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倖和(サチナゴム)の妄想小説・・・

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2021年11月10日
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カテゴリ:社会
「責任能力は認められるが、死刑選択は躊躇」ということらしいです。遺族はがっかりしました。死刑は当然と思っていたからです。なにしろ犠牲者は3人です。死刑が求刑されて当然の事件でした。殺人の動機はいわば“逃避”です。患者の臨終の瞬間に自身の対応を強いられる大変な状況に遭わないために行いました。理解し難い実に身勝手な動機ですが当時は自閉スペクトラム症と鬱だったために行動がうまく制御できなかったということです。

 確かに部外者だったらこの判決は妥当と思います。適切な治療を受け人間性を取り戻したのちに、ずっと罪と向き合いさせる方がいいかも知れません。裁判は敵討ちではないのです。

 ネットでは判決に対して非難轟々です。死刑が当然という空気です。被害者はもちろん遺族にもたまらない仕打ちとなったということです。私も自分の大切な人が殺されたら許せないでしょう。死刑でも物足りず一族郎党皆殺しの感情に突き動かされるかも知れません。

 しかし、それでもやはり死刑は賛成できません。

 死刑囚の中には聖人のように人格が変わる人がいます。絵を描いたり小説を書いたり思わぬ才能を発揮する人もいる。巡り合わせが少しズレたために取り返しのつかない罪を犯しました。実は社会の矛盾の中で我々の身代わりになったとも言えるのです。もう少し社会が寛容で優しかったら事件は起きなかったかも知れないのです。誰でも罪を犯してしまう可能性があるわけです。

 実は私がこの事件を初めて聞いたときに思ったのが病院の人間関係です。厳しい試験と競争を勝ち抜いて医者になった者がそれにふさわしいリーダーシップを現場で発揮せず面倒なことはみんな立場や気の弱いものに押し付けていたのではないかということです。被告だけが悪いのではないということが裁判を通じて一般人である裁判員にも感じ取られたのでしょう。医療全体の問題なのです。

 この頃、多くの職場で頼りになる人が減りました。損得ばかりに汲々として無責任に逃げ回る人が増えました。その逃げ方の巧みな人が出世します。そんな集団が増えたような気がします。真面目に取り組んだ人ほどバカをみるわけです。この連続点滴死事件もそんな風潮の中で起きた悲劇だと私は見ています。

Destiny OP Destiny 体験版を遊びつくしてみた。
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↑ストーリーをつくるのは本当に面白いです。これでオリジナルな漫画かイラストが書けるといいのですが・・・がんばります!
もう一つのアリとキリギリス
by 倖和(サチナゴム)





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最終更新日  2021年11月10日 07時58分51秒
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