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木村聡子

木村聡子

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デビュー10年目の今年は正念場です。一昨年、一念発起でとにかくガムシャラに出来ることを何でもやろう!と決心して手当たり次第にお給料無視で様々な活動を始めました。

同人音楽に参加すること、生徒さんが少なくてもカルチャーセンターで抒情歌講座を受け持つこと、たくさんの場所で歌うこと・・・。

1年も経たないうちに、信じられないような形で結果が大きく花開いてきました。この花を少しでも長く咲かせていたい!そう思ってノンストップで頑張っています。

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2011年05月16日
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前日に「げんきに歌おう!プロジェクト」代表A氏率いる、私以外のメンバー3人が石巻市のボランティア協議会に出席して、キッズ担当のWさんにこの日、避難所に案内してもらう約束をとりつけていました。

演奏ボランティアをやりたくても、受け入れ先がなければ演奏できないわけですから、現地でのマッチングが非常に重要です。
私たちが東京ですでに約束をしていたところは仙台市内の福祉施設で建物の被災のないところで、実際の避難所は有名芸能人は別でしょうが、最初からコンサートの約束をして向かうのは非常に難しいようです。
代表A氏の尽力の強引とも言えるかもしれない手腕で今回の演奏受け入れ先はすべて決定したわけですが、この避難所へ連れて行ってもらう約束も、彼の相当な押しの強さと運の良さで実現したようなものでした。

石巻の専修大学のボランティア本部でWさんと待ち合わせ。
専修大学のキャンパスには話に聞いた通り、小さなテントがたくさん立ち並んでいました。
ふと、楽しいキャンプ場に来たような気分になるような風景です。

04-01.jpg


Wさんは震災直後に仙台から個人で来て活動しているボランティアスタッフの若い男性です。
石巻市の子どもを専門にケアする部門がなかったため、彼が自分で立ち上げて子ども達の様子を見たり、ニーズを拾い集めるような活動をしているそうです。
彼に私たちの車に乗ってもらい、避難所のある渡波小学校へ案内してもらうことになりました。
(ちなみにこの車は東京からレンタカーを借りて乗ってきた、大きな車です。)

渡波は「となみ」かと思ってましたが「わたのは」と読みます。
中学の同級生で元生徒会長だった友達が、震災直後に現地入りしたところ渡波地区は被害がもっともひどく、道路がふさがっていて、そこまでたどり着けなかったそうです。
道すがら話を聞くと、GWにだいぶ人が入ったのでかなり片付けられて綺麗になったとおっしゃっていました。
震災直後はWさんも瓦礫撤去・泥だしもやっていたそうですが、車が入れないので瓦礫や泥を捨てたくても、捨てる場所がどんどん遠くなり非常に重労働だったそうです。
その一番大変だったときに現地で働いていた方々に心から敬意を払いたい気持ちです。

その他にもいろいろ質問したので、印象的だったエピソードを紹介。

ネットでは「ボランティアは被災者の世話になってはいけない。すべて自己完結。寝る場所、トイレ、食事すべて自分で用意できないものは現地に入るべからず」みたいに書かれています。
が、聞けばWさんは炊き出しを食べて食費は一切使わず、寝る場所は避難所の中、使うお金はタバコとガソリン、だそうです。
最初の最初から現地に入ってたからとかいろんな事情はあるんでしょうが、ネットに書かれている一般論はすべてではなく、いろんなパターンがあるんだなぁと実感しました。
(でも今からボランティアに入る方は、それをアテにしちゃダメですよ!!!)

学校が始まって、子ども達がいない時間が多かったり、他へ移ってしまう子も多いので、どんどんキッズの活動がやりづらくなっているそうです。
大丈夫かなーと気になる子どもがいても、ある日連絡がとれなくなることもあるようです。
移動するのは仮設住宅に行く子もいれば、別の場所に引っ越す場合もあるし、家の泥出しが終わって自宅に戻るパターンもあり、さまざまだそうです。
避難所を出られることは、もちろんいいことなんですけどね、と複雑そうなWさんの言葉が印象に残りました。
それぞれがそれぞれの思いで活動してるんだと実感。

渡波へ向かう道は、住宅街(であったと思われる道路)を通ります。
さっきまで通っていた道よりも、道幅がせまく、まるで今にも車の方に倒れてくるんではないかと思われる半壊・全壊状態の一戸建ての住宅ばかり。
ボートが屋根の上に乗っかったままになっていたり、車がひっくり返った状態で1階に突っ込んでいたり、そういう悲惨な状況が延々と続きます。
そのひとつひとつに家族の営みがあったのだと実感したくても、しきれないほどの嘘のような惨状でした。

きっと地元の中高生で賑わったと思われるファストフードの店や、スーパーマーケットが廃墟になっています。
そういう道で途中「ボランティアのみなさん、あたたかい支援をありがとう!!」とシーツか何かの白い布にペンキかマジックでかかれた幕を張った建物がありました。
私の今からやろうとしていることが、このメッセージを受け取る価値のあることかどうか、正直わからないとふと思いました。

車を20分ほど走らせたところで小学校へ到着。

04-02.jpg


避難所のT所長はいま郵便局に行っているということで、その間にさっきスーパーで買ったおにぎりを車の中で食べました。
(ちなみにスーパーは建物の中は使えないので、建物の外のテントを店舗にしたものでした。)
手作りメンチカツがめちゃくちゃおいしかったです!!
下の写真がWさんに会う前に立ち寄ったスーパー。↓
04-03.jpg


しばらくして所長のTさんに対面。
とってもノリのいいお兄さんで、自己紹介してチラシを渡すと
「じゃ、今日演奏していきますぅ?」
とビックリな展開に。

「俺、音楽大好きだからどんどんやっちゃって。1時間でも2時間でも♪」

そういうことで、急遽渡波小学校の体育館での演奏が決定しました。

続きは次回。
ああ、アタシ文章長すぎる。
でも記録したいから詳細に書きます!!

04-04.jpg

小学校に来ていた他のボランティア団体の車。
ボランくんとティアラちゃんのキャラクターがけっこう好きだったので撮影。





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Last updated  2011年05月17日 00時09分31秒
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