2011/01/09(日)21:14
【銀月外伝】 ANGELSHARE 1
嬉しい誘いを受けたのは、寒の入りの澄み切った夜空に細い三日月が輝くころ。
「明日、飲みに出ないか?」
ルキアの研究室に顔を出したデセルの声に、トールは口元を綻ばせた。
「いいね、是非に。君と飲むのも久しぶりだね」
「どこがいい? やっぱりANGELSHAREにしようか。去年のうちに新しいボトルを入れてあるんだ」
若草色の瞳を片方つぶってみせる。モルトバーなのに一人でもボトルを一本空けてしまうデセルだから、酒の強さは折り紙つきだ。
「ああ、マスターは元気かい? ILEACHの香りが懐かしいね。だけど、出戻りは少し気恥ずかしい……かな?」
「千年が半年になったとて、気にしやしないだろ、あのマスターは」
肩を軽くすくめて笑う。時間の止まったようなバーのマスターは、一時間後も千年後も、変わらずに穏やかな顔でカウンターに立っているのではなかろうか。
「たしかにあのマスターは、時間の外側に存在していそうだ。じゃあ、明日。楽しみにしているよ」
嬉しそうにトールが笑った。背後の机の上には、急ぎで託された解析中のデータの山。明日の晩までには少しでも目鼻をつけておきたい。
山盛りの書類と淡い光を吐いている端末を見やって、デセルが眉をしかめた。
「しょうがないけど……あんまり無理するなよ。まだ本調子じゃないんだからな」
「ああ、わかっているよ。明日はリハビリさせてもらうから」
何かあっても君がどうにかしてくれるだろ? 冗談めかした親友に、デセルもにやりと唇の端を上げる。
「じゃ店で落ち合おう」
それからデセルは少し首を傾げ、グレームーンストーンの銀髪に顔を寄せ人差し指を立てて尋ねた。
「覚えているよな?」
モルトバーの場所。ステーションの中でも比較的静かな辺りで、外界に慣らすには良いだろうが、わかりにくいと言えばわかりにくい。
銀髪の男はベニトアイトの瞳を和らげ、安心させるように答えた。
「もちろん。それくらいの記憶力はあるよ」
デセルと別れると、トールは岩山の研究室を見渡した。
半年前に留守にしてからは、彼の過去から生まれたイグニスが使っていた本に埋もれた小さな部屋だ。
リベル・イグニス。
かつて、最愛の姫君を護るという新しく強い望みを叶えるために、自ら切り落とし時の神の神殿に置き去られた四枚の翼。
その翼に封じられていた、彼自身の過去と名前と夢。
インディゴライトの青い瞳にスティブナイトの銀の髪を持ち、デセルの女性性の半身であるデュアル・リンクスについてもらいつつ、彼が昔したかったことをなぞるようにゆっくりとこの半年を過ごしていた。
同じ長身に同じ顔ながら、様子がトールに比べると幾分穏やかなように見えるのは、同じ燃え上がる火の性を持ちつつも、血の涙を流すごとき苛烈な経験を積んでいないからだろうか。
膝が崩れても腕が折れても歩き続けることを自分に課していたトールと違って、流れのままに静かに時を重ねていた。
もしもエメラルド色の運命に出会うことがなかったなら、おそらく彼はこう過ごしていただろう、という平凡なゆるやかな時間を。
イグニスの研究は、トールのそれとは少し対象が違う。同じ生命科学の分野であっても、トールが「魂の創生と誕生」を専門にするのに対して、イグニスは「いま在る魂をより健やかにする」ことを専門としていた。
もっともそれらは突き詰めれば同じところに向かうため、はっきりと専門が違うというほどでもない。
そしてその分野は、トールがいずれしっかり研究してみたいと心ひそかに思っていたものでもあった。
イグニスは関連するいくつかの浮島でたくさんの薬草を栽培し、それらの成分を抽出したり調合したり、島ごとの成分の違いや身体と精神への働きかけを分析したりしていた。
広い薬草園の傍に建てられた小さな小屋は、あらゆるハーブと参考書物、乳鉢などの道具に埋まっている。
そこであれこれ研究していると、よくリンクスがやってきてじっと手元を見つめたり、明るく笑いながらすり潰しなどの工程を手伝ってくれていた。
もっとも彼女はいい香りの満ちた小屋で、そのうち仮眠用のソファやイグニスの膝に身を預け、気持ち良さそうに寝入ってしまうのが常だったが。
トールがルキアに戻ったとき、イグニスは落ち着いた青い瞳で「おかえり」と笑った。
おかえり、未来の僕。
遊色する瞳にさまざまな経験を詰め込んで、いくつもの生を過ごした僕。
どんなにその姿ではいられないと思ったところで、本当に切り離すことはできなかっただろう?
それはそうさ。
辛くとも君が積み重ねた経験もまた、今の総体を形づくる大事な部分なのだから。
僕だけじゃ足りない。君がいなくては、すべては「今、ここ」にはいられないのさ。
今をより愛するために、たくさんの大切なものを積んできた……そういうことなんだろうと、思うよ。
鋼は熱せられ何度も叩かれなければ、強くしなやかな金属になることはできない。
君の剛さは、トール、君が身をもって何度も歯を食いしばりながら、自分の中に鍛え上げてきたものだ。
それを否定することはない。
平和で平凡で豊かな時間は、留守番しながら僕が経験しておいたよ。
おかえり、トール、かつて名を捨てた僕。
これからは一緒に歩いてゆこう。
穏やかに笑ったイグニスが軽く両手を広げる。重なった二人は、溶け合うようにして統合に向かった。
元々同一人物の過去と現在である。時間の幹から新しい枝が生まれかけてはいても、同じ木であることに変わりはない。
「リベル・イグニス(火の性の本の虫)」は、まだ若く運命に出会わぬ頃、学生時代のトールの名だったのだ。
思えば「トール」という名前自体が仮称なのであるから、本来の名を名乗ってもいいのかもしれないが……さて。
イグニスが調合していた薬草の香りに満ちた空気を吸い込んで、トールは意識を目前のデータに戻した。
大事な友人から託されたそれは、人間の魂と身体データの集積である。しかし解析すればするほど、通常ありえないような基礎数値が使われているのが明らかになっていた。
(何だこれは)
思わずため息をついて、トールは片手で銀髪をかきあげた。この数値では健康な日常生活を送れというほうが無理な話だ。
データを隅々まで解析して基礎から構築しなおし、魂をすべての経験を残しながらも真白の状態に戻すようにしてプログラムを書き換える。
より健康に、より自分らしく楽しい充実した毎日を送れるように。
それは、まさにトールとイグニスの研究を合わせたような仕事だった。いままで積み上げてきたものを完成させ、その先を見据えるために与えられた、そんな気さえする。
冷えた茶で喉を湿らせると、銀髪の男はまたデータの解析に没頭した。
<デュアル 【夢の守】>
http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/63e5160aa05bb7d7415022d9ef3b1ef9
<デュアル 【藍の海】>
http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/fb7f05351f1602dc2cd44f614ad31098
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◆【外伝 目次】
トールとデセルさんのやりとり、ツイッター上でしてたので
ご覧になった方もいらっしゃるかもですw
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