2004/05/07(金)23:09
ワーカホリック、ホームシック
休み明けから早速勤労的日常に突入。
うちへ帰って風呂でうだうだしてふやけてから深夜にTVつける、「地球に好奇心」キューバのカチャロスの話やっている。出てくる歌手のおばちゃんのいい台詞「そりゃあ新しい車もいいけど、この国で手に入るもので満足しなくちゃ」・・・cacharrosってキューバにある北米のクラシックモデルの現役車のこと。うんと働いてこれをやっと手に入れたおばちゃんの、娘にいう言葉がさっきの。
cacharrosをめぐる人々のいろんな話。革命前にレーサーだった82歳の老人を名誉会長??とするcacharros愛好会のおじさんたちや、天才整備士親子の話。無いものは作ればいいって簡単に言い放つおじさんたちが好きだ。この親子が古都トリニダーに1917年製フォードを修理しにいく。往診とでもいうか。この途中、整備士たちの車も故障したりして笑うに笑えないシーンあり。笑うに笑えないから、笑い飛ばしてしまう。もちろん、天才整備士だから簡単に直してトリニダーへ。「車のどこが悪いかって、そばに行っただけでわかるんだよ」・・・今まで何台の車がこのおじさんの手で再び路上に出ることができたろう。かの地にはこういう天才的な修理工が車に限らずあっちゃこっちゃにいるもんだ。瀕すれど窮せずってとこがかっこいい。何とかしちゃうのだ。
そして何とか走るようになった1917年型を見て、この親子がつぶやく。「すごくいいじゃん」(タン・ボニート!)「信じられない!」(インクレィブレ!)「うそみたいだけど、ほんとに走ってるなぁ」・・自分たちで修理しといてこの余裕な発言。クールだわ。
でも、別にこういうことは驚かなくたっていいのだ。
三日も過ごせばフツーに思える。
そうそう、ほしいものが無ければ作ればいい。
ただ、ものが溢れる国にいるとなかなか気づかないけど。
「ここで手に入るものに満足しなきゃ」
ものが溢れる国、そうでない国。この台詞はリバーシブル、ambos mundosで通用すると思う。満足するって大事なことかもしれない。自分の手と頭を使って何か作れるってことを忘れないように。
どうしても、町に並ぶショウウインドウが目に入ればそういうことは忘れがち。だからあえてそこに目をつぶって自分の手で作ってみる。何かの完成品を買うときは、その手間のかかる時間を買ったのだと思っている。トーキョーにいてキューバ的精神を維持する方法。(自分の手で作れるものに満足しなくちゃ。今のに満足できなかったらもっと上手くなればいい)そういう動機から服を縫ったりしている。ついでに、旅用の服も。だって、キューバのおばちゃんたちとお裁縫の話ができるもの。既製服ではこうはいかない。
仕事まみれでヨレつつ、ホームシック a la habana。
わたしの友人はサックス奏者だったのだけど、北米に亡命してから管楽器のrepairmanになった。キューバ仕込みの修理には定評があるに違いない。演奏よりも忙しくなって本業になってしまったとか、なんとか。いつも普通にやっていたことで生計を立てられるようになる。ちょっと海をまたげば物の溢れる国。ほんとに、行くたび帰るたびにいろいろ考えてしまう。深夜のTVにかぶりついて、ついでに出てくる人々のちょっとしたしぐさや発音に涙する午前三時。ふにゃ~、早く寝ろよ自分。