2004~2013

2010/01/10(日)17:25

「バカリズム升野英知のラジカントロプス2.0」

ラジオ(35)

休日。 1日中、自宅。 昼に一度起きたが、二度寝して夜まで。 本当は「お笑いセメントマッチ」に行くつもりだったのだが、疲れてしまってダメだった。むしろ、出勤だったら絶対行ったのだけど、休みだから気が抜けてしまった。 Twitter。 書店・出版関係の情報収集用に、サブアカウントを獲得する。 今のフォロー数をこれ以上増やすと大変なので。 Twitterで田辺一鶴の訃報を知る。 田辺一鶴先生、イッカク書店閉店大売立の際に遭遇したのがいい思い出になった。そのときの様子は2005年1月17日の拙ブログに。 YouTube。 立川ボーイズの映像があると聞いて確認。 「ヨタロー」の映像で、まだ3人組だ。僕が知ってるのは、談春・志らくのコンビになってからなのだが、当時に観ていた印象よりも、今観るときちんと落語家っぽく感じる。“お笑い芸人”と混じったときに、昇太師匠の遜色のなさに比べてどうにも溶け合わないふうに感じられた立川ボーイズだったが、落語家の匂いがそうさせていたのだと今になってようやくわかった。当時は気にしてなかったが、口調もしぐさもコントのひとではなく、ごまかしようがないくらいに落語家なのだ。 ラジオ。 「バカリズム升野英知のラジカントロプス2.0」、ポッドキャストで。 「ラジカントロプス」の植竹公和担当でない回を聴くのは初めて。どうやらこの回だけ変則的に、聴き手なし、バカリズムのひとりしゃべりだけで1時間6分という構成だったのだが、バカリズムの世界をあますところなく聴かせようという意図であるならこれはあまり上手くない。話芸のひとではないのにこれは無理だ。残念ながら決定版的な内容にはならず、素のしゃべりでボツネタ案を発表していくというなんともかったるいところにとどまる。 Twitterでもネタに徹しているバカリズムであるから、どうせならば、すべてフィクションで固めたほうがバカリズムの世界を聴かせるには適しているし、素顔を見せるのならばインタビュアーがいたほうが良かったんじゃないか。 しかし、それでも興味深い話はあった。これをバカリズムの歪みと結びつけるのは短絡的すぎるかもしれないけれども、あたまの隅にはとどめておきたいエピソード。 「僕ね、あのう、高校が男子校だったんですね。で、まぁ、当然、クラスだけでなく全校生徒みんな男子ですから、あのう、初恋っていってもね、女子がいないんですよ。もうほんと、1日、ひとことも女子と話すことなく過ごすわけですから。あのう、まぁそれでも唯一のね、楽しみが、通学の電車でね、他校の女子と一緒になるんですよ。まぁ、当然、顔も名前もわからないひとたちですけども。ただまぁ、通学の電車だから必ずまぁ同じようなひとたちが一緒になるわけですよ、毎日。で、唯一の楽しみが、そのなかからかわいい娘を見つけてね、仲間内で、その娘たちに、自分のかわいいと思う娘に勝手に名前をつけて、それをその自分の彼女として、それぞれで話すっていうのが楽しみだったんですよ。自分のお気に入りに勝手に名前をつけて、で、『お前のナニナニちゃん、最近、髪型変えたよね』みたいな話を電車のなかでするんですよ。で、そのとき僕が気に入ってた娘がいて、当然、しゃべったこともないですよ。名前もわからないですけども、僕が勝手につけた名前が『イガラシサエちゃん』ていう名前なんですけど…。だからもう、その娘が初恋になりますよね、僕が勝手に名前つけた『イガラシサエちゃん』。どこでなにをしてるかわかりませんけども。だから、わからないですよ、探しようもないですしね、うん。で、男子校だから、もうとにかく、…地獄ですよね。もう、24時間、女体のことしか考えてないですね。もう、クラスの後ろのなんていうんですか、荷物置きみたいな、ロッカーにはもう、エロ本がとにかく入ってるんですよ。