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昨年10月23日に家内を喪くした 消えない哀しみ。 やりようのない後悔。 想いはいつも、その時々の様々に対して もっと優しくすべきだった もっと言うことを聴いてやるべきだった あんなこともできたはず こうすればよかったはず なぜ救えなかったんだろう 病床、11月には仮退院が予測されていたのになぜ 医師を早く変えればよかった 病院をもっと早く移せばよかった あぁ 涙が止まらない 喪に服して49日まで 最低限の外出しかせず 黒い服しか着なかった 49日が過ぎて家内の夢だった福祉活動やボランティアを再開 が、なかなかうまくはいかない 子供食堂の設置や、ボランティアグループの立ち上げもしくじった 家内とやろうと思ったラジオだけが続いているが 家内が求めていた福祉等の方向とは異なっている あんたが話してるのが好き 病床 中断していたラジオの再開を家内が求めた しかし、最近は悩んでばかり、毎日読経し、写経し、 私の心がもう持たない 事故にあった親友がいた 可哀そうで貸した50万はいまだ返らない それが本当に悲しい 家内がいたならばどう言っただろうか 人生で一度も金なんて貸さなかった 特にバブルの頃、すべて断った 金を貸すと友情が壊れることを知っていたからだ 様々なところで判断が鈍り、しくじりが続く グリーフワークでは 近親を亡くしたものの話を聞いてくれるという 電話をしてみた うんざりした いかにも悲しそうに話を聞いてくれる【ふり】が読めた あなたは恋人や伴侶を不意の事故や病気で無念になくしたことはありますか と聞いてみた こういう活動は、そういう経験がない方は行うべきではない 優しさが仇になる いや、私には、なんでそういう活動をしているのかわからない それで金を得て暮らしているのだから余計に救われない 様々なグリーフワークに心のわずかな平穏を求めたが 薄っぺらいそこには、求めるものはなかった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.06.26 00:31:38
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