2012/01/15(日)09:40
「幕末太陽傳」
★前項からの続き★
始発。
朝、6時に帰宅。
兄が来ていた。
嗚呼、やだやだ。
睡眠、午後まで。
梱包作業。
夕方、外出。
クロネコメール便、10点。
関内へ。
ベローチェ。
雑務、1時間だけ。
横浜ニューテアトル、「幕末太陽傳」デジタル修復版。
今年最初の映画としては大満足。とても居心地良かった。
この映画を劇場で観るのは3回目のような気がするのだけど、2回目がいつだったか思い出せない。最初に観たときのことはしっかり覚えていて、1994年の夏、文芸坐での高田文夫プロデュースのイベント、落語関連の映画オールナイト4本立てのうちの1本だった。上映前には、昇太師、志らく師の落語と、高田先生との3人のトーク。なにが理由だったか、高田先生が遅刻してきて、昇太師と志らく師でつないでいたのを覚えている。トークのなかで「幕末太陽傳」の話はしたのだろうか、しないはずはないだろうけど、高田先生が細川ふみえに怒っていたことだけがやけに記憶にある。たけしのバイク事故の年だった。
そのときの4本は、「幕末太陽傳」、山田洋次監督の「運が良けりゃ」、同じくフランキー堺主演の「羽織の大将」、それと、「の・ようなもの」。「の・ようなもの」は現代劇であるから別として、「運が良けりゃ」、「羽織の大将」と続けて観ると、「幕末太陽傳」の質感は明らかに違った。映画のことなんかろくに知らない10代のころでも、なにか別格のように思えたのは確かだ。
この映画のクールなかっこよさを充分に捉えられているかといえば今でもそれはわからないのだが、ポップカルチャー的な魅力があるのではないかということは改めて思った。はるかのちの時代に観たときに、当時の社会との距離感はうまくつかみにくいものだが、そのときに、“ポップ”という視点を持ち出せば理解することはできないか。
こういってしまうと陳腐な気もするが、ドラマの「タイガー&ドラゴン」を最初に観たときの鮮烈さというか、のちに残るだけのクオリティは充分に持ちながら、しかし、その鮮烈さは時代とともに消えてしまう、二度と体験のしようがない儚い部分。それと同じような鮮烈さが、「幕末太陽傳」にもあったのではないかと想像する。
時代を超える名作であると同時に、時代と密着した儚い部分もあったのではないか。その時代に立ち会えたものだけが存分に味わうことができるもの、それは“ポップ”ではないかと思える。
当時のフランキー堺もまた、そのようなポップな存在だったのではないだろうか。計算してみると当時は20代、まだ“森繁化”する前という流れのなかで、フランキー堺を改めて捉え直したくなる。
左幸子、南田洋子の可憐さも、今回初めて意識したところだった。
この映画はこの先もまた、何度か観返すことになるだろう。
幕末太陽傳 【DVD】
価格:3,591円(税込、送料別)
ブックオフ。
3、4階、半額セール狙い。
コミックを6冊、久住昌之を3冊、あとは各1冊、藤子・F・不二雄、漫☆画太郎、九井諒子。
雑誌、「QuickJapan」を1冊。写真集を1冊、川島小鳥「未来ちゃん」。
105円本、14冊。橋爪大三郎、竹田青嗣、内田樹、東浩紀、田中三彦、高橋昌一郎、森浩一、片山洋次郎、森光子、升田幸三、森繁久弥、野末陳平、ビートたけし、春風亭昇太。
日ノ出町へ。
東京チカラめし、ガーリックねぎ牛丼。
京浜急行。
横浜西口。
マクドナルド。
雑務。
終電。
深夜1時、帰宅。
アマゾン登録作業。
テレビ。
去年話題だった「ウレロ☆未確認少女」、再放送で初めて観る。
劇団ひとり、バカリズム、東京03、ももクロの早見あかりというメンバーでシットコムをやっている。なるほど、この座組は面白い。
仕事中断、日記更新したり。
やることいっぱいで優先順位に悩むところ。
◇1月1日のツイログ