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空のむかしばなし

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2008.08.19
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カテゴリ:Aviation History

  戦史叢書 『マリアナ沖海戦』(防衛庁防衛研究所戦史室著/朝雲新聞社)によると、第一航空艦隊の構想は、軍令部部員の源田 實中佐によって発案されたものだった。

 昭和17年11月ガダルカナル攻撃に失敗した後、軍令部出仕の発令があったがマラリアのため別府で静養中、基地機動部隊の構想を持ち始めた。

 その用法は、決戦遂行能力を有する基地機動航空部隊として、急速な移動集中により随時、随所に圧倒的優勢を獲得する事を目的とした。

 17年12月軍令部部員に発令があり、この着想を基として準備を進めた。(マリアナ沖海戦)

 この構想には、開戦時の華々しい航空母艦の活躍が念頭にあったのは、疑うべく余地もない。ミッドウェー海戦で、致命的な損害を受けた日本海軍は、以後、楽観的な作戦計画に終始する。この源田構想も、致命的な欠陥を内包していることは、各航空部隊のマリアナ進出にあたって、次第に露見していくことになる。

 基地航空隊と母艦航空隊の決定的な違いは、各島々を『不沈空母』にみたて、それぞれを機動的に移動することによって、航空母艦の代わりをさせようとするものである。つまり、母艦で移動中には、搭乗員は休息をとれるが、陸上基地移動には、通常5時間あまりの飛行を要する。また、零戦のように単独の搭乗員が飛行する場合、誘導機を必要としていた。加えて、天候による影響も大である。

 マリアナ沖海戦の場合、『アウトレンジ戦法』というものが採用されたが、これは、敵の航続距離の限界範囲外から、発進するものであるが、長時間の進攻への搭乗員に疲労をどのように考えていたのだろう。しかも、敵を捕捉するや、高度を上げざるをえないが、当然、敵のレーダーに捕捉される。全てが、ご都合主義な戦法であると言わざるを得ない。

 何より、すでに搭乗員の技量が相当低下したいたことにことに気づかなかったとは思えない。負け戦は、負け戦になるだけのことでしかなかった。

 






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Last updated  2008.08.26 10:01:30
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