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カテゴリ:おんがくの話
小学校にあがる前からピアノはやっていた。
その当時住んでた集合住宅の階上にセンセイが住んでいた。 音大生だったから、毎日毎日毎日むずかしい曲をくりかえしくりかえし弾いていた。ピアノを習う前から、センセイの練習するリストだのドビュシーを二段ベッドできいていた。わたしが寝ている部屋の真上がセンセイの練習部屋だった。 実は当初、そのセンセイには習っていなかった。 「こどものバイエル」の赤い本のほんのさわりをやったあたりで、最初の先生が病気になってしまったのだ。 そんなわけで、まだ音大生だったセンセイ、わたしがぐうぐう寝ながら演奏を聴いている、その演奏者である彼女にお願いすることになった。 もちろん「C-D-C-D-C...」あのバイエルの赤・一ページ目のとこからやりなおし。(つ、つまんねぇ。) 片手から両手で引けるようになる、でもいつになったらセンセイが毎晩わたしの寝る部屋の天井から響かせるようなのが弾けるようになるんだろ。まだるっこしいなあ。毎晩センセイが弾く曲を覚えてしまった。「こんなのやってるでしょうせんせい」偉そうである。両手でユニゾンであるが弾いて見せた。「あんた、ねえ。」だって聞こえるんだもん。 しかし、大人は二枚も三枚も上手だから「きょう、ぜんぜん聞こえなかったわよ。だから先週注意したゆび、ちっとも直ってないじゃない」(アイタタ。)わたしに聞こえるものは、センセイの部屋からだって聞こえるのだ。 はやく勝手に早く弾けるような本、もらえないかなあ。 バイエルの赤に黄色、メトードローズの教則本。 でも、中には自分のすくないテクニックでも何かその世界に入れるような曲もあり、まるでいやになるわけではなかった。 同時に歌もうたっ(わされ)た。 「この曲に今アドリブで思いつきで出たとこでいいから、何か好きな歌詞をつけてうたってみようよ」そういうときは本当にでまかせで歌詞をつけて、しかも何回も歌いセンセイが楽譜にそのでまかせな歌詞を書き込んでしまう。 センセイ、伴奏してくれてそのデタラメな歌を一緒に歌ってくれるのだった。ふたりでうたうデタラメの歌。なんかちょっと照れくさいのだけど、こういう瞬間に世界がすっかり出来上がっていた。 削ってない赤鉛筆で卒業できた曲のページにおおきな丸をくれる。いまいち、だけどもういいよね次にいこう。そういうときは二重丸。まともにやれて暗譜もできて、好きだなあって曲とお別れするときは少しさみしい。でも、次のページにはもっとたくさん音符のかいてある曲がのっている。すぐ次のたのしみに進めるのだった。 習い始めて一年くらいたって。 「きょうはいつもの練習曲はやらないよ。五線ノートを出してごらん」 (えー、せっかく練習しといたのに・・) いわれるままにB5判横開きの五線ノートをひらく。 クレヨンも用意。 「そこにドレミファ・・って上のドまで、すきな色で一個ずつかいて」 ドは赤、レはむらさき、ミはきいろ、ファはだいだい、ソはあお、ラはみどり、シははだいろ。ぐりぐりと四分音符を書く。 (たしかそんな色だったような記憶。) これからたくさん音符がかいてある曲をやるのに、色って何か関係があるのかなあ。 そのうち、「この音は何の音?どの色?」 センセイが弾く単音を聞き、その音を当てていく遊びが練習に加わった。毎週、毎週。でも、練習だけで終わるより楽しかったし何より暗譜がだんだん早くできるようになった。 それから聞いて当てるのに加えて音を声に出してみる。 センセイはあたらしい言葉が楽譜にでてきたときも「いってごらん」と必ず声に出させて繰り替えさせた。アレグロ、アンダンテ、モデラート。今おもえば小学生ですでにラテン語を口にしていたのだなあ、と。この文字がかいてあったらそういうかんじ、気分になったつもりで弾く。早く、歩くくらいの速さで、ちゅうくらいのはやさで。 度重なる睡眠学習の成果で、すっかりセンセイの演奏のノリはなんとなく身についていたのか、どうか連弾などはわりと息が合っていて一緒に一台のピアノを鳴らして音を重厚にするの作業もまた燃えた。アイネ・クライネ・ナッハトムジーク!相手の動きを見つつも自分のパートを収めなければいけない、何かあれは独特な距離感だ。 センセイはまた、時々旅に出る人でもあった。 どこかに出かけては(その期間は練習お休み・・でも、いつもより宿題のページは多い)その国で見つけてきた面白そうな楽譜を練習に加えていった。 NYで見つけてきたっていう「バーナムのピアノテクニック」 それはバイエルなんかより数段自由で、たのしいイメージの曲が多かった。中にはいろんな国のリズムやスケールの曲があり、(さすがNY)その本からタンゴ、ロック、ブルースを覚えた。音が少ないから、センセイが横から低音で伴奏つけたり。エレクトーンをやってたお友達は当然、こういうのをリズムボックスつきでやってたんだろうけど。わたしはアップライトピアノでやっていたのだった。リズムを弾かなくていいエレクトーン、ラクそうでちょっぴりうらやましかった。でもそんなの自分で弾けばいいじゃん。 ブルースにタンゴをやっていたころはもう、ドレミじゃなくてツェー・デー・エー・エフェ・ゲー・・と読まされていた。ついでに音当ての遊びはさらに難しく、センセイが別のピアノで弾いたのを、声とか音名じゃなくてピアノで弾いて回答するようになっていた。もちろんあとで音名でもやるけど。 結局高校の受験前までそのセンセイと一緒にピアノをやった。エジソン・ペーターズ版と呼ばれるなんにも書かれていない楽譜を買って「好きなように」強弱や記号をつけてベートーヴェンを弾いていた。 (関係ないが、ベートヴェンのソナタをフルサイズで弾くとかなり腹が減る。) その延長に現在があって、今でも頭の中で勝手に何かのテーマのアドリブ・ソロを考えていたりして遊んでいる。 もちろん、今でもいきなり「A」の音ちょうだい、って言われれば口から440KHZの「ら」が出ます。これはきっと、一生ついてまわる感覚。よくも、わるくも。 一人の時間を誰よりも贅沢に使いたかったら、こういう教育は受けておいたほうがいい、に違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 12, 2004 10:26:37 PM
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