伝わることの難しさ
かなり忘れたけど、フランク・ナイトだったはず、情報はそれぞれの人に分散し偏在されていて、集計するよりもその場での決定が効率的であると。また、言葉にできない伝承や習慣のようなものを無理に析出しても無意味な形式情報になってしまう。情報に意味を付け加えることをそれぞれの人の解釈に委ねる部分を極小化する追求は、結局、手がかりとなる隠された意味を含んだ情報量を増やし、受取手により高いレベルの分析力を求めてしまうが、受取手が解りえないと、これをそのまま見逃すことになる。そんなものをいくらかき集めても、この貴重な情報の意味は発する人と同等のレベルでの直感の理解を求められてしまうのである。そうでないと伝わることは難しい。受け手ははむしろ同等以上の直感分析力となればもはやこれが広範囲な理解の鍵となることは困難である。効率的に伝わるのはフツーに理解できるだけのことにすぎない。そうなると、想い、こだわり、一途さとか、薄っぺらい情報で得られない情感に含まれる中味を跨いで大切な何かがあるということになる。ここまでくると、もうデジタルの二分法というとらえ方より、感じることができるものを紡ぎ出す作業で必要である。どうやったら、伝わるか、これはなかなかに難しい。