テーマ:懐かしの昭和歌謡(720)
カテゴリ:70年史
1973年はオイルショックの年 重い内容の曲が多かった印象があります たしか夏だったと思う。 深夜放送のラジオからバイオリンのイントロに続いて、 それまであまり聞いたことない曲が流れてきた。 ♪何も怖くなかった、 ただあなたの優しさが怖かった。 その詩と曲が妙に心に残って もう1度聞きたいと思った。 そして次の週、生まれて初めてラジオにリクエストをした。 なかなかつながらなかったが、 ともかく曲名をつげて静かにラジオを聞いた。 かなりいい曲だったから、 ひょっとしてBEST10にはいって入るかもしれない、 期待をこめて10位から発表を聞く、 8位、7位、6位・・・出てこない。 4位、3位・・だめか・・ そう思いながらあきらめかけて寝ようとしたとき、 1位 神田川 南こうせつとかぐや姫 同じことを考えていた人間が他にもいっぱいいたのである。 その後この曲は深夜放送でブレイクした。 世間でこの曲が大ヒットしたのは これより数ヶ月後だったように思う。 1974年には よしだたくろう が CBSソニー から 今はまだ人生を語らず というアルバムを出します 知識(よしだたくろう) 1974年 : 殺人組曲第4番ト長調 ★不埒なエビデンスはアモローソに消せ 1975年にはワーナーから 河島英五とホモサピエンスの 人類 というアルバムが出ました ♪誤魔化さないでそんな言葉では 僕は満足できないのです てんびんばかりは重たいほうに 傾くにきまっているじゃないか 結局この曲はさほど話題にならず B面にあった”酒と泪と男と女” のほうが有名になってしまいました てんびんばかりがどちらにも傾かないのは 両方の皿で価値観が違うから なのでしょう こぶしを上げる人々 と 手を合わせる々が わかりあえる日はくるのでしょうか てんびんばかり(河島英五とホモサピエンス) 1975年 : 殺人組曲第16番ホ短調★脳幹はグラーヴェに逝きまっしょい 太田裕美は70年代前半に スクールメイツとして活動していて キャンディーズに入れる計画もあったようですが 1975年には20歳になってしまうので 1974年11月にピアノの弾き語りでデビューしました 1975年には3枚のアルバムを出し しだいにアイドルっぽい路線にシフトしていきました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.23 14:31:12
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