巡る季節にたね蒔いて🌿 流れる時間の中のひとり言

2017/08/17(木)22:51

雨の北限の地 3 宗谷岬

旅行(71)

たくさんの見所のある宗谷岬 本土最北端の地 宗谷岬。 条件が良ければ43キロ先に樺太も望めるのですがあいにくの雨です。 強い風に吹き付けられて小雨でもかなり濡れてしまいます。 前日に泊まった亜留芽利亜の娘さんが案内してくれました。 バスの通っていない宗谷丘陵を抜けて岬を目指します。 近くには風車がたくさんあるのですが雲が降りてきていてほとんど見えませんでした。 全部で57基の風力発電の風車があるのだそうです。 この地形は周氷河地形といい肉眼で見える場所は珍しいのだとか。 標高20〜400メートルの丘陵地帯は宗谷岬の南に広がり、 土が氷河で削り取られた様子がよくわかりました。 フットパスも整備されていて、歩いて宗谷岬まで行く人もいるようでした。 宗谷岬に近付くと牧場が広がり、宗谷黒牛がたくさん草を食んでいました。 このあたりまで来ると行く手に宗谷岬の全貌が見えてきました。 1番高く目を引くのは祈りの塔です。 1983年に起きた大韓航空機撃墜事件の慰霊塔です。 鶴を形取った塔の先端、鶴のくちばしは事件の起きた方角を指しています。 台座は羽の形で16段。 これは被害者の国籍の数。 表面に貼られている石は269個で被害者の数なのだと娘さんが話してくれました。 どうしてあのような悲惨なことが起きたのでしょう。 国同士の主義主張はともあれ、民間機を撃ち落とすなどどうしてできたのでしょう。 あの時の衝撃がよみがえり、亡くなられた方々のことを思うと胸が痛くなりました。 側には世界に平和を願って造られた世界平和の鐘もありました。 国連本部に一つ、ここにも一つ、石垣市にも一つと 合計3つの世界平和に鐘があるのだそうです。 宗谷海峡を見下ろす場所には平和の碑と 宗谷海域で亡くなった戦没者の慰霊塔がありました。 第二次大戦中には民間の商船も含め、アメリカの潜水艦や 日本の戦艦の乗組員などたくさんの人たちが亡くなっていると書いてありました。 戦争がもう二度と起こらないよう願わずにはいられませんでした。 旧海軍の望楼も残っていました。 戦争や争いの犠牲者の悲しい慰霊碑や国境の備えの歴史的建造物ばかりでなく、 あけぼの像という明るい雰囲気の男女の像もありました。 北海道の牛乳生産が100万トンを超え、乳牛の数も50万頭を突破したことを記念して 1971年に建てられたのだそうです。 ラ・ペルーズ顕彰記念碑もありました。 欧州人で初めて宗谷海峡を航行した人だのだとか。 宗谷海峡の国際名は彼にちなんでラ・ペルーズ海峡というのだと初めて知りました。 間宮林蔵の像もあります。 測量具を持ち、顔を樺太の方に向けている像はスックと立って力強く、 歩いて日本中を周り、樺太にも行き地図を作っていった 意思の強さが伝わって来るようでした。 間宮林蔵の像の近くには歌碑 そして真ん中にNの字がある日本最北端の地の碑がありました。 雨でなければ夕方までいて北限の夕日を楽しみたかったのですが⋯ いくら思っても天気ばかりはどうにもなりません。 たくさんあるモニュメントを一つ一つゆっくりと周り名残惜しくも出発しました。 行き先は稚内市内。 これからどうしようか⋯ なんの予定も決めていないままのお気楽な一人旅です。 さてさて、市内に戻るとどこをどう回るか思案の一夜が待っていました。 宿が取れるかさえもわからない心細い状況でしたが⋯ 続きは次回のブログでお話ししようと思います。 読んでいただいてありがとうございました。 ランキングに参加しています。応援してくださいね

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