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カテゴリ:本
午前中、睡眠。
昨日の暖かさは一日だけで、また冷えこむとの予報だったが、今日もそれほど寒くない。 ストーブをつけずに過ごせる。 昨夜、YouTubeで見つけた江島神社の節分祭の動画、これは行ってみたいと思ったけど、コラムの仕事をもらってしまったのでそれをしあげなければならない。江ノ島でぶらぶらしながらコラムは書けない。断念。 もっと早くから予定を立てていれば良かったんだけど、知ったのが前日では無理だ。来年、覚えていたら行くことにしよう。 梱包作業。 外出。 クロネコメール便、6点。 横浜東口。 郵便局。 ゆうメール、1点。 西口へ。 龍王、鶏のオイスター炒めと炒飯の丼。 ビブレ。 ブックオフ。 105円本、11冊。三遊亭金馬、梶原一騎、吉本隆明、アントニオ・タブッキ、マーク・ピーターセン、出久根達郎、沖浦和光、内田樹、鴻上尚史、又吉直樹、光文社文庫編集部。 200円本、2冊。久保象、吉田豪。 雑誌、3冊。「創」を2冊、「ユリイカ」を1冊。 CDを1枚。倉本美津留。 ドン.キホーテ。 整髪料を買う。 ダイヤモンド。 ダイソー。 緩衝材、封筒を買う。 モスバーガー。 しかし、ネットがまた接続できず。どうなってるのか。 居眠りと読書。 1時間程度で出る。 やるべき仕事もあるので、早めに帰ることにする。 帰宅。 ラジオ。 NHK-FM「サウンドクリエイターズ・ファイル」、今月のマンスリーDJが電気グルーヴだというので急いで帰ってきた。冒頭5分ぐらいから聴き始める。 進行役の女性の声で、以前も聴いたことがある番組だと思い出す。伊藤亜希という音楽ライターのひとだそうだけれども、森若香織の声に似てる気がしてしかたがない。笑い声が特に。 続けて、ラジオ日本に切り換えて「はたらくおじさん」。 中野俊成、鮫肌文殊がゲストで、洋楽カバーの珍盤特集。ひさしぶりにオンタイムで聴けたら、ポッドキャストではカットされる内容でちょうどいい。 尾藤イサオの「剣の舞」には笑った。しかし、僕は初めて聴いたんだけど、あとで検索したら伊集院光の「おバ歌謡」に収録されてるのだな。これはノーチェックでした。 ツイッターを同時に見ていたら、よそで同じような企画をやってたという指摘をわざわざしている人間もいるのだが、それでもこれは楽しいのだ。
コラムを書くために読書。 萩本欽一「なんでそーなるの! 萩本欽一自伝」、読了。集英社文庫。 今度のコラムの題材が欽ちゃんということで、たまたま手元にあったので、いい機会なので参考資料としてついでに読んでみた。 親本が2007年で、文庫化が2010年。欽ちゃん球団でちょっと脚光を浴びた、いい時期に出た本で、全体的にさばさばとした調子で振り返られている感じがする。欽ちゃんがどんな半生を送ってきたかというのは、テレビなどを通じてなんとなくの知識はあったのだが、それらを改めて確認することになった。 だいたい、僕の世代の平均的な感覚では、子どものころにテレビで観ていた欽ちゃんの笑いはすでに古臭いもので、ひと世代前のひとであったから、そんなに強い親近感を持って観たことはなかった。お笑いのマニアになったからそこそこ調べるようになっただけで、リアルタイムでの体験は乏しく、欽ちゃんのことはよく知ってるとは言い難いのだ。 このたび改めて認識したのは、よく言われるような、フランス座出身のコメディアンのひとりとして語られることが多いけれども、その紹介はあまり的確ではないのではないかということ。欽ちゃんがコメディアンになるために最初に入ったのは東洋劇場で、同じ建物の上階にあったフランス座へ移ったのはのちのことなのだ。 そこで注意深く読んでいくと、見落としがなければ、この本には「ストリップ」という言葉がぜんぜん出てこないことに気がつく。これは奇妙な自伝ではないか。だって、奥さんは欽ちゃんの貧乏時代を支えたストリッパーだったひとなのに、そこはやっぱりはっきり書けないことなのか。 しかし、よくよく考えてみると、奥さんが元ストリッパーという認識がそもそも正しいのかがわからなくなってくる。ネットで検索するとそのような情報は出てくるが、都市伝説の域を出ないものばかりで、はっきりと語られているものはそういえば目にしたことがない。フランス座出身という先入観から出てきたものかもしれないが、奥さんは東洋劇場の踊り子だったひとだ。東洋劇場は「レビューとコントをやっていた」とここには書いてある。 これはコラムのネタになりそうだ。
続けてもう1冊、萩本欽一「まだ運はあるか」を一気に読了。 今回のコラムはこの本の書評を中心にということで指定されたんだけど、アマゾンで古本を注文したら、ぜんぜん届かなくて困ってしまった。 31日に注文して、3日経って届かない。マーケットプレイスは、売ってるだけでなくて買うこともよくあるのではっきりわかることだが、こんなに遅いことはめったにない。定められている出荷期間は越えてないからルール違反ではないのだが、普通は迅速に出すもんだ。運の悪いところに注文してしまった。 締め切りが明日までなのに、今日の夜の時点で手元になければ話にならない。しかし、この本、過去に買ったことがあるような気もするので、もしかしたらと思って部屋を捜索。部屋中をひっかきまわす覚悟で山積みになった本を端から順番に明けていったら、なんと、その本がわりとあっさり見つかったではないか! 不幸中の幸いとはこういうことだ。まだ運はあった。 1999年刊で、こちらはあまりいい時期に出た本ではない。タイトルからして哀しげなものだが、「なんでそーなるの!」と読み比べてみると、同じエピソードを語られているのでもこちらのほうでは全体的に暗い陰に覆われているかのようだ。かつて一時代を築いた老コメディアンの悲哀、そこをえぐり出すことのグロテスクが、いかにも90年代の空気という感じがする。 そして、欽ちゃんのエキセントリックな部分を掘り下げてるという部分でもこの本はとても面白く、取材・構成者の斎藤明美というひとが意地悪な質問ばかりをしていて、そのやりとりがスリリングなものになっている。欽ちゃんからなんとかいやな部分を引き出そうとするしつこさがそうとうなもので、この斎藤明美というひとはいったいどういうひとなのだろうと検索してみたら、どうやら高峰秀子の養女のようなのでさらに驚いた。 読んでいくと、この本にもやっぱり、奥さんが元ストリッパーと断定できるような記述はどこにもないのだな。
ようやく原稿にとりかかる。 しばらく没頭。 小休止入れて、朝方、ツイッターを開いたら團十郎の訃報が目に入ってきた。 歌舞伎なんてろくに観たこともないのになんで驚くのかとも思うが、やっぱり驚くのだ。勘三郎のときは勘三郎というひとりの人物の訃報に驚いたが、こう続くと、今までの歌舞伎との縁のなさを惜しみたくもなる。 落語界でいえば、小朝、鶴瓶がたてつづけに死ぬようなものか。ことの重大さを理解するのはもっと先になるのかもしれないが、理解したときにはもう手遅れなのだろう。 ◇2月3日のツイログ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年02月13日 08時10分18秒
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