空のむかしばなし

2012/01/13(金)03:36

二六五空の悲劇

 二六五空の移動の時期に、必ずと言っていいほどに悲劇的な事故に見舞われている。 その1 錬成をしていた鹿児島県笠野原基地から、台湾情勢が緊迫をきわめてきたため、新竹基地へ移動することとなった。その移動を援助するため、七六一空の一式陸攻が新竹着陸の際、墜落した。(昭和十九年一月十三日1220) 二六五空だけでも、便乗者6名志望、2名の重傷者を出した。 その2 三四一空(獅部隊)のマリアナ方面展開が、その装備機種「紫電」の不具合等で不可能になったため、急遽二六五空にマリアナ進出が決定された。昭和十九年四月中旬新竹(台湾)~笠野原~香取と移動することとなったが、その支援のため、一○二一空(鳩部隊)の十三試大攻「深山改」が使用されていた。鹿屋基地着陸予定が、前方の一式陸攻に邪魔をされ、失速状態となり墜落。機体は5つに分離、基準翼付近が炎上し、便乗者を含む23名中、13名が即死という大事故となってしまった。 その3 昭和十九年五月、戦局は急を告げていた。米軍の侵攻方向は、マリアナ方面かビアク方面か判断がつきかねた。海軍は、マリアナ諸島西方海上を決戦海上と決め、「あ」号作戦を発動した。しかしながら、マリアナ方面の主力は、ビアク方面作戦(渾作戦)にシフトしていた為、マリアナ方面の充実が急がれた。そんな中、二六五空もサイパンに向けて第3次の進出部隊を、急ぎ編成していた。すでに梅雨の時期に入っていたため、進出日時が制限される。昭和十九年五月三十一日(推定)、いざ、サイパン(硫黄島経由)へ進出するため、香取基地で列線を組んで、いざ発進というところへ、五二一空(鵬部隊)の新鋭機「銀河」が、つっこんできた。これにより、数機の零戦五二型と搭乗員2名が戦死することとなった。

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