2004/04/12(月)19:39
キューバ映画を旅する(映像にも訛りが存在する)
国立近代美術館フィルムセンター@京橋。
すでにロードショウで見たことのあるトマス・グティエレス・アレアの作品なんかもやっているけど、わたしのねらい目はサンチアゴ・アルバレス。
ドキュメンタリー短編。
60年代ベトナム連帯もの。
ベトナムの人々の「ふつうのくらし」から「戦い」にいたるまでを言葉なく映像と音楽と生の音源だけで作り上げている。
そのシーンに合った音楽、言葉がない分音楽が雄弁だ。
人々がごはんを食べているカットで大人たちが食べてるときは音楽のテンポが速く、こどもがへたくそにのろのろ食べてるとこではゆっくりと。大人が咀嚼するのとテンポがあまりに合いすぎてて思わず笑ってしまいそう。
侵略・統治されてきた歴史とともに「憎しみを力に変える」というフレーズが時折画面いっぱいに。銃を背中に田植えする、いつでも食うこと・生産することから戦いにスライドできる身軽さと「しん」の強さ、これを見たら革命下にある人々は確かに勇気付けられるかもしれない。自分たちよりも華奢で小さい顔と細い目した人々の弾力に。こんなシンプルな編集されたら、迷う余地などない。
戦争のシーン、もちろん本物。これを見ていていかに日本国内で見せられる映像が何度もフィルターのかかったものなのかと思う。お仕事で二次元だけども医学的症例写真見慣れた目でもこれはむごたらしい。いろんな疾患のは見ていても、怪我のはあまり目に記憶がないし。このまま見せてくれれば誰でもNO WARと唱えるに違いなく。
もうひとつもベトナムもの。
ホー・チ・ミンの生涯をあらゆる映像をからめながら。
時々、たんぽぽの花がゆっくりと開くカットが入る。
そのあとつながる映像によって、その花の意味が変えられていく。
(あー、わかりやすいなあ。どこかで見た感じ、こういうの)
どこかで見た感じだな、と思うのはわたしのキューバ友人のドキュメンタリーの文法にも同じ流れがあるなあ、という部分があったから。映像にもキューバ訛りがあるんだ、きっと。もちろん、アルバレスは友人にとっちゃ教科書みたいな人かもしれない。言葉で説明しない部分でも「言い回し」、これはICAIC(キューバ国立映画芸術産業庁)風味だわ。などと、一人で楽しむ。
絶え間なく入る音楽といきなりの場面転換、音と映像の洪水のような30分間+@。まさにキューバ的やかましさと色づかい(ちなみにこれって白黒作品なんだけど、すごく色彩を感じる)長々とカメラ回さないでもできるんだねえ。これ、見ているときもものすごい刺激。うちに帰ってもTVに集中できなかった。むー。