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カテゴリ:その他の釣り
昨日は、我が娘の我が娘の入園式でした。
しかし、天候が悪くクラス写真等が中止になりました。 昼からは会社に出勤です。 一応、有給休暇を取っていたので様子を見て帰るつもりが、 そのまま夜まで仕事してました。 今週こそ、釣りに行きたかったのですが雨降りです。 日曜には晴れる様なので、行けたら行きます。 ですので昔話でも書きます。 私が中学生の頃、小遣い欲しさに夕刊の新聞配達をしていました。 当時は新聞配達は中学生が唯一出来るアルバイトとして認知されていました。 学校でも別に注意される事もなく、友人達も数人していました。 私が配達している地域に「明邦」という会社が有りました。 そうです!タックルボックスの「明邦」です。 ある日の事、その会社に新聞を届けると 事務所からおじさんが出てきて私に 「ごくろうさん!僕は釣りはするんか?」 尋ねてきました。 「します。」と答えると そのおじさんは 「ほなら、これ少し不良品でハネたやつやけど、 どこも悪ないから使い。」 と、2段トレイのタックルボックスを頂きました。 オーナートラウトの200でした。 私は大喜びで、家に持ち帰ると少ないながらも 持っていた安物のルアーを並べました。 それから、30年は経ちますが今でも大事に持っています。 そして、今年のF・ショーで明邦のブースで 社員の方に、その話をすると 「たぶん、それ今の会長ですわ。」 と仰っていました。 なんだか、少し良い話になりました。 それから、少し後の話です。 友人と二人で兵庫県にバス釣りの遠征に行きました。 勿論、電車とバスを乗り継いで 現地に付いた頃は、朝の9時を少しすぎた頃でした。 ゴールデンタイムを過ぎていた事も有り、 経験も技術も乏しい中学生には、 いくら、当時全盛の兵庫の野池でも 二人とも全然釣れませんでした。 地図や、釣り場であった人の情報から この時間帯でも加古川なら、 釣りやすいと教えて頂き、 再びバスで移動しました。 しかし、加古川でも釣れません。 二人で疲れて座り込んでいると、 「釣れたか?」と一人の釣り人が 尋ねてきました。 見上げると、当時中学生の私の印象では オジイチャンくらいの年齢に見えました しかし、年齢よりその人の服装が印象的でした。 全身、自衛隊の様な「迷彩服」!! 当時は、今の様にカモフラカラーなんて、 言い方も無く、迷彩服はファッション的では有りませんでした。 そんなモノ着ているのは、ほんとに自衛隊か、街宣車に 乗っている人でした。 少しビビりましたが、その人の笑顔から悪い人には 見えませんでしたので、 「釣れません」と答えると 「そうか、じゃあ少し一緒に釣りをしよう」と誘ってくださいました。 二人はワラにもすがりたい気持ちでしたので、 教えて頂く事にしました。 オジさんは、自分のウェストポーチから 「これを使いなさい」とプラグを二つ取り出しました。 シャドタイプのルアーでしたが、見た事の無い ルアーでした。 「ワシが作ったんや」と言うのでよく見ると 色の塗りなんかがそれっぽい感じでした。 そして、その後二人はそのオジさんの言う通りに 我々の、帰宅時間まで釣りを続けました。 結果は、残念ながら二人とも釣れなかったのですが オジさんにお礼を言って帰りました。 後日、友人が持ってきた雑誌に そのオジさんが載っており記事によると、 そのオジさんは「猪川」サンと言う方で、 兵庫のバス釣りでは有名人でした。 それから数年後、私も車を持ち自分で好きな場所に 釣りに行ける様な年齢になりました。 特に兵庫の野池は、頻繁に通う釣り場でした。 そして、武庫川で「猪川さん」とも再開しました。 同じ様な迷彩服姿で釣りをしていました。 話しかけて中学生の時の話をしたのでしたが、 全然覚えていないようで、少しがっかりしました。 が、その後、色んな釣り人に聞いた話では、 猪川さんは、釣りをしている子供に 同様の親切を、常日頃からしている方の様でした。 猪川さんの影響からか、私は自分のファッションに 迷彩服を積極的に取り入れ、 釣り場で子供達に、話しかけています。 変なオジさん扱いされますが! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月09日 07時31分03秒
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