小学6年時の3月を思い出して
実子が生まれると相続でもめるからと目の前で言われたことは、鮮明に記憶しています。それなのに、小学6年の秋に、同級生に階段で押され、右腕を怪我した際に自宅で手当てをした薬が原因で化膿し、筋肉が腐り始め、塩釜で切開手術中に看護婦さんに「田中芳博」と呼ばれたことも、忘れられません。 住民票が仙台にあり、父の扶養家族になっていたのに、健康保険証だけ田中だったのは、現在の保険証と制度が異なり、個人別の保険証が無かったからかもしれませんが、祖母亡き後で、誰にも訊くことが出来ませんでした。 3月に、中学進学用の書類が担任から手渡される際に、小生だけ対象外だったのは、理由が分かっています。該当書類が届くまで、実家で家族そろって、安心して過ごすことが出来たので、希望が持てる早春でした。