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カテゴリ:本
午前中、睡眠。
梱包作業。 外出。 クロネコメール便、5点。 ドトール。 雑務、3時間ほど。 曇天。 ツイッターを見ると東京では大雨の模様。 ひと駅隣りまで歩こうかと思っていたけど、止めにする。 吉野家、焼味豚丼。 帰宅。 ひどい眠気。 一旦眠って、深夜に起きる。 中原弓彦「定本日本の喜劇人」をぱらぱらと読む。 1977年刊の晶文社版。だいぶ前から手元にあったのだが、本の山の底からひっぱりだして初めて目を通してみた。今まで新潮文庫版しか読んだことなかったけど、文庫版にはない、安藤鶴夫、佐藤信との対談がこれには載っている。これはもっと早く読むべきだったな。 最初の中原弓彦「日本の喜劇人」が1972年刊、雑誌「新劇」の連載(1971~72)と、安藤鶴夫との対談(1967)、佐藤信との対談(1972)を収録。これに「第十二章 日本の喜劇人・再説」と「終章 ヴォードヴィル的喜劇人の終焉」、戸板康二の序文を加えたのが1977年刊「定本」。1982年刊の新潮文庫版では序文・対談は未収録。 宮沢章夫が「日本の喜劇人」の中心をなしているのは“道化論”だと指摘していたが、佐藤信との対談「道化と劇場をめぐって」を読むとそれがすんなりわかる。これが当時、どのような意図で書かれたものか、当時の森繁や由利徹の位置付けなどは、あの新潮文庫版だけを、刊行されたはるかのちである今の時代に読んだのではなかなかわかりにくい。 「そこでぼくらが喜劇というものを考えるとすれば、由利徹が問題になってくる。(笑)」 「由利徹を基準にして考えるということに、ぼくはしつこくこだわりたい。(笑)」 佐藤信がくり返し由利徹の名を出すのだが、いずれも「(笑)」付きで語られているこのニュアンスが今となっては要注意なのだ。 当時の由利徹は今でいえば誰なのだろう、ということも思うが、ここもまた難しいところで、たとえば江頭2:50や出川哲朗を当てはめたとしても、今だったら「(笑)」なしで意外と真剣に受け止められてしまう状況がある。何層にもねじれていて、あえて評価しているという感じも、もはやそんなものは最初から存在してなかったかのように消えてしまっている。自分でもそういう書きかたをすることがあるので気をつけなければと思うが、一回、ねじれを戻してみる必要があるんじゃないか。 あと、少し長くなるけれども、以下に引用するようなところもとても興味深い。 「佐藤 そういえば、デンスケー―大宮敏光というのはどうですか。 中原 旗一兵さんが十五年まえに『喜劇人回り舞台』で扱ってるけど、ぼくはぜんぜん興味がない。射程距離に入ってこないんです。なんか非常に特殊すぎる存在でね、コメディアンとはいえないと思うんだ。 佐藤 舞台で見ると、それなりにしぶとい感じはしますけどね。浅草のなかで一人だけ残っているということは、なにかあるんじゃないですか。 中原 最小限のとこにしぼりこんじゃってる。浅草というのは東京の下町のなかでも、また、非常に特殊なところですよ。その浅草のなかでも、益田喜頓さんなんかは外の世界に拡がってくんだけど、デンスケはあまり出てこない。木馬館の安来節みたいなもので、家族と一緒にひきこもって、見たい人は来て下さいといった調子ですね。あそこまで自己を限定しちゃうと、ぼくはどうもついていけない。 佐藤 浅草というと思いだすのは、ぼくはデンスケと唐十郎なんですよ。唐は下町なんだけど、浅草的なところがあると、いろんな人がいうでしょう。で、どうして浅草でやらないんだときいてみたら、「あそこは文化が育たない」(笑)――浅草には文化的環境がないから、芝居は育たないっていうんだ。 中原 ぼくは下町も、十代目ですからね、はっきりいえるんだけど、下町からなにかが生れるなんて、夢にも思えなかったですよ。かろうじて落語だけでしょう。なにかが生れるなんてのは、外部の人の幻想ですよ。(略) 中原 粋なんてこととは、およそ関係ない。たまたま渥美清が浅草から出てきたんで、いまでもなにかあると思うかもしれないけど、あの人はストリップ劇場という特殊なものが盛んだったなかから、しぶとく生きのこってきただけです。」 安藤鶴夫との対談は「エンタテイナーとしての落語家」というタイトル。安藤鶴夫のひとこと目が「あなた、談志はきらい?」といきなりかましていて、これもすごく面白い。ここで語られているのは30代の談志師匠。 「中原 (略)ぼくが多少テレビのことを知るようになったころは、志ん朝の全盛時代で談志はウダツがあがらないで、会うとブツブツいってました。まだ談志とう名前じゃないしね。 安藤 どうでした、ブツブツいってた時代の談志は? 中原 会うと不愉快だから、なるべく会わないで、ロングに見ていただけですけれども、いなかの人のような感じがします。 安藤 これは重大だよ。ヤボったさを感じますか。 中原 志ん朝のほうがスマートですね。感じが新鮮でしたよ。和服を着ていたほうが新鮮だった。談志は、なにかイタにつかなくてね。といって、ファッション・ボーイともちがうし……。 安藤 そうそう。ボリショイ・バレエが来た初日にね、ちゃんと見に来てるの。それが洋服は着ないで、たいへんなイキごしらえでもって、羽織が腰っきりの短い、カッコいいやつですよ。それでセッタはいてね、チャリチャリチャリって。落語家はだァれも見に来てない。だからね、ウーンやりやがんな、と思うわね。そんなの、一人もいねえんだから。みんな第一正装みたいな格好で来てる。落語家にとっちゃ、その格好が第一正装だろう? 中原 そのイタにつかない感じ。あの人がさわがれるのは、逆にいうと、ヤボったいからじゃないですか。 安藤 なるほど。ウーン、こりゃあ……。でも、三十になるやならずでしょ? まだ洗練というところへいくのはムリなんで、そのイキがってみたり、カッコよがってみたり、そこにギラギラしたおもしろさというものはない? 中原 ぼくはあると思うんです。そこは買ってるんです。(略)」 「落語ファン倶楽部」の談志特集に載ってる書斎の写真を見ると、1972年刊の最初の「日本の喜劇人」がちゃんとあることが確認できる。 ◇5月9日のツイログ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年05月20日 18時18分39秒
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