安全保障と朝鮮戦争時の米兵
1950年6月25日早朝、事実上の国境線となっていた北緯38度線での戦闘から始まった朝鮮戦争には、駐留軍として日本にいた米兵も韓国に渡り参戦した。韓国に派遣される前に、当時、進駐軍の労働者として勤務していた父を深夜に訪ねて来た駐留米兵がいたとの話は、子どもの頃何度も聞いた。 進駐軍労務管理者の厚生年金保険の適用については、厚生省局長通知「進駐軍労務者に対する健康保険法及び厚生年金保険法の適用に関する件」(昭和23年12月1日保発第92号)により、昭和24年4月1日から適用となっている。年金ミスの調査依頼に対する報告の父の年金記録から、原町渉外労務管理事務所扱いが昭和24年4月1日から昭和25年10月1日、船岡労務管理事務所扱いが昭和25年10月23日から昭和32年7月24日になっている。 これ等の資料と両親お話からら判断すすると、仙台市苦竹の駐留軍基地(現 宮城県仙台市宮城野区南目館1-1に所在する陸上自衛隊の駐屯地)から、仙台市南小泉八軒小路(現 若林区文化町)の床が抜けそうな借家に訪ねて来たとのことだ。米兵たちがベイビー・ベイビーと小生をあやしている間に、父は、近所のつけの出来る酒屋さんを起こして酒を買ってきてもてなしたとのことだ。 この時の話は、父母と兄と一緒に暮らしている時、何度も聞いていたので、父に高校生の頃から何度か米兵の消息を聞いたところ、一人も生きて帰って来なかったとのことだ。その時の父の顔を思い出し、二度と戦争をしないことと、あらゆる国の人々が戦争犠牲者にならない様にするために何をすべきか考える日々だ。