道の駅「シルクのまちかや」と加悦SL広場~京都府与謝郡与謝野町~
さて、その後術となった道の駅「シルクのまちかや」について本日は紹介したいと思う。国道176号線を福知山方面に進むと「シルクのまちかや」があるのだが、ここはこの日のスタート地点の宮津市から至近距離のところにある。あらためて「回り道をしたなぁ、事の成り行きだから仕方ないけど・・。」と感じた。 道の駅「シルクのまちかや」食堂にはエレキギターやドラムなんかが置かれてある。時々ライヴなんかもあるようだ・・。道の駅と176号線をはさんで隣接するように「加悦SL広場」があり、歩道橋で難なく行き来できる。 C58(左)とC57(右)何でこんなところにSLが保存されているか・・。それを解説するためには「加悦鉄道(かやてつどう)」のことを話さなければいけない。時は大正時代、当時の鉄道省のもと宮津線(現在の北近畿タンゴ鉄道宮津線)の敷線が進められていたが、その宮津線と加悦谷の集落とを連絡する鉄道を興そうと沿線住民が立ち上がったのが加悦鉄道の発足だったそうだ。大正13年(1924)9月に申請、翌14年4月に認可が下り、加悦鉄道株式会社が発足、丹後山田(現在の野田川駅)~加悦間、およそ5,7kmの工事が始まり、大正15年12月2日に汽笛がこだました・・。加悦鉄道は人の往来はもちろん、丹後ちりめんの輸送を担い活躍。 2号機関車明治6年・イギリス スティーブンソン社製、日本には大阪~神戸間の官営鉄道開業時に輸入、「陸蒸気(おかじょうき)」のニックネームで親しまれる。加悦鉄道へは開業した大正15年に移籍、まさに初代の機関車だったのだ。昭和14年、大江山で発見されたニッケル鉱の輸送も担うことになり、1日450tの貨物を輸送した。戦後は再び人の往来と丹後ちりめんの輸送に専念し、加悦の発展に貢献していったが、自動車輸送の全盛時代になり、その主役を自動車に譲り、昭和60年4月30日、加悦鉄道はその役割を全うし、幕をおろした。往年の加悦鉄道の精鋭たちは、今でも大切に保存されており、観光客を招くという新しい任務を与えられた。この加悦SL広場は、かつて大江山鉱山駅だった。そんな彼らの雄姿をご覧ください。 103号機関車 1261号機関車大正12年製のC型(つまり動軸3本)タンク機関車、昭和18年国鉄より移籍、昭和42年廃止。 SLが廃止された後は、ディーゼル車の登場・・。 保線作業車バックの信号機がなんともいい味を出している・・。入場料大人(中学生以上)500円要りますが、加悦鉄道を駆け抜けていった精鋭たちの労をねぎらう気持ちがあれば安いもんだな・・・。是非往年の機関車たちと親しんでください。続く