スクランド日記

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2004年06月15日
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生と死、火の鳥、バトルロワイヤルの時代感
火の鳥
 出張先で、火の鳥の昔の雑誌大の単行本を見た。
 見ていて思ったが、「火の鳥の存在」を除いたら、バトルロワイヤルとどうちがうんだろう、と疑問になってきた。
 じつはこの1、2部は、日本マンガ史上最高傑作のひとつだと思っている。
 ストーリーだけなら、「みな死んでしまうけどそれもまた良し」というひどい話であった(今気づいた気がする)。

 1、2部以外に評価する部は少ないのだが、改めてこの作品全体を見てみると、どれも生と死(滅亡)の間の物語だと言える。個人も虫も人類もあらゆる生物のすべて――これは、地球と言う生き物の物語だった。
 1部の冒頭が火山と言う大地の息吹で始まり、2部の終わりが星々という生き物で終わるのは、他のパートでも続いていたのだった。
 各部の出来映えが違うんで、自分には一緒に見えていなかったのだった。

 そして、ある人 (高校~大学初期) は、
 「親が新書版で家に持っていたので、小さいときにみな読んだ。すごくよかったと思う。
 けど今読み返すと、圧迫を感じて読みきれない」と。
 ひょっとして、子供の方が、凄惨なものに圧迫感を感じることが少ないんじゃないか?

 バトルロワイヤルの原作は、かなりちがうだろうが、「子供の耐性として見れば」、火の鳥第一部黎明編とはそんなにちがうだろうか。
 
 手塚治虫の作品群を、その作者自身の自分評をからめて、今考えてみると、
 「生と死・生成と消滅は同じものの裏表。生きるのは夢の中。人は夢を追って生きる。生きている夢の中で生きている」
 ということらしい。

 (絵の描線とストーリーとを両方合わせた感覚として考える) 

 それが、価値観を持ってしまった年長者にはきついんだろう。
 これは基本的には毒だ。薄めれば薬になるが。
( それでそういうものをぬらりくらりと小出しにして、さらに一見冷静な合理性に見せて、現在人気があるのが養老孟司だという気がする。)

 だが価値観のもともと柔らかい子供児童は、感動がストレートに伝わりやすい。
 バトルロワイヤルもそういうものかもしれない。
 しかしそれは、新しくどんな世界感を持つのか、という点を見ないと安心できるもんじゃない。

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バトルロワイヤルと時代感 
 バトルロワイヤル映画評を見つけた。
 当然感動として伝わるはずらしい。
 むしろ15禁でない?小説の方が、ホラー大賞に投稿されたとき、許しにくい不愉快さを審査員が感じたそうだ。
 ただ、その小説のファンサイトの感覚からすると、そんなにひどく感じてなさそうな気がする。

 それで、
 長崎の事件の子は、小説の方に極めて知的にまともな意味で感動したのかな、とも想像した。
 なんとかバトルロワイヤル下巻だけを見つけて読んだ。四百数十ページあった。四年生がよく全巻読んだものだ。

( 殺しの描写はゲームなんかと比べ、むしろおとなしそうで、殺人の興奮が他より強いことはない。ただ、大量なので殺しに慣れる気分にさせられたし、ゲームと違って一気に読める。
 けど、事件が起きなければ、「子供児童が感動するような文体じゃないから関係ない」と思ったろう。この小説はかなり大人向けの文庫に入っている。 )


 上巻がよくわからないが、設定からして日本の徴兵化を重ねてる可能性が高いか。
 下巻は、いろいろ作者のアリバイやら感動やらあるけども、要は人は無意味に死んでいくという話になる。

 教室・学級がまるごと戦場となり、死んでいくのも当たり前。
 それまではただの中学生だったのが、個性的な連中が集まって多くが人間らしく生きようとして、結果的に命を奪いあってしまう。
 生死をかける場によってその人自身が現れる、それが美しいというかそこに自分を手に入れるという感じがしそうだ。