だから、エロ本とかも、さんざん見てるからもう見飽きてるぐらいなんですね、当たり前のようにあるから。どんどんどんどん、でも女性に対する興味がこう、突きつめられていって、もう、女性の裸はもう見すぎてるから、今度はもっと内面的なものに興味が出てきて、なんかね、途中からなんか『プチセブン』とか買い出して。なんかわかんないですけど。女子がなにを考えてんだろう、っていうところまでもう興味が出てきだして。さすがにこれ、やばいなと思って。俺らやばいぞ、みたいな感じで、辞めたんですけども。で、隣りに校舎がね、あるんですけど、それはもう、女子高の校舎なんですよ。で、もう、窓から授業中ね、ずっとそこをね、見てるわけですよ。とにかく、女子がなにをしてるか。で、なんかね、あのう、たまに、着替えてたりするんですね、隣りの女子高が。だからもう、当然、見ますよね。僕、いちばん端っこの席だったんですけども、ずーっと見てたんですよ。ただまぁ、100メートルぐらい校舎と校舎が離れてるから、見えても、ちっちゃーい肌色がちらちら動いてるぐらい、で、なんかその肌色のなかに白いちらちらが確認できる、たぶんそれが下着なんですよ。それがもう、ちょっと見えるぐらい、顔とかも全然わかんないんですけど、それでも僕らにとってはものすごい情報源だから、ずーっと見て妄想を膨らましてるんですね。だからもう1年間、僕、入学して1年間、ずーっと窓際の席で見てたんですよ。もう、あのう、何時間目はこのクラスが着替えるとか全部把握して。そしたらね、1年後、2年になるときの健康診断で、僕、視力ね、0.5上がってたんですね。」 テレビ、あれこれ。 ◆「ロンドンハーツXマス」。「抱いてみたい女芸人グランプリ」、44位に三遊亭小円歌師匠がランクイン。 ◆「爆笑問題×さまぁ~ず ザ・クレイジートークあぶない夜会SP!」。爆笑問題とさまぁ~ずが司会を務めるトーク番組。ゲスト、三谷幸喜、米倉涼子、堀北真希。 Wikipediaによると、爆笑問題もバカルディもともに1988年結成なのだが、さまぁ~ずのふたりは爆笑問題に敬語で話す。これは爆笑問題のほうが年齢が上だからか。デビューはほぼ同時で同じようなライブに出ていたのかもしれないが、関係は良好なのに具体的な接点はよくわからないという不思議な2組。この2組がテレビで共演していた記憶は「LIVE笑ME!」までさかのぼらないとないのだが、ほかになにかあっただろうか。 爆笑問題は登場したときから期待される存在で、すぐにマニアックな注目を浴びるが、よく知られるように沈む時期がある。その間に、バカルディが売れ始める。ホンジャマカとともに、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンに次ぐ存在として嘱望されるようになるが、それもじきに停滞するようになる。 そこへ訪れたのが「ボキャブラ天国」のブームだ。当時は“若手芸人”と“テレビタレント”とのあいだには厳然たるヒエラルキーが存在していたから、一度、“テレビタレント”になったバカルディが“若手芸人”の仕事をすることははっきりと後退を意味する。そのような理由でここへ参加せず、先に少し売れたばっかりに結果的に損をしたのではと思えるひとたちは何組もいたはずだ。爆笑問題はここから着実に大きな存在へとなっていく。 その後、バカルディは、三村のツッコミへの注目と「さまぁ~ず」への改名が重なって息を吹き返すことになるわけだが、その息を吹き返しかけの時期だったか、思い出したが、たしか、テレビ東京の「大爆笑問題」のスペシャルかなにかで、さまぁ~ずが出演して爆笑問題と一緒にスタジオコントをやったことがあった。 抜きつ抜かれつ、ときどき少しの接点を持つ。爆笑問題とさまぁ~ずで覚えていることはそのくらいだ。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る