Satokoの徒然きままなときどき日記

2009/03/18(水)01:47

Fair Weather, Richard Peck

about Hannah(57)

Hannahさん、毎月「読書感想文」といった宿題がございます。 実は彼女本を読むのがあまり得意ではなく、いつも提出日ぎりぎりに読み終えて、作業を開始します。 毎月、いろんなジャンルから1冊選んで、レポート形式でもよいし、ポスターにしてみたり、パンフレットを作ってみたりしてもいいのです。 ただし、一度使ったジャンルの本はもう宿題として提出することはできません。 先月は、このあたりに住んでいたアメリカン・ネーティブ・インディアンのチーフ・シアトルの話を書きました。ワシントン州の地図を印刷して、ワシントン州の形に切った表紙にレポートをつけました。最後のページには、チーフ・シアトルの肖像と写真をインターネットで探してつけました。みんなからすごく好評だったようです。 3月のレポートは英語の先生の「個人図書」から借りてきました。 「フェアー・ウェザー」というものです。 田舎の家族が、シカゴにいって、世界万博をみるというもの。 レポート自体が仕上がってから、ハンナといっしょに今回はどんなプロジェクトにしようかと・・娘の宿題なのに、わたしのほうが必死になって検索を始めました。 たくさん、たくさん習うことがあってびっくり。 1893年のこのフェアは、コロンブスがアメリカ新大陸を発見してから400年を祝賀するためにアメリカで開かれました。1890年に大統領によって、シカゴで開催されることが決められてから、3年かけて会場をつくりあげていきました。 1893年の5月から10月の末まで6か月開催されました。 期間総動員数は、ざっとアメリカ人の半分がこのフェアに訪れたような計算になるらしいです。おそらく海外からの入場者も多数あったことでしょうけれど。 当時の入場料は大人ひとり50セント(子供は半額)、1893年から1894年にかけてのNYでの平均的4人家族の年間収入は325ドル程度だったといいますから、50セントというのは相当高額だったようです。 このとき初めて世界にお目見えしたのが「観覧車」です。 FERRISという人が発明したので、英語ではいまでもFERRIS WHEELとよばれます。 この観覧車ひとつのゴンドラに60人入ることができ、満員で1260人が乗った計算になります。 この観覧車の料金は1回2周で50セント、なんとフェアの入場料と同額だったのです。 それでもこのアトラクションにはたくさんの人が訪れ、当時の大きな話題となったようです。 日本のことも本の中で紹介されていたので、気になっていろいろお勉強しました。 日本は1872年ウィーン万博以来、日本のよさを世界に見てもらうために、最善をつくしてきたようです。 このときも18か月前から宮大工を送り込み、材料もほとんどを日本から持ち込み、宇治平等院の鳳凰堂を模した「鳳凰殿」を建設したようです。日本庭園もつくられ、日本女性が「お茶」のサービスをしていたようです。 また各国の特産物も盛んに販売されたようです。 日本は100万ドルを超す売り上げだったそうです。 200以上の建物があったフェアグラウンドに、現在も残っている建物があります。当時のFine Art Museumです。「シカゴ科学産業博物館」としてそのままの姿を残しています。 いまでも年間200万人が訪れる西半球最古の博物館です。 それでハンナのプロジェクトはどういう風に仕上がったかといいますと・・・ 旅行スクラップブック形式になりました。 当時のポスターを探して、フェアの地図や実際の写真を貼り付け、その中に彼女のレポートもはって、黒い台紙で6ページほどの大作です! 火曜日に提出! 今月は無事終わったけど、来月は??!?本人はタイタニック号について読みたいっていっています。映画のタイタニックを借りてみたら参考になるかしら? 参考にさせていただきいました。 http://media.pfeiffer.edu/lridener/dss/Addams/hh4.html http://www.chicagohs.org/history/expo/ex2.html http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/takanoden42.html

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