 これは異常というより、生き方として真剣だ。
 感動とか美には逆の対比要素が必要だ。かすかな道筋がつながっていくほど感動的にはなるりくつ。(――下巻だけでは感動に思わなかったが)
 その真剣さは、しかし――映画は見事だったらしいが――どこに向かうのだろう。

 火の鳥は、集団の生命観だけど、バトルロワイヤル下巻では集団は命を利用するだけ、命は個人のやり取りの中でだけ尊重される。 だからこの作品の感動はあてにならない。
 むしろ、しかたなく殺しあっていく感動、――という言いかたもできるのが微妙。

 上巻で、たぶん平和な世界がその外の世界の力によって、あっけなく壊れていく過程が描かれているだろうと想像する。
 この子の置かれていた状況と歳はそれと似ていないか。現代の感覚は一部それと似ているだろう。
 だから、この小説は大ヒットしたのだろう。

 中学生は年代的にもそうなのかもしれない。(バト~ヤルの主人公達)
 火の鳥の1、2部が「中学生向けに最適」とか言う評を聞いたことがある。
 たぶん、観念をもたないどっかアナーキーな子供時代と、観念を強く持ち始める高校時代の中間として、ということかも知れない。
 それもこの子は感じて、バト~ヤルに感動していたのかも知れない。 自分を手に入れる話。

 一方、HPでやったアンケートの結果は、作品中と違って殺すことを選ぶという答えが大部分。 そして作品の人気は大きい。現実の人間は、作品の中よりずっと冷たいらしい――言葉上。
 これが中学生になっていく自分たちのリアリティらしい、と受け取ったのかもしれない。それがこの子のバーチャルリアリティ=「情報の向うには人がいるんだから、ほんとのことの一面に違いない」 と。

 それらは本気じゃなくて、妄想的になったときの道筋にすぎないにしろ。

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 結果からわかるのは、計画・手順どおり実行、ということが、この子には空想と同じ形だったということだけ。
 「動けてしまういろいろな見通し力」を準備しただろうと。
 友人関係がどこまでも壊れていく見通し、自分がどこまでも追い詰められてしまうこともありうるという見通し、準備が必要だという見通し、実行方法・・・・あらゆる見通しが、不必要に早々と軽い労力でつなぎ合わせて考えられてしまったことだろう。

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作家志望 
 HPの、自分で書いたファン小説は原作と違って、一人だけ冷酷に生き残るらしい。(週刊現代)

 ただ、割り切って殺して生き残るのは、HPアンケートの結果の多くがそうだったのに会わせたとも取れる。
 それにこの小説の文体は完成度にこだわっているように見えた。 この子の細部完成度欲求としては、感動的だが雑な感じというものは書きにくいだろうから、仕上げやすくするためにそんな話にしたとも取れる。
 さらにこの小説は、長い話のプロローグに過ぎないように思える。キャラクター作りの準備設定エピソードという感じだ。

 小説家志望だったのだから、 どこまで本人の欲求といえるものだか。
 これだけで作者の深層心理をわかれというのも無理だろう。

 ところでかなり主観的にいうと、他の繊細な詩とちがって、文体が重くて固い気がする。そういう粘着質なところもあるわけだ。この文体は、本気で作家的に文を練っている気がする。小学生が文を作っていく作業を想像すると、小説という「製品」に見えたりもする。

 
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( 徴兵を重ねているらしいから、自分たち国民は戦わせられる、というイメージだったのじゃないか。
 ラストでは、設定のほんとの意味は、資本主義を象徴する生き残りバトルロイヤルだというりくつになっている。  
 つまり作品が終わっても読者は抜けられない――というりくつではある。ただの形だが。

 この子は自衛隊派遣論議をどう聞いていただろう。 現実が、作品に近づいたと受け取ったかなあ。
 )







最終更新日  2004年06月18日 19時13分54秒
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