倖和(サチナゴム)の妄想小説・・・

2024/05/09(木)09:29

“底辺校”という差別の件。

社会(835)

底辺校というのは最近出てきた言い回しです。Fランク大学もそうです。まるで青春というか人生のごみ箱扱いです。でも実際には生徒が通っていて日々学校生活を送っています。が、どうにも扱いがひどいです。才能を育てるという感覚が著しく欠如しています。ひどい言い方をすれば檻の中で飼育されている、といった感じなのです。  言葉は時に恐ろしい力を発揮します。底辺校やFランク大学という言葉がそうです。この言葉自体が教師やそこに通う生徒たちの精神をスポイルしてやる気を奪っているのです。学ぶ気がないから卒業しても働く気も子育てする気も選挙にいく気も何も起きない、ただ目の前の人参に食いつくような人生を送ってしまいます。  学校制度の終焉が迫っています。一部のエリートだけを育成すれば彼らが日本を救ってくれるという幻想に逃げ込んでいるのです。  エリートの定義は難しいですが要は集中力と根気を備えた自己肯定感のしっかりした人間と考えていいでしょう。具体的には偏差値が73以上、上位1%、100人中1番の人間です。やはり家庭環境がかなりものをいうと思います。しかしそのエリートの信用も今どんどん落ちているのです。私はそれを学校教育のせいだと見ています。せっかくの才能が嘘をつくことに浪費させられています。  例えばスポーツ強豪校の実態を見たらわかります。すべてが虚構です。建前はやけに立派ですが一部のエリートと多くの補欠でただただ学校の都合による勝利至上主義の実績獲得に奔走しています。エリートたちが補欠たちを教え導くなんて話は全く聞きません。子供の成長のためというのは大嘘です。一部の大人の利権のために子供の才能と親のお金を奪っているのです。  偏差値が高ければとにかく医学部にいくという進学校の風潮もそうです。本人の適性など関係ありません。  どんだけ偏差値を高く設定したなんちゃって名門校をつくっても社会は発展しません。すぐにダメになるでしょう。大人に都合の良い成績の結果だけでエリートだと錯覚した人間はあっさり傲慢になり庶民をないがしろにし選民思想におぼれ、すぐに汚職その他で腐敗します。一方で仮に心あるエリートがいたとしてもすぐに孤立し庶民の方も妬みや劣等感からそのエリートの掲げる理想などからっきし理解できないししようともしません。社会の断裂です。  この状況を救うとしたらエリート街道からはみ出した挫折組でしょうか。彼らがカギになります。実はエリート同士たちの争いも激化します。パイが小さくなってくるからです。疑心暗鬼の状態になる。その彼らがエリートだったのに差別される側に転がり落ちたことによるショックで覚醒する。それが人間を育ててくれる、と思います。  残念ながら底辺校やFランク大学の生徒で世の中を変える動きは出ないでしょう。扱い方の問題なのです。最初からやる気を奪われています。ひどい扱いなのにそれに気が付かないのです。まちがってトップ1%のエリートがそこに紛れ込んだらわかりませんけどね。  学校教育とは違う、そういうはみ出しエリートたちの人生塾、明治維新前後に出てきた適塾とか松下村塾とかのような研究サークルのようなものが例えばSNSなどを利用して拡散し実力をつけていくような動きが出てくれば社会は変わってくると思います。ただそれはあたかも新興宗教のような様相を呈していると思います。受け入れてもらえるでしょうか。  流血だけは避けてほしいと思いますが… Destiny 体験版を遊びつくしてみた。 貴婦人の乗馬他 オーケストレーション にほんブログ村 にほんブログ村 ↑ストーリーをつくるのは本当に面白いです。これでオリジナルな漫画かイラストが書けるといいのですが・・・がんばります! もう一つのアリとキリギリス by 倖和(サチナゴム)

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