村崎太郎次郎
1日中、自宅。小林信彦「日本の喜劇人」、再読。新潮文庫。最初に読んだのは10代のころだったろうか。当時は教養的に、小林信彦がどんなひとかよく知らずに読んだものだが、今の眼で読み直すと、トニー谷や宍戸錠への偏愛、澤田隆治と初対面のときのエピソードなど、いびつな部分のほうが面白い。あとがきによると、もともとは、雑誌「新劇」の1971年6月号から72年3月号に連載されたもの。小林信彦、38歳から39歳の仕事。午後、睡眠。テレビ、あれこれ。◆「徹子の部屋」村崎太郎次郎。おなじみの猿まわしの芸を披露するのかと思いきや、なんと、コントを披露したので驚いた。これは「タイタンライブ」でやっているのだろうか。「ロックアイドル伝説」と題して、村崎太郎がロックアイドル、バックダンサーが次郎という設定なのだが、これがまったく芝居の体をなしていない。次郎は猿だから良いとして、太郎が完全に素のままで、少しもロックアイドルに見えないのはまずい。そもそも「ロックアイドル」ってなんなんだと思うが、歌う曲が大塚愛「さくらんぼ」の替え歌というのも、不自然な選曲でなんとも気持ちが悪いものだった。新しい試みをすること自体はけっこうだが、ただ、コントをすれば新鮮かといえば、そんなはずはない。このコントを書いた作家がおそらくいるのだろうが、猿が猿であることを忘れているのではないか。猿は例外なく“天然”であり、自発的に笑わせることはない。もともとは差別的な歴史を持つ猿まわしという芸を、80年代にポピュラーなものにしたのは、ほぼ、村崎太郎ひとりの功績といって良いのではないかと思うが、そこにはおそらく、猿に対する視点の転換があったはずである。村崎太郎次郎を有名にした「反省」のギャグは、猿のポーズだけをとればなんてことはない、太郎のひざに手を置いただけのものであるが、それを「反省」と名付けた太郎の視点が絶妙だったのだ。猿の芸が進化するはずはなく、そこに新たな視点を導入したのが村崎太郎の発明で、それにより、古めかしい猿まわしの芸が一気に新鮮なものになったのではないか。その視点とはつまり、ツッコミの視点である。この「反省」が、「笑っていいとも!」を中心とした当時のフジテレビ周辺のムードから発生したものであることを考えれば、同時代的に、ツッコミの視点が入り込むのはさほど特殊なことではなかっただろうと想像する。村崎太郎に特別な現代感覚があったというよりも、ただ普通に現代人だったのだろう。まぁ、なにしろ、有名な猿まわしは村崎太郎次郎だけなので、だいたいが推測でしかないんだけれども。◆「やりすぎコージー」、恒例の「カウントダウン芸人」。今年は吉本興業にかぎらず、他事務所も含めたアンケートになった。しかし、吉本と他事務所ではどうも意識に差がある。総じて宴会芸的な吉本に比べて、他事務所のほうが本気度が高いというか。ナイツがおすすめのWコロンなどはすでにそれなりの知名度だし、土田晃之がおすすめのインスタントジョンソンなんて、“あえて”の意味合いが強い。1位は、ハンマミーヤ一木&暗黒天使の「石橋貴明と工藤静香」。ここでは「嵐の素顔」だったが、基本的には「A.S.A.P.」。1997年発表のこのデュエット曲は、当時からすでに微妙なものではあった。12年経って、茶化せるだけの距離がようやくできあがったということだろう。新ブログをまた作る。高校3年の4月から10年間つけていた日記をブログにしたいと前々から思っていたのだが、これからいろいろと、過去の記憶を掘り返す必要が出てきたので、この機会に実行に移すことにした。この日記を読み返さないとわからないことがずいぶんある。もちろん、公開するつもりでつけていた日記ではないから、そのまま書くにはあまりにも稚拙な部分が多いので適当に直しながらになるけれども、しかし、個人的な恥ずかしいようなことでも、なるべく削らないほうがいいだろうと思う。そうでないと当時の気分が伝わらないのでね。