「ひと塾リベラ」のご紹介
「ひと塾リベラ」のご紹介 スカイプを、もうお使いでしょうか。ネット上でダウンロードして、約3000円~のマイクとカメラの一体化したものを買ってくると、全国(世界中)通話料無料でテレビ電話ができるのです。家族が海外に住んでいる方、企業の海外との連絡などで以前から使われていたのですが、最近画像も音声もとても良くなりました。音声は、電話よりも良いくらいです。何よりも、通話料がかからないのは良いですよね。 そんなスカイプを利用した、小さな学びの場を作りました。それが、「ひと塾リベラ」です。 スカイプは、ホストを含めて10人が同時に会議形式で接続できるのです。ホスト以外9名の、ほんとに小さな、グループです。この、一見非効率に見える小ささが学びの場としては最適ではないかと思います。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学は、いまだに教育の中心はチュートリアルと呼ばれる個人教授あるいはそれに準ずるものなのです。本来の学びというのはこのような、手作りのものであるべきでは・・。 インターネットを様々に教育に利用する事は、塾産業でも以前から注目されて、賑やかに講座がにぎわっているようです。ただ、一つ一つの講座が、あまりに高額でなかなか手が出ません。たとえば、資格の講座などでは、受けるこれで何とか生活してゆこうというもくろみもあって、80万から100万もするような講座が結構売れているらしいのですが。 でも、知識や、技術を高額で切り売りしている感じで、本当の学びってちょっとちがうjんじゃないかしら・・という疑問が付きまといます。 プラトンのアカデメイアや、啓蒙時代のサロン、戦後のフランスの哲学カフェ、日本でも江戸時代には様々な分野の、自主的自発的な学びの場が花盛りだったのです。 戦後は日本でも様々な民間の学びの場があったのですが、利潤目的の塾経営ばかりがのこって、こういった本来の自由な人間らしい学びの場が陰をひそめていって言ったのはとても残念です。 国によって蘭学を禁じられ、辞書も中で手探りで学び「解体新書」を訳した、前野良沢らのグループ、盲目の身で日本の書誌を編纂し、国文学を守った塙保己一のグループ、さらに、全国に広まっていた、俳句の同人達、あるいは和算のグループ日本にもすばらしい、自学の伝統、精神があったのです。緒方洪庵の適塾からは、その後の日本を支える人々が育ってゆきました。 学ぶことは、こども達にとっても、大人達にとってもいつの間にかつらい義務になってしまっています。 でも、実は学ぶことこそ、人間に生きる、意味と喜び、エネルギーをあたえてくれる、生きる力なのだと思います。 大人にも、子どもにもわくわくして、いきいきと精神が息づくような学びの場が欲しいと思います。 すべてが利潤動機で動いてしまう過酷な時代だからこそ、スカイプというすばらしい道具を活用して、大人も子どもも自ら学びあう場所を作りたいなあ・・と思ったのが、「ひと塾リベラ」を作ったきっかけです。 記憶に残っているかたもおありでしょう。「ひと塾」というのは、水道方式の生みの親、数学者遠山啓く先生が、晩年情熱を傾けられた「人」という雑誌を取り巻く、全国に広がった読者の集まりの名前です。「人」も廃刊になり、「ひと塾」もほとんど聞かれなくなってしまいましたが。 もし、登録商標であったりすると困るのですが・・でも、この小さな学びの場の名前にふさわしいのは「ひと塾」ではないかとの思いで、この名をいただいた次第です。リベラはもちろん、ヨーロッパ語での自由という意味の語源になるラテン語です。私たちが、水や空気無しに生きて行かれないように、学びに自由な精神は不可欠だと思うのです。 会費は一人一回一時間で1000円,これならば,欲張ってあれもこれもと手をを拡げても何とか手が出るのでは・・。講座の性質によっていくつかの例外があるのですが。たとえば、マンツーマンの英語のフリートークや,添削つきの水道方式による数学の講座等。 費用は安く、でも中身は超一流の学びあいが行き交う、現代に住む日本人がが切実に求める問題に対して、智慧を絞って、現実という大きな石をうがっていけたら・・と思います。 私の、もう一つの本業であるコーチングも,カウンセリングとは切り口を異にした,人を活かす為の良いものをたくさん持っているのですが、一般の方が個人でライフコーチをつけるのは、あまりに高額すぎるのです。 一人一人が,お財布の心配無しに,コーチをつける事ができたら・・特に子育てコーチングなどで痛切にそう感じます。教育現場でも一人一人の先生方にコーチングの技術を身につけていただけたらと思います。医療や福祉の現場でも,どこであれ、人を活かす組織づくり無しに、血の通ったヒューマンな社会は実現できないのです。そのためにも、このような小規模のグループでコーチングを学べるというのは、とても良いことだと思います。 たとえば、教育は目の前のこども達の痛みやつらさ喜びを共有しながら大人達も,手探りで学び,手作りで作り上げてゆくものなのです。だから、先生と呼ばれる立場のかた方こそ,学びあいの場が不可欠なのです。 教育先進国フィンランドでは,国による統制ではなく,現場のこども達と向き合う教師達に,最も重要な決定権がゆだねられています。生きた教育とはこのような下からの実践の積み重でないと、いつの間にか子ども不在の教育蜷lってしまうのです。・・・いろいろと、,夢を拡げて行くと際限がないのですが,実際にはやっとホームページが立ち上がって(これも、まだまだ未完成)はいはいを始めたばかりです。 こんな、小さな、学びの場が、小さくとも,いきいきと元気に成長してゆかれるように,どうかお力添えください。 自分が集いたいような,自分の子どもを参加させたいような,そこから大切な発見が生まれてくるような、そんな場所にしたいものです。「ひと塾リベラ」 主催 松井幸子