う~ん、キューバ×日本
2002年11月の数日間、ハバナにいた。メキシコ・ベニトファレス空港からの午前便のチェックインがやたらと時間かかる。どうせ去年のテロからのことだから、しょうがないなとのんびりしていた。わたしの列の前に、なんだか屈強なにーさん達ががやがやといる。あれ、バット預けてる。それにしてもふつーキューバに行かなそうな(?)服装の日本人がずいぶん今日はいるなぁ、しかも団体みたいだし。なんでかわかったのはホセ・マルティ空港に着いてからだった。IBAFの開催国がキューバだったのね。すべてのチェックが終わりドアからでてきた屈強そうな兄さんたちを、いきなりテレビカメラが迎える。ナガシマさんがくるとかこないとか、うわさをしている人もいる。どこに泊まるんだろう?ま、わたしのいつも泊まるようなとこじゃないのは確かだ。(実際、セントロ・ハバナじゃ空港で会ったような人々にはその後じぇんじぇん会わなかった。)街について荷物をほどき、夕方散歩がてら友人宅に行く。「う~ん、悪いけど今度の試合はウチがいただきよぉ」会うなり野球の話題であった。はいはい、あげます、試合ぐらいなんぼでも。(空港で見かけたにーさんたちには、ごめんなさいですな)試合の結果だけはすれ違う知人、国籍わざわざ訊いてから野球の話する通りがかりの人、などから伝わってくる。そりゃもう皆さん「いただき!」だったから。会うなり「gracias,japon!」と喜色満面。ストレートにいえる日本人をつかまえてじかに言えるヨロコビも半分ありそう。しょうがないからこちらは「de nada」(このくらいなんでもないっすよ→えーい、もってけ!の意で)だの「felicidade!」(おめでとう!)などと答える。彼らの顔中うれしい状態を見たら、控えめなにほんじんはそう答えてあげるほかないのだ。ハバナの友人達が子どものときに楽しかった思い出を語るとき、そこにはたいてい「おとうさんの自転車の後ろに乗って、野球観戦した」エピソードが入っている。それを語るときの彼らの表情は「うっとり」そのものだ。お父さんに買ってもらったピザとtropicolaを両手にしながら観戦する。(おそらく70年代半ばから80年代初頭くらいのあいだの話のよう。)そこらへんの「たのしいうっとり」が全て野球愛へ変換されるならば、あの喜びようは合点がいくってやつなのだ。だから、今頃彼らがハバナの蒸し暑いお茶の間で(今頃なら夜は23~26度+@かな)、ロッキングチェアを揺らしもせずにテレビに釘付けしてるんじゃないかな、という想像はものすごく簡単にできる。わたしもここで、まだ寒い東京でおやつ(鉱泉せんべいだのどらやきだの)をたべながら観戦するんだ。ハバナの友人たちと同じものを見ることができる時間。(そうそうない瞬間です。)でも、どっちを応援しようか。