ガッカリはしたけれど。

でも、帰り道に途く時にはもう、全く、ガッカリなんて、消えていた。

球場で康雄さんの打席に会えた嬉しさの方が大きかったし。

それに、欲しかったサインボールが手に入った喜びも大きかったから。


…その時にはまさか、

この日のこの姿が私にとって

BW所属のプロ野球選手・藤井康雄選手を見られる最後の機会だったんだ、

なんて分かるはずも無かったから。


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その後、康雄さんは何とか調子を取り戻すために、
1度サーパス(=2軍)に行き、そこで調整。

私もずっと、新人で、研修終えて本格的に開始した業務に
ついて行くのが精一杯で、足を運べなかったが、

でも、この時期は毎晩必ずサーパスでの結果を、ネットでチェックしていた。

そして、やはり格の違いを見せ付けて、HRを連発するようになり。

BW自体が全く打てなかったシーズンだったこともあり、
すぐに1軍からお呼びがかかり、

復帰後はHRこそ出ないものの、
記録を見たら、ライト前ヒットが多く出て来て、

そうだ、やっぱり康雄さんはまだまだやれるよね!!

と思っていたのに…。

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9月25日。

昼過ぎに、会社で仕事の資料作成中、
ちょっと休憩、でネットでニュースを見たとき。

康雄さんの引退表明が目に入ってきてしまった。

もう、その日はそれ以降、全然集中力が帰ってこず、仕事が進まなかった。

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その時の、康雄さんのコメントで、今でも覚えている部分がある。

「(ファンの)皆さんから期待の声援を送ってもらっているのに、
それに応えられない、そんな自分がもう許せない」と。


…きっと、7月7日の、康雄さんの40歳の誕生日に迎えた打席も、
そのうちの1つに含まれていたのだろう。

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所用で10月13日神戸での、康雄さんの引退試合には行けなかった私。

でも、それは仕方が無かったことなので、もう割り切れている。

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康雄さんのサイングッズは、もう1つ持っていて。

それは、'01年1月8日、神戸での握手会&サイン会の時にもらった色紙。

このとき、先着20名ずつ、
サインボールと、サイン色紙が選べて、

開始2時間半以上前から現地に着いた私はどちらも選べたのだが、
列に並ぶ人が少ない、色紙の方に並んだ。

だって、ちょっとでも早く、サインと握手が欲しかったから。

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康雄さんサイン会の様子

順番が近づき、ドキドキしていた。

康雄さんの手は、大きくて、力が強そうで…。

康雄さ~ん!!

でも、握手させてもらった時に感じたのは、

硬い手だ!!

ということだった。

手のひらの皮膚が、ガチガチした印象で。

きっとそれは、
それまで何千回、何万回とバットスイングの練習を繰り返し、

マメがつぶれても、つぶれてもバットを振り続けてきた
その練習・努力の証だったんだと思う。

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そんな努力を、積み重ねていたからこそ、

康雄さんは40歳まで現役を続けることが出来たんだ。

もちろん、年齢と共に衰えを感じるシーンはあったけれど、

でも、ボールが異常に飛ぶようになる前の98年、
36歳の時に、年間30HRを見せてくれたり、と

年齢を感じさせないプレーで魅せてくれた。

そして、そんな康雄さんを見てるうちに、

ずっと康雄さんは、チームにいてくれる

と、錯覚してしまっていた、いつの間にか。

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でも、人間が関わるものには、
どんなものでも、「永遠」なんてものは無い。

いつかは必ず、失われてしまう。


…だからこそ、今が大事なわけで。


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5年前の今日もらった、このサインボール。

サインの部分が少しかすれちゃってるのは、
時々、しんどくて会社に行けない時、このボールをギュッと握って、

少し元気を出して、って時期が一時あったから。

かすれてきたのに気付いて、それ以降慌ててやめたが。

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そんな僕のたからもの。

康雄さんについて、いろいろと、思い出させてくれる。
でも、思い出すことは、過去にあった事実だから、不変だ。

でも、伝わってくるメッセージが、時間と共に変わってきている気がする。

よく、同じ映画や本や音楽を、見たり読んだり聞いたりしても、
時間と共に、感じ方が変わってくるように…。

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サインボールから今の僕に伝わってくるのは、
上にも書いたけど、「今を大切に生きろ!!」ってことだろうか。

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はたして、あと5年後にはどんなメッセージが聞こえるようになるんだろう?

…これは、5年後に、今日と同じことを思い出していることが前提となる話だが…。


でも、7月7日に、思い出さない、というのは、きっとあり得ないので。



この季節は、どうしてもBWのことを思い出すので。



[07/07/07]


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