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2004年07月24日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 殺人の手口はうつるらしい。
 新しかったり流行る手口は使いたくなるんじゃないか。
 富山で、二人の女子高生が、包丁を持って、刺す相手を何日も物色。

 いったん逃げたし、酒を少し飲むなど弁解工作をしているが、見つかったときにすぐに殺意を認めている。
 これは、教育(少年院を含む)や懲役や死刑では無駄な気がする。なにしろそれらは、ことばや時間を失うことや一生の時間を失うこと、でしかなくひどく観念的なのだ。

 鞭打ち刑がいいのではと思う。
● 直接物理的な痛みを想像することが、人の感覚を苛立ちから(瞬間だけでも)救うと思う。

 残酷とか精神的拷問などというけども、それは演出次第だ。
 昔の刑罰の強い時代の見せしめとして行われたのとは、全く別だ。
 もともと、子供のしつけに叩き罰というのは各国でやってたじゃないか。
 年月をかけて閉じ込めるよりも、当人への損害はむしろ少ない。

 たとえば、
 残酷な手口と認められるときに限定。
 一度に痛めつけるのでなく、時間をかけて定期行う。
 選ばれた坊さんにやらせる。宗教によって、執行役を選択できる。
 儀式的な様式を取る。
 叩き方は物理的に測定する。執行の事故責任は外部的にはとらない。

 (坊さんという意味は、特定宗教のことでなく、人間より上のものへの畏敬を持つお人よし、というキャラクターだから)
 
 

● もう一つの理由は、罰を終えた者が、罰をいやがって見せる姿を、他人が想像できるかだ。
 凶悪犯の場合、それは刑期だけでは想像できないだろう。
 想像できなければ、うつりやすい。



反論・参考など
 根本的な解決にはならない?
 そうともいえない。
 世の中の雰囲気に与える影響こそが根本的な解決に近いだろう。
 姿勢を示すこと。それもケンカのような罰でなく、文化?的な匂いをもつこと。

 学校では「命の教育をしていたのに」だそうだ。
 個別の心のケアは難しいそうだ。
 そうだろうね。

 顔を叩くことでさえ心を傷つけるのに、鞭打ちなんて反省させられない?
 顔は人格の象徴だが、胴体以下は身体なのだ。胴体へのナルシシズムを人格と認める価値はない。
 それで恨みを持つとしたら、どのみち反省を期待できないだろう。


● 戸塚ヨットスクールの、「肌で危険を感じることが、間脳を刺激し、生の意識を取り戻させて、不良化しなくても人生を楽しめるようになる」、という理論もあったな。


--------------
 少年犯罪と別に、
 犯罪をおかすことしか人生に望むことがないらしい連中もいることだし。
 死刑の代わりにもできそうだ。人道的だと思うが。



 ただ問題は、
1中国・朝鮮が、日本人はやっぱり残酷だとか、軍国主義の復活だとか、あおりに使いかねないこと。
 自分たちの実態をさておいて。・・・まあ、凶悪外国人犯罪にも使えるなら、それでもいいか。
 中国人犯罪は強制送還だったが、その辺は交渉・調整の話だ。
 軽犯罪にも鞭打ち刑があるシンガポールは、だいたい漢民族だし。

2罰を感じるようになると、罪を隠そうとする。より巧妙になる。・・・しかたない。
 
3自動虐待を正当化する親も出る・・・程度問題だが。


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最終更新日  2004年07月26日 18時06分56秒
